年賀状 2024 令和6年 賀詞

詩の歌う -長歌-

まどろめば 夢の花咲く 若き頃 言葉は足らず 語らぬままに

ときが経ち 残り火は いまもまだ 言葉にならず 話にもせず

歳行けど 道は半ばに 世をしのぶ われは何者 足引き歩む

われがまだ この世にありて 歌うなら 残す葉と葉の 数(カズ)限れども

夏空の 半月ひとり 白くとも 夕日のあとは この地を照らせ


※この住所は郵便には使えません。念の為。

カテゴリー: 和歌, 年賀 | コメントする

Azalea in the pink

Azalea in the pink +exp

画像を切り取り、編集済み。露光調整。2023-04-24 撮影。

カテゴリー: 写真・画像 | コメントする

年賀状 2023 令和5年 賀詞

去る年はこころを振るう悪寒にてどれほどの路(ミチ)誰ぞ示しうる

冬の世にわれが煩うかの国のひとが耐えるはなほ哀れとぞ

細雪虚しいまでの細き夢なぜに与えずこの世界はと

いく春ものぞみを誓うひとびとを我が身のことと思うがひと

ひと夜とてひととひととが結び合う言葉を交わす夢は波打つ

カテゴリー: 和歌, 年賀 | コメントする

年賀状 2022 令和4年 賀詞

2021災厄の歳を振り返り
世は荒(ス)さめ窓辺に在れば果無げに僅かなれとも灯り灯さん

パンデミック思いを斫(ハツ)る日々のことひとは康くと永く語りし

冴ゆ春の時節は続く言の葉の街に溢れる謎の多きに

かの年は、多くのひとが去り
風花と身の内にはヒトがいて過ぎし日の声絶えて乏しき

カテゴリー: 和歌, 年賀 | コメントする

躑躅ほか春の花

季節柄良い写真が撮れたので、順次、アップロード。

カテゴリー: 写真・画像 | コメントする

年賀状 2021 令和3年 賀詞

(去年のこと)
つつしんで願いも満たぬ日々の詩(ウタ)わがこころえと成りて過ぎ行き
(コロナ禍、うずしお)
叫び声広がるほどにその痛み、はや年の瀬も風吹き冴ゆる
(ただ)
ことの葉の実(サネ)知るヒトは貴き音(ネ)を数え数えて夢に夢見し

カテゴリー: 和歌, 年賀 | コメントする

この雑踏に立てば、いろんなオトが聞こえてくる

長い間、離れていたと言うか、実は仕事が忙しかったのだが、

「このページの趣旨について  酒菜1丁目1番地」
http://www.shimirin.net/~tomizawa/sakana_1_1/shushi.html

なんとも2014年がこの前の最終、今回書き足しました。
難しい現代詩を身近に簡単に読んでいただきたいと書いています。
今回の詩を載せておきます。

この雑踏に立てば、いろんなオトが聞こえてくる

日々は尊い、忘れないでいて欲しい

この雑踏に立てば、いろんなオトが聞こえてくる
わめき声、会話、急ぐ人、意識は散り散りに乱れ飛び、混乱しただけの脳波が充満してい

初めてのひとは困惑し、毎日のように同じ時間に同じところを歩くひとびとは何も考えて
いないだろう
苦痛を背負うか障害を負ったひとたちはつらそうに歩く、ただこの場だけでも誰かでも助
けてやれれば良いのに、誰も助けてくれないだろう
夢多き若いひとびと、はしゃぎ踊り明かすように歩いていく、あなたたちはどれほど幸福
か。どうか忘れないでくれ
私はといえば、ますますそんな日々を忘れていく。あなたたちよりも上の齢のひとたちは
みんなそうなのだから

風の数ほども夢は散り、年末の街頭に散る雪のごと
乱れ飛ぶ暴風の雨粒のように、絶え間ない歳月は流れ
はたまた猛暑の日射に潜む、はらわたを煮える悪寒のように
すさまじいほどの不安とその結果として愛するものの死と自らの苦痛
絶望を騒ぎ、隠して行く春の日ののどかな桜の散るように
この街頭のウタ、詩はすべてのひとの人生を背負うのだ

幸福とはなにか、若いときからもうずいぶんと長い間、考え続けている
どうしてもこうしてもこの街角は哲学者なのだろう
でもこのまえある小さな子供に言われた
「お前は神様になったつもりでもいるのか?いったいどんな神だ。」
恫喝のようにその声は聞こえた
それでどうしたかといえば、実はまだなにも答えていない
その子はもう消えた

別に珍しいことでもない
一度会ったひとにもう二度と会わない
街角でそれは少しも珍しいことでもない

カテゴリー: 現代詩 | コメントする

いかなる貴きこころを抱いて生まれたる

無垢なる、いかなる貴きこころを抱いて生まれたる
双葉にしても
いずれはむしり取られる処に育つならば
どうしてもひとときは美しく、青き若葉になれど
邪悪なる鬼畜のものどもに
おとしめられ、泥を浴び
いずれは病み衰えていく

怒りもあろう
涙もあろう
そして、無念である

カテゴリー: 現代詩 | 1件のコメント

幾度なく話された夏の言葉に…愛を込めて…

ドラマで「はつ恋」のことが取り挙げられ、好評を博しているようだ。こういうナイーブなテーマが大人のドラマとして受け入れられていることには、私も好感を持って接している。大人の男女の恋愛が真面目な問題として考えられているのだ。

このテーマではどういう表現が可能か、私も一時期は相当集中した時期があった。ヘタをすると甘くなってしまうし、なかなか難しかった。この詩はそのうちのひとつ。

「幾度なく話された夏の言葉」とは、「太陽は沈まない」という決まり文句である。しかしその「太陽」とは「初恋」のことである。こういうメタファー(隠喩)の例は、あったではあろうが、割と少ないように思える。そして哲学的な文法論を構えている。

「もし私が(あの人が)…だったら、…(というひと)だろう。」
「だったら」、仮定する意識は過去へと問いかけ、
まだ見ぬ、そして見たこともない過去を、「だろう」、現在に結びつける。

隠喩と哲学、古くて拙いところはあろうが、典型的なあるいは古典的な「現代詩」であろう。

詩文と朗読は、ここ

 

 

カテゴリー: 朗読, 未分類 | コメントする

ブログ、初ログイン。

shimirinさま、ありがとうございます。
ログイン成功です。これから利用させていただきます。

カテゴリー: 未分類 | 3件のコメント