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このページの趣旨について  酒菜1丁目1番地


街角

街角、夕暮れなどはとくにそう、街角にひとびとは群れる
しかし誰も、互いに会いたいからでもなく、むしろひとに会いたくもなく
ひとはどこかに向かい、すれ違っていく
そしてあまりにも早く、通りすぎていく


わけも知らない、携帯電話の通話やメールの電波が飛び交う、街角
破れた恋心に耐えている、悪びれた、しかもうら若い乙女は歩きまわり
うつむいてとほうにくれる男、悔しみか、疲れた怒りに力なくベンチに座る
紛れもない社会の一部


街角よ、夏は猛暑に焼かれ、冬はもう冷たい風が襲う
ヤニ臭いタバコの煙が指定喫煙場所に漂う、不快で、暑くて凍える
街角

first posted at 2012.feb 2.03


わたしのこと

わたしもこの街角に居る。居てはいるのだが
どうしてかいつも、見かけるひとびとは現れては、消え
漂う風のように、わたしも街角を揺れ動いていく


春と夏と秋と冬
何度も、何度もわたしはこの街角を通り過ぎる
思えば、季節は大きく顔を変え
それはいつしか、時代が容貌を移していくのにも例えられる


わたしは、私は、僕は、、それ自体もそれほどの意味もないのかも
幼さも、凛々しさも、絶望も、痛みも、恋の心も
この街角を除けば
うつろいいくもの
first posted at 2012.feb 2.03


「社会」

今日の街角は気分が悪かった
多くの疑い、多くの苦痛

すべてこの街を行くひとびとが心身ともに健康であるわけでもない
日々の暮らしは満ち足りているのか?
案外このことは誰も気がついてはいない

ひとびとはいつもなんらかのスタンダードを立て
あたかも、この街角を創る規範や約束事を、実際の生活と様式を、絶対的な君主のように
狂信者が奉る神か、神々のように考えたがる

すでに「ひとびと」をたてて考えるということ自体が
「私」も、そして大切な「あなた」でもなく
もう少し離れたちょっとは知人な、「彼」でも「彼女」でもない

他人との関係がすでに距離を失っている、本来あるべき隔たりを排除した
「私」、「あなた」の頭のなかにある、ただの「ひとびと」という概念
なんとも不快な、機械仕掛けの概念であり、妄想の築き上げた「社会」なのだ

そこではひとびとは何の苦痛もなく、生活も過不足はないだろう
どうして、そんなことがありえるのか

「私」や「あなた」は精神を偏り、人生の理念を達成することもなく
ありとあらゆる不足と不幸をかかえこんでいる
それでも「ひとびと」は、個々の個人を特定して考えようともしない

あたかも、そう、どうでもよいことのようにして
first posted at 2012.apr 4.21


知人には

声はかけない
私は自分だけが気ままに、良ければ良いのではない

今日、帰りがけ
少しは話をしたことのあるひとに、声はかけなかった
もし疲れていたらどうしよう

あるいは具合が悪く
一刻も早く、家に帰りたかったら
どうしよう

そんなひとに
道中は長いのかもしれない
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first posted at 2012.apr 4.21


街角にて

世界はあざやかである
そしてこの街角もまぎれのないもの
街角は騙されることもなく、自らを不明にせまらせることもなく
息を吸い、吐き、そして生きてきた

しかしひとは幸福をつかむためには、他人に「かんけい」を求め
どうしても誰かの肩をいきなり、これまたつかまなければならない
恐怖と不快をさけるためには
こちらの容姿や、礼儀や、あるいは他人の欲求に応えなくてはならない

「ならない」? これだけでも他人と「私」の溝の深さが、底なしに見えてくる

街角は一応は安全ではある
しかし本当にそうであるのか
以前にも疑ってみたこともあるが
ほんの少し前からふたたび疑いを持ちはじめている

この街角と世界は、これから何十年かも健やかであるのか?
誰も答えを持ってはいない

街角は街路へと続いていく
行く男と歩み寄って来る女
誰も無粋ではないか、着飾っているか
好ましいものか、不快であるか
幾つもの印象を残していく

このひとたちはこのあとも何年かも、どうしていくのだろうか
そして人生の理想は?、何を達成していくのだろうか?
問いばかりが残ってしまい、この時間もまた過ぎ去っていくだけ
街角はいつでも無人の、透明の色に戻ろうとする

私は手をかすこともできないのだろうか?
そしてこの私の、居ても経ってもいられない誠意と不安とは!
なにものなのだろう

街角は?
これだけあざやかに姿を佇ませているのに
かくも不安が付き纏う、街角

つまりは
街角はひとを誘う
しかしひとは孤独である
これは同じことの両面なのだ
しかしてうまく自分を包み込む幸福な世界を達成したものは、、
これもまた少ない

街角にとって、この私も
行く雲と同じ、さまよえるひとの、ただひとり
それでしか無いのだろうか

そうでないようにと願う
しかし同じ言葉だけを、いつまでも私は思い続けている
first posted at 2014.jan 1.18
first appeared in the uroko_anthology_2013 at 2013.dec.12.31


街角、社会、政治

どの街角にも、そしてこの街角にも
政治や社会は押し寄せてくる

不法な勢力が政治に取りつけば、どんな残酷なこと、圧力的な非道すなわち一種の暴力も可能だ
かつてはリストラも見た 人員整理と人間の再配置、無産の労働者の切り捨て
みんなが平準化して持っていたささやかな財産も奪い合い
一部の地位的な構造とシステムに堪えて、振り落とされないものだけが生き残れる
とても辛い時間だった

この国の歴史を
古代からこの現在まで、共通して流れるのは、いつも犠牲を払いながら
ただただ身分的な上下を作り続けようとしてきたことなのだ
それでこの国と社会が良いわけでもない
それを洞察できて、必死にこの国に住むひとびとを幸福にしようと
格闘している政治家はいるのか?

今日はベンチに座って、とても平凡なひとびととなって
どんな政党支持者でもなく、社会に利害を失った世捨て人と同じように
背中を丸めて、風に漂う新聞を読んでいた

同じような身分制社会へのあこがれを抱くひとたちのことが載っていた
理性的な政治家も見つけられなかった そこも闘争社会なのだ
長い目で見れば、どの政治家も、社会勢力も、ボロが出やすい

「良識」という「無党派」だけが異口同音に正しいが それらはもっとも力なく
身分に守られようとしても、そんな身分もない

よくもこの街角だけは残ってきた 生き残ってきた
それは、なんとも不思議なことではなかっただろうか

背中を丸めてベンチに座ってみて、とても平凡なひとびととなると
そんな哀しい犠牲になったひとびとの列、この街角を通って行く
亡霊たちが、群れ成して歩いているのが見えるようになる

ひとびとよ怒りに身をまかせるな
せめてあなたたちだけは、理性的であれ!

悪いひとたち、生き残りをかけて闘争を繰り返すひとたち
暴君竜たちは、自余の環境にあるひとびとを破壊してしまいそうだ
ただただ巨大化して、すべての生物を圧倒して、、絶滅させてしまう種族たち
彼らと同じ進化の道をたどれば、行き詰ることは目に見えている

このひどい事態は通り抜けたいものだ
しかし理性と博愛はこの街角に一度でも現れたのだろうか
その論理的な過程だけでも、どれほど語られたのだろう それは極めて少ない
したがって一度でも、この街角の、哀れな側の観衆はそれを見たことがないのだ

さびしい、そして悲しい街角
さらに非業な結論は、社会に不利益な者たちだけがおおいに語り
理性あるものが語ることが少ないということなのだ

語れ語れ、頼むからこの街角で語っておくれ
正しく、先を見て必死に思考するひとびと、理性あるひとたち
first posted at 2014.nov 11.13


この雑踏に立てば、いろんなオトが聞こえてくる

日々は尊い、忘れないでいて欲しい

この雑踏に立てば、いろんなオトが聞こえてくる
わめき声、会話、急ぐ人、意識は散り散りに乱れ飛び、混乱しただけの脳波が充満している
初めてのひとは困惑し、毎日のように同じ時間に同じところを歩くひとびとは何も考えていないだろう
苦痛を背負うか障害を負ったひとたちはつらそうに歩く、ただこの場だけでも誰かでも助けてやれれば良いのに、誰も助けてくれない
夢多き若いひとびと、はしゃぎ踊り明かすように歩いていく、あなたたちはどれほど幸福か。どうか忘れないでくれ
私はといえば、ますますそんな日々を忘れていく。あなたたちよりも上の齢のひとたちはみんなそうなのだから

風の数ほども夢は散り、年末の街頭に雪の舞うがごとく
乱れ飛ぶ暴風の雨粒のように、絶え間ない歳月は流れ
はたまた猛暑の日射に潜む、はらわたを煮える悪寒のように
すさまじいほどの不安は常に在り、愛するものの死と自らの苦痛にも出会う
絶望を騒ぎ、隠して行く春の日ののどかな桜の散るように
この街頭のウタ、詩はすべてのひとびとの人生を背負うのだ

幸福とはなにか、若いときからもうずいぶんと長い間、考え続けている
どうしてもこうしても、この街角は哲学者なのだろう
でもこのまえある小さな子供に言われた
「お前は神様になったつもりでもいるのか?いったいどんな神だ。」
恫喝のようにその声は聞こえた
それでどうしたかといえば、実はまだなにも答えていない
その子はもう消えた

別に珍しいことでもない
一度会ったひとにもう二度と会わない
街角でそれは少しも珍しいことでもない
first posted at 2020.oct 10.17


街角に群れる(形而上学的考察)

冬の夕暮れ、暗い
今日は人が多かった。雑踏
しかしこれは群れではない
行く道はそれぞれに違い
不思議に衝突することもない

群れることには繋がる意思があり、それは明白なものではあるはず
このひとびとの集まり様は、むしろお互いを避けつづけている
声をかけてみよう
ふしぎな顔をする。あるいは不機嫌にうるさがれる

枯れた街路樹の樹の下
葉々は集光上もっとも適切な配置をして
触れ合うでもなく、まったく無駄がない、空間、葉と葉のあいだ
この街角の人間という動物種と一体どれほども違うのか
こうしてみると、人間の知性などどれほどの意味があるのかと思う

さらに生物の数万年という時間の流れのなかでは、生物種は大半が絶滅してそのほんの一部だけが祖先となり繁栄してきたのだ
多系統の生物の存続の豊富さ、それから見れば、このなんの変わり映えもしない、知性があるとて特別でもない人間たちもいつまで生き残れるのだろうか
街角に集まりながら、何も産むことのない空虚さ。街角を作った人間たちは、実は街角に必ずしも必要ではないのだ

この街角を数万年後、闊歩するものは一体どんな生命体か、それとも誰もいない不在の荒れ果てた街角だけが残るのか
この街角は廃墟としても残るだろう。しかし誰もこの街角を片付けてくれるものもいまい

街角にはなんの統一的な意思もない
さらに「街角」は人間だけを映すものでもない

むくどりの群れる姿を見る。大群
追い出された鳩たちがときどき人間のバスの待合室にやってくる
この鳩たちも行く道はそれぞれに違い
不思議に衝突することもない

何事もない日々の一日は尊いと言うが、それはそれほども文化的に、つまり人間専有の造形的なものでもなく
ただ集まり群れている(ように見える)ということも、知性も本能もその発現してくる「非論理の無を直感すること」に生み出されているのか?
私達の知性はそれを知ることさえもできないし、本能はそれを意識することもできない
集まっても当たらないことは自然の法理にそっている?
それだけかも知れない
だとすれば「自然」そのものが発現しているのだ
空間概念・ものの後先・順序、つまりは「時間」、それらは直感された自然の後付けで「解釈」して、そう名付けただけのものなのだ

何事もない日々の一日、非論理の無を直感していれば、「それ」はできる
しかし忘れればこの街角も大混乱するだろう
この街角も「自然」の灯りに照らされて、何事もなく、一日が過ぎていく
first posted at 2020.nov 11.23