編集室/雑記帳(2003.7.16〜2003.8.12)
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編集室/雑記帳(2003.7.16〜2003.8.12)


two suns in the sunset。 投稿者:あつすけ
 投稿日: 8月12日(火)00時53分52秒



。。。先田さま。


   おひさしぶりでございます。

   THE GATES OF DELIRIUM。の第一部(詩集一冊分です。)

   をはやく完成させたい気持ちでいっぱいです。

   一年くらいかかるのでは、と思っていますが

   そう思ってると、数倍かかるかもしれません・・・。

   わかりませんが

   ぼくはこの10年近くの詩作で

   なんだか終わってしまったように感じます。

   これからの人生は、それらの詩の自己解題で終わるような気がします。

   この夏はなんという夏だったのでしょう。

   裏切りにつぐ裏切り。

   きょうも、ひとりの青年が、ぼくの前から立ち去りました。

   何時間か前までは、一生付き合っていけると思っていたのですが・・・。

   そうですね。

   ぼくは、いつも、一生付き合っていけると思って恋をするのですね。

   わずか、三日の恋愛でした。

   そして繰り返すたびに、もうぼくはひとりで生きていくのだと思うのです。

   思うのですが、それは一瞬で、またひとにほれるのですね。

   つぎつぎと恋ができるお前がうらやましいといつもシンちゃんが言うのですが

   きょうは、ぼくの表情を見て

   ぼくが帰ってから電話を入れてくれました。

   シンちゃんと付き合えばいいのでしょうが

   お互いに何を考えてるのかほとんど瞬間にわかるので

   面白くもなんともなく

   お互いに友人以上の何者でもないと思っています。

   愛には、不可知なところが必要なのですね。

   出会うために空間が必要であるように。

   
   ぼくの場合、ずいぶん形而下のものですが。                


                      あっちゃんブリゲ。。。
   

   




言葉は生きた死体 投稿者:先田督裕
 投稿日: 8月11日(月)23時30分45秒


田中宏輔様

自分の名前が書かれていて、びっくりしました。
名を呼ばれるというのは、うれしいものですね。舞い上がりました。
「言葉は生きた死体で/人間は、それを吸い込んだり吐き出したりしているのですね。/ぼくらは
みんな魂であって、みな別の、そしてただひとつの。」というくだりに共感しました。言葉は言葉
になった時点で一度死んでいるのに、言葉であるがゆえに死ねずにまだ生きている。まさに生きた死体だと思います。神さまの許しによってようやく存立しえている悪魔みたい。それを吸い込んだ入吐き出ししたりしている人間も言葉(悪魔)の同類だと思います。さらに、ただひとつの霊(た
ましい)に、みんなが別々につながっている、そんな魂でもある。つくづく不思議です。変です。
 THE GATES OF DELIRIUM
横文字が苦手で、DELIRIUMという単語を知らなかったので、調べてみます。
蛇足ですが、私の勤務する会社「(有)リベルタス興産」がHPを開設していますのでアドレスを紹
介させて下さい。
http://www.ube-ind.co.jp/libertas/




ようやく 投稿者:あつすけ
 投稿日: 8月 9日(土)11時09分22秒



。。。清水さま。

。。。ヤリタさま。

。。。ピーチさま。

。。。関さま。

。。。桐田さま。

。。。先田さま。


   ようやくつぎの作品の

   THE GATES OF DELIRIUM。

   の文体が固まってきたように感じます。

   しばらく、ここで実験的に書かせていただきました。

   言語の自由度について

   思考の範囲についていろいろ実験させていただきました。

   陽の埋葬の範囲にくらべると大きいようですが

   先駆形からはあまり逸脱できないみたいです。

   サンドイッチ(引用と散文)形式のものと、全行引用のものが

   もっとも美しく思われるのですが、自由度からいえば

   やはり先駆形には劣ってしまいます。

   したがって、

   THE GATES OF DELIRIUM。

   では、これらをジャンクしたものにするつもりです。

   パソコンのさまざまな文字の種類がそれを可能にしてくれると思います。

   たくさんの死体に同化し、それを支配すること。

   そして、自分自身を支配すること。

   どちらも同じぐらい難しいことですが

   言葉は生きた死体で

   人間は、それを吸い込んだり吐き出したりしているのですね。

   ぼくらはみんな魂であって、みな別の、そしてただひとつの。

   THE GATES OF DELIRIUM。
 
   は、魂の物語に。

   と思っています。

   きょうから、盆休みです。

   これから祖母のことを思うつもりです。

   押さないころのぼくのこころの保護者であったひと。

   先駆形と

   ふわおちよおれしあ

   に書いたことがありましたね。

   Forest。

   にも。

   BGM

   は

   Red Rose Speedway

   Paul McCartney & Wings

   でした。

                           あっちゃんブリゲ。。。

 




狂気 投稿者:ピーチ
 投稿日: 8月 9日(土)01時29分12秒


あつすけサマ

「何せうぞのくすんで、一期は夢よ、ただ狂へ」

ふと、『閑吟集』にあった一節を思い起こしました。
僕も、昨年のいま時分は夏の嵐にさらされ、狂いました。
そして、一期のはかなさは、一会のむなしさであることを知りました。
砂を噛む思いで見上げた、花火は悲しいくらいに美しく。僕は、美しい
ものたちに対する、呪詛と復讐を誓いました。
あつすけサマ。うつし世は夢、存分に狂うがいいでしょう。

http://218.teacup.com/shimirin/bbs



偶然。追記 投稿者:あつすけ
 投稿日: 8月 8日(金)02時29分10秒



。。。ピーチさま。


   方は法。

   振り回す。

   振り回される。

   暴力の話です。

   生きていくことは

   とてもいやらしい暴力ですね。

   ほんとに、だれを愛してんだか

   ぼくにはすっかりわかりません。

   自分の背中にメスを入れて切り開かなければ

   何もわからないんじゃないでしょうか。

   なぜ腹じゃないんだという声が頭の中でしたので

   答えると

   首を振るぼく自身の映像が見えました。

   あっさりと自分の死体を見捨てることが肝心。

   これもこころの声ですが

   自分の背中を切り開くように

   自分の言葉を背後から眺められないのかしら。

   いつも言葉を前から見上げるばかりで

   その背後は、言葉の影になっていて

   絶対に見えない。

   じりじりという音がするのね。

   皮膚を切るとき。

   痛いんじゃなくて、熱いのね。

   目をつむってしまう。

   しっかりと目を開けて、自分の背中を切り開くこと。

   いつか、ぼくにだってできるかもしれない。

   それには、自分を見捨てることが必要かな。

   どいつもこいつもうそつきや。

   ぼくが愛してるの知らなかったくせに。

   最後の通信は

   どの惑星の住民にも聞こえなかったらしい。

   うぷぷ。

   少なくとも、ぼくがいるはずなのにね。

   あっ、いなかったりして。

                   あっちゃんブリゲ。。。

    




偶然。 投稿者:あつすけ
 投稿日: 8月 8日(金)02時03分53秒



。。。ピーチさま。


   偶然という現象が、もしかしたら、この世の中にはないのではないかという

   ことが、起こりました。

   ペンネームというのは

   マールボロのことですが

   ある青年が使ったものなのですが

   ぼくはその青年と接触していたのですね。

   もうひとりロボットのような青年とも接触していたのですが

   その二人が同一人物だったのです。

   それを知ったときのぼくの驚き。

   それは太鼓の昔から、ぼくの記憶に埋め込まれていたのではないかという
 
   ぐらいに古い記憶の中にある残像なのですが

   彼らにこの世で接触するとは思ってなかったのです。

   この世界には、数多くの偶然があり

   それが偶然ではない何ものかに変質していきます。

   だから、ピーチくんのペンネームのことではなかったのです。

   「もういい! ほんとに好きやったのに!」

   なんという言葉の響き。

   「二度とメールしんといて、つらいから。」

   なんという言葉の響きでしょう。

   ぼくの耳は、この言葉に接して、とても懐かしいものを感じています。

   十年ぐらい前の、ぼくのほとんど唯一の恋愛の記憶でしょうか。

   エイジくんのことは

   ああ、そうだ、

   「ぼくは、きみに振り回されてばかりいるみたいだ。」

   そう言うと

   「振り回されてんのは、おれの方や」

   頭のおかしい彼に、頭のおかしくないぼくが振り回されているのか

   頭のおかしくないぼくが、頭のおかしい彼を振り回しているのか

   おかしい方がおかしくないほうを振り回すのか

   おかしい方がおかしくないほうをふりまわすのか

   それは興味深いものがありますね。

   両方おかしくても

   両方おかしくなくても

   面白いですが。

   ぼくは自分の感情とまともに相対したことがない。

   理性でそれにメスを入れようとするのだけれど

   理性にそんな力があるわけでもなくて

   ただ

   そういえば

   きょう、ぼくは二人の人間と

   別れました。

   マールボロとは違う二人だったけど。

   何年かぶりで

   脳が心臓の支配下にあった。

   わずか数時間のことが

   陽の埋葬の最初の作品につながります。

   40歳を過ぎた中年の男の狂気ですね。

   方は法。

   ロゴスとしたほうが面白いでしょう。

   ありがとう。

              あっちゃんブリゲ。。。
    




詩のイベントカレンダー 投稿者:清水鱗造
 投稿日: 8月 7日(木)00時17分12秒


青木栄瞳さんから連絡があり、9.6-11の「夜の会展」と
来年5.16(Sun)のイベントの案内よろしく、ということでした。
「詩のイベントカレンダー」が、どうも怠けていたりして、更新
していないので、この際、新しいものにしました。
http://www.haizara.net/~shimirin/cgi-bin/calen/calen.cgi
です。
ここにスキャンしたり書き込んだりすることにします。
詩のイベントの案内などのビラなどスキャンして、jpgファイル
にしてお送りくださればこのカレンダーに掲載します。




小旅行 投稿者:清水鱗造
 投稿日: 8月 5日(火)23時37分00秒


あっちゃん、ちょっと小旅行に出ていました。
夏の海!! でした。
フィルムスキャンもできるんですね。高性能なものですね。
旅の写真も、いろいろと公開しようとしています。
デジカメはいっきにデジタル画像ができるのでで楽です。

http://www.haizara.net/~shimirin/cgi-bin/joy/joyful.cgi



きのうは 投稿者:あつすけ
 投稿日: 8月 4日(月)08時24分10秒



。。。清水さま。


   きのうはプリンターを使いました。

   つぎはデジカメか

   スキャナーですね。

   のぶちんの

   写真。

   ぼくだけの

   写真屋さんがプリントしてくれなかった

   ものです。

   ちょっとあれですから。

   ネガをプリントできるみたいです。

   むふふ。

   でも、わるいかもしれないですね。


               あっちゃんブリゲ。。。

    




錯乱の扉。11 投稿者:あつすけ
 投稿日: 8月 3日(日)16時08分29秒



。。。ピーチさま。


   汝は花になるであろう。

   は、バルザックでした。

   2003年3月18日の日記から。

   どうして返事をしないんだろう。

   どうして返事をしないんだい?

   わたしはきみが言ったさっきの言葉で傷ついてしまったんだよ。

   ぼくだって、あなたの前では、いつでも死んでるんですよ。


   ジーザス!

   
   光。

   
   少年がビルの縁にかがみこんで下を覗き込んでいる。

   その少年の未来がぐちゃぐちゃになった姿を。

   その少年自体がぐちゃぐちゃになった姿を。

   その少年の押さなかったころの姿がぐちゃぐちゃになった姿を。

   
   おまえの幸福はこの中にあるのだろうか、
                    (リルケ「レース」高安国世訳)

   単純な答えなどはない。
                     (ベスター「虎よ、虎よ!」中田耕治訳)

   しかし、わたしは幸福を感じていた。
             (プリニエ「醜女の日記」関 義訳)

   
   本当の感情ってなんだろう。

   
   
   丸物の光に満ちた食堂で

   たったひとりでテーブルについる

   少年がいる。

   それが詩人であることは

   彼の少年時代の写真でわかる。

   ぼくはその少年に近づいていった。

                  あっちゃんブリゲ。。。

   
                        



できたよん。 投稿者:あつすけ
 投稿日: 8月 3日(日)15時49分50秒



。。。ピーチさま。


   郵送しました。

   普通で送ったから、明日じゃなくて、あさってになると思うけど。

   もし気に入らなかったら、言ってね。

   直せる範囲で直すから。

   直せない範囲のことなら、ううううううん。

   反古にして。

   きゃっ。

   マールボロ。

   きみはなぜそんな名前で投稿するのだろう。

   いったいきみは何がしたいのだろう。

   きみがいなくても、ぼくは生きていける。

   きみだって、ぼくがいなくても生きていける。

   うふふ。

   ここからしばらく、2003年7月9日の日記を参照。

   憎しみは、ものすごい勢いで増殖する。

   憎しみはゆっくり育てなければならない。

   (それがただひとつの感情であると早合点してはならない。

   それが感情のたんなる縺れであって

   感情と、感情が縺れている状態は区別されなければならない。)

   憎しみはゆっくり育てなければならない。

   容易にわたしを引き渡してはならない。

   憎しみは、さまざまな形をとり始め、周囲のありさまをさえ

   変形させていくことだろう。

   簡単にわたしを引き渡してはならない。

   憎しみが形を取りはじめたら、わたしを変形させはじめたら

   ただちに、わたしを凝結させ

   ライブなわたしをその凝結したわたしから切り離さなければならない。

   死者のそばにいると、知らないうちに死者になるからだ。

   憎しみはすみやかに伝播する。

   だれにでも知られるものとなる。

   しっ。

   黙って。

   石になって

   でもなぜ石なんだろう。

   花じゃないんだろう。

   花かもしれない。

   石が叫ぶだろうって

   聖書に書いてあって

   汝は花となるであろう。

   花はやがて、香りとなるだろうって

   サバトが書いていた。

   憎しみは何になるだろう。

   汝は

                  あっちゃんブリゲ。。。




錯乱の扉。 10 投稿者:あつすけ
 投稿日: 7月31日(木)21時48分27秒




。。。ヤリタさま。


   さっき

   気持ち悪くなって

   げろげろげろーっと

   空といっしょに

   パパやママや近所のガキんちょや

   昔の恋人や

   友だちや先生や

   金魚やワンタンや

   死んだ子犬や白骨化したハムスターや

   ビートルズやノブユキや

   マーカーでつけた橙色や緑色の線だらけの共同訳聖書や

   部屋のぐれーのカーペットや

   地球の成層圏や

   ぼく自身を吐き出しちゃいました。

   生まれたばかりの幸福の息の根をとめて

   携帯で

   ぼくの恋人に

   ぼくの吐き出したものを見せてあげました。

   かたかたかた

   かなかな

   土居くん、なぐっちゃだめよ。

   ぼくはなかなかなおらない

   すてきな夜の

   イエスタデイ。

   ゴータ、ごんた、ごんちゃん。

   マイ・ラブ!

   すてきな罪のために

   はじけ!

   恥じれ!

   走れ!

                 あっちゃんブリゲ。。。
              




DIAMOND DOGS。 投稿者:あつすけ
 投稿日: 7月31日(木)20時33分17秒



。。。関さま。


   ぼくの感想文。

   言葉ありきたりで、ごめんなさいです。

   関さんの詩の内容の充実さと

   ぜんぜんつりあってないと思います。

   ぼくは散文がへただとよく言われます。

   といっても、三人ぐらいですけど。

   とはいっても、友人が五人ぐらいですから

   多数決で、ぼくは散文がへたです。

   民主主義社会である文学の世界では、多数決が絶対なのですね。

   けつまずいても

   大丈夫。

   傷口にパパやママを貼ればいいのですもの。

   うすい皮膚を剥がして

   傷口にパパやママの手のひらや

   ほっぺたを貼り付ければ

   そのうち、そこが

   パパやママになります。

   パパ軟膏をつけても

   ママ錠剤を飲んでも効くらしいです。

   さっき耳がかゆくなったので

   耳掻きで掻き出すと

   パパやママの指や乳首や喉仏や背中のくぼみが出てきたので

   思い通りに

   パパ印のセロテープと

   ママ社の糊でくっつけてあげました。

   くっつけて、またくちゃくちゃと

   そういえば、ぼくはだまされたまま

   いつか買ってもらったエレクトリック・ベースの

   箱に

   吉田くんがいて

   あの涙はかわいかったね。

   もう二度とふたたび

   ぼくはだまされて

   ぼくを引っ掻いちゃだめだ。

   ぼくの傷口から

   パパやママだ飛び出しちゃうんだ。

   足を引っ掛けて

   手で気傷口をひろげて

   パパやママが飛び出してくるから。

   きっと、それがぼくの宿命だったんだ。

   ぼくの胸のなかで

   ぐじゅぐじゅの夜が這い出してきた。

   せっかくの晴れ渡った空が

   内視鏡。

   いくつもの。

                  あっちゃんブリゲ。。。

   




こんにちは! 投稿者:関ofuji
 投稿日: 7月31日(木)11時35分39秒


梅雨が明けたような蒸し暑さです。
雨が好きなわたしですが、かんかん照りの夏も好き。

あっちゃん、こんにちは!
元気でがんがん書いてください。楽しみに読んでいます。

ところでしみりんさん、灰皿ネットのゲストブックに書いていらした、
拙詩集『女−友−達』の冊数の件、了解しました。
倉田良成さんの書評も、過分のお言葉感謝しています。

先日池袋のぽえむ・ぱろうるに詩集をおいてもらいに出かけたのですが、
詩集の場合、価格が1000円以上じゃないと預かれないそうです。
しかも、個人のばあいの委託はとりあえず1冊だけですって。
思わず「ケチ」といいそうになりましたが、「はい、わかりました」
と言ってすごすご帰ってきました。
『ピクニック』はあそこで10冊売れたんですけどね。ぶつくさ。

8月はじめは桐田さんとネット・サーフィンならぬ本物のサーフィンですって?
波に呑まれないようにご注意。
わたしは家族と近所の花火見物です。




Face Value。 投稿者:あつすけ
 投稿日: 7月29日(火)19時40分33秒



。。。清水さま。


   なまずに似た魚のミニュチュアを、ぼくも持っています。

   なまずという言葉を、ぼくの詩に使った記憶はありませんが

   なまずに似た知り合いはいます。

   というか、なまずと人間の合いの子で

   真っ黒い、ヌメヌメした肌で

   でも黒人のイケメンみたいな動物的なところはなくって

   魚類特有の意地の悪さを見せつけてくれます。

   THE GATES OF DELIRIUM。

   では、端役で出てくるかもしれません。

   主役は

   人間の青年ですが、それはそれは

   ゆりの花の少年や

   ヒキガエル男や

   人食いウサギや

   いぼいぼ蛸男や

   犬男や

   男犬といった合成人間や

   神話や伝説に出てくる化け物や小人たちが

   また神の模像や贋の神さまや

   ポオやボードレールといったぼくの愛してやまない数多くの死者たちが

   出会ったり

   別れたり

   愛し合ったり

   憎しみ合ったり

   手を握り合ったり

   殺し合ったりする

   すてきな世界にしたいと思っています。


   あっ、ぼくにとってすてきな、という意味ですけど。

   さいきん、自分のことしか考えることができなくねっています。

   以前からかしら。

   うっぷ。

        
   清水さま。

   ごめんなさい。

   です。

                  あっちゃんブリゲ。。。
   

   




ナマズのフィギュア 投稿者:清水鱗造
 投稿日: 7月28日(月)23時41分04秒


あっちゃん、機械は必要のあるとき梱包から解いて、使う、
マニュアルは必要のあるとき読む、というやり方です。
それで置物になっているプリンタがぼくもあるんですけど
ね。
誰かに差し上げようにも型が古いんです。
フィギュアといえば、ものすごく小さいナマズの木彫りが
どういうわけかあります。
ナマズは幼いころから親しい魚でした。これはウロコはな
いですね(^^)。

堀江さん、ウロコ乾いてます。
今日、多摩川で鯉を釣った人に偶然通りかかって、日に
ウロコが乾きそうでした。写真を撮ってから放流したみ
たいですけど。
どんなロードクでしょう。なんとなく興味があります。
新宿系のような。




こんちは。 投稿者:堀江美奈子
 投稿日: 7月28日(月)14時24分54秒


しみずさんお元気ですか。ウロコ渇いてないですか。

つ。ついにロードクを。。初体験をひとのめのまえでヤルことに。


したの人、やたら長ぇなあ。

http://www008.upp.so-net.ne.jp/TalkingMonkeyz/



サイモンとガーファンクル。 投稿者:あつすけ
 投稿日: 7月28日(月)01時00分38秒



。。。清水さま。


   ボクサーって言えば

   アリスだよねって友だちが言うのですが

   ぼくは

   カルメン・マキ&OZと

   四人囃子以外に日本のグループって

   マイナーなもの以外ほとんど知らないので

   あっそうって返事したんですけど

   ボクサーって言えば

   やっぱりサイモンとガーファンクルですよね。

   いわし、いました。

   銀色のうろこの

   ちっさい魚ですね。

   あしたから

   この数ヶ月間に書きとめたノートのなかから

   裏切りに関するものをピックアップして整理する作業がはじまります。

   ちょこっとした裏切り、

   へたな小細工の露呈に、いつもあわてふためくぼくですので

   裏切りのテーマは、とても興味深いものがあります。

   裏切りは死で終わる、と書いていたのは

   ダ・ヴィンチだったでしょうか。

   ナポレオンなら

   こう言うかもしれません。

   つねに裏切りつづけよ。

   さすれば、裏切り者とそしられることはなかろう、と。

   か、かな。

   と、とか、思いました。

   思いますた。

   拙文、掲載くださること、とてもうれしいです。

   刈り込みも整理もしていない

   つたない文ですのに。

   たいへんうれしいです。

   桐田さんのところでしたか、倉田さんのところでしたか

   お写真がいっぱい

   きれいでした。

   朗読会の折のものも

   拝見させていただきました。

   スキャナーもプリンターもデジカメも持ってるんですけど

   まだぜんぜん使っていなくて

   デジカメなんて、箱から出してもいないので

   なんか、ぼくって、ほんとに理系なのかしらって思います。

   ばりばり理系なんですけど。

   ううううううん。

   あ、アリスの

   コンビニで売ってる

   アリスのお茶会のミニチュア

   フィギュア集めてます。

   チョコQ も、百五十個ぐらいあって

   服を着替えるときや、本棚の前でほんの背表紙を眺めるときなど

   さわったり、持ち上げたりして見つめています。

   ミツバチ、カタツムリ、カメ、カエル、トカゲ、ヘビ

   などなどあって

   ぼくの詩のなかに出てくるものたちが

   とくにかわいいです。

   アリがほしいのですが、まだ出ていないようです。

   アリといえば、ウィル・スミスのあの映画は

   あんまりよくなかったです。

   ウィルはとってもすきなんですけど。

                      あっちゃんブリゲ。。。 

   

   




ボクサー。 投稿者:あつすけ
 投稿日: 7月27日(日)14時57分15秒



。。。清水さま。


   きのう、プロ・ボクサーの青年と出会いました。

   彼はゲイではないんですけど

   ゲイに好かれる要素をたくさん持っていて

   いろいろな場面で誘われることが多いそうです。

   彼女といっしょの彼を誘うようなことは、ぼくにはできないので

   十月の試合を見に行く約束だけしかできませんでしたけど。

   恋の悩みというのは、どんな恋愛だってできるんじゃないかって思われるほどに

   容姿に恵まれた人間にもあるんですよね。

   恋は想像力によるところ大ですから

   恋はむしろ容姿に恵まれたものよりも

   恵まれなかったものの方が

   より多く、たくさん、いっぱい

   できるのかもしれません。

   経験の少ない方が、奇想天外な冒険譚を語ることができるって場合が

   ありそうですものね。

   ノーナ・リーブズの新譜の一曲目が「数学教師」であることは

   以前にここに書きましたけど

   その曲に出てくる女性の数学教師の年齢が24歳っていうのに

   うふふでした。

   ことし42歳のあっくんですから。

   毎日、ノーナです。

   流れる水が川の形を変えるように

   知らないうちに、ぼくたちの感性は変化し

   浮かび漂う雲が空に形を与えるように

   偶然目にしたものが

   刻々と変化するものが

   ぼくたちの感性を形成するようです。

   イワシ、さいきん食べてません。

   いまから買い物に行ってきます。

   イワシって、あの小さな魚のことですよね

   干物になると目刺しっていうのでしょうか。

   見てきますね。

   ブーン。

   て来て、ガガガッって

   去る。猿。サルー。

   ゴータ、カモン!

   
                あっちゃんブリゲ。。。




イワシのにおい 投稿者:清水鱗造
 投稿日: 7月27日(日)14時18分27秒


あっちゃん、一昨日だかイワシを食べまして、
そのとき指先にかすかな生臭いにおいがつきました。
そのにおいを歩きながらかいだら、
港の景色を思いだしました。
小さい入江に小さい漁船がいくつも係留されていて、
ペンキの白さが目にしみます。
その船のそばに無造作に目の粗い網が置かれています。
歩きながら、前を見ると、また街の風景。
まだくっきりしない積乱雲のくずれたのが、
もうじき梅雨が明けると告げていました。

関さんの詩集の書評、灰皿ネットの倉田さんのサイトに載せ
ました。桐田さんのリタにも載せるそうです。
http://www.haizara.net/~shimirin/kurata/



了解。 投稿者:あつすけ
 投稿日: 7月27日(日)13時31分41秒



。。。ピーチさま。


   わかりました。

   来来週の月曜日に届くようにしますね。

   これからノートの刈り込みをします。

   
                あっちゃんブリゲ。。。   




女-友-達。 投稿者:あつすけ
 投稿日: 7月27日(日)13時26分12秒



。。。関 富士子さま。


   新しい詩集をお送りくださり、ありがとうございました。

   GEORGEの胸ポケット のように

   読んだことを鮮明に覚えているものもあり

   懐かしいものもありましたが

   記憶に残っていないものもありましたが

   どうして残らなかったのか、あれっと思いました。

   キョウコ 1-5 

   に、それをとても強く感じました。

   ぼくの読む時間と状態が

   ぼくに強く記憶させたりさせなかったりする場合があるという

   ことでしょうか。

   ひとつひとつの作品の作り方に明らかな違いがあり

   そこに、関さんの思考傾向の幅の広さを

   また、主題とモチーフの適切な乖離に感性のとんがりを感じました。

   ひとつひとつ。

   これだけのレヴェルで詩集を編むということ。

   ぼくも見習いさせていただきます。

   はじめとおわりに置かれた

   ふたつの「バス」の詩も

   ぜんぜん違う作り方で、でも、タイトルに共通する「バス」という言葉が

   読者に、ないはずの、関連性を思い起こさせる作用をして

   読後にちょっとした不安を与えることもあるのだなって

   うふふ、と思いました。

   関さんが、実際に体験されたことであるのか

   それらが、まったく関さんの想像の産物なのか

   ぼくは、現実と想像の相互作用にとりわけ関心があるので

   どのような傾斜で作用しているのか、とくに関心があります。

   キョウコ 1-5 とか、ハイフンのない表題作(と言っていいですか?)

   女友達

   に。

    
   ことしの夏は

   関さんの刺激的な詩を目にすることができて

   いろいろなものを、いろいろな目で眺められる

   って、そんな気がします。


   夏。

   もうぼくは恋する者にふさわしくない年齢になりましたけど

   ぼくの恋は

   いつも夏にはじまりました。


   できるかな。

   
                     あっちゃんブリゲ。。。

 




やっとメールができるようになりました。 投稿者:あつすけ
 投稿日: 7月26日(土)16時32分55秒



。。。ピーチさま。


   原稿はメールで送ってもいいでしょうか。

   アドレスを公開していなかったり、するつもりがなければ、

   ぼくにメールで

   お返事ちょうだいませ。

   これからちょっとやぼようです。

   ゴータ、シンガソン!

                   あっちゃんブリゲ。。。




エイジくん。 投稿者:あつすけ
 投稿日: 7月25日(金)08時02分34秒



。。。ピーチさま。


   エイジくんのことが思い出されました。

   ぼくたちはあんなに愛し合っていたのに

   あんなに理解しあっていなかったなんて。

   と思うと、ぼくの魂がいかに働きがわるいか、わかります。

   彼も努力が足りなかったし

   ぼくも気取りがあったし

   彼も気取りがあったし

   ぼくも努力が足りなかった。

   ぼくのチープな愛には

   いたずらな思い出ばかりが

   まとわりついています。

   ダンテ、新生再読。

   ゴータ、カモン!

                  あっちゃんブリゲ。。。 




スタイル。 投稿者:ピーチ
 投稿日: 7月23日(水)21時06分12秒


あつすけサマ。

住まいの場所がらもあってか、毎週末、自然と触れあっています。古戦場だった
この辺りには、見えないものの気がたくさん感じられます。
このごろ仲良くしている古道具屋の若い主人は素敵なひとで、彼のスタイルを好
もしく感じます。
「自然な生活が世の中を良くする」みたいなことを言いながら、小さな菜園のあ
る古民家に住んでいたりするところが、感じイイです。
あと、谷の上がお墓ばかりの「極楽寺」という駅の周辺も、やすらぎスポットで
す。言語の違う仲良しくんとよくその辺りを散策するのですが、こんな、恐ろし
い場所にもかかわらず、何も感じないみたいで、一緒に歩くには好都合なひとだ
ったりします。

僕らは、旧制高校時代からの仲良しで、よく、一緒に旅行をしたりしました。
とだけ、書いておきましょう。。。




ぼくは美しい音楽の夢だから。 投稿者:あつすけ
 投稿日: 7月23日(水)19時24分01秒



。。。清水さま。


   2002年11月26日のメモを参照。

   いったん自分の中に入ってこなければ

   それを使えないというのは

   音楽の場合によく当てはまりますね。

   耳が憶えたメロディーは

   いつでも再生できますね。

   いくつもの楽器のパートを同時に再生できます。

   しかし、もしも、その楽器の音が

   ぼくの耳に入っていなければ

   その楽器の音が

   その音楽、そのメロディーが耳に入る以前に

   それとは違う音楽が、メロディーが入ってなければ

   それほど容易に、その音楽を、そのメロディーを再生できたとは思えません。

   また、歩いているときに顕著ですが

   しばしばそのメロディーをもとに違ったメロディーを再生させることもあります。

   音やメロディーを概念や思考に置き換えて考えてみると

   概念同士が結びつこうとする向きがあることが示唆されるように思えます。

   自我の働きもあるでしょうが

   ふと知らないメロディーが

   それとも、憶えていたことを忘れていたメロディーでしょうか。

   
   きのう父が死んだ夢を見ました。

   コアラに似た動物を飼っていたんですけど

   それが父の死を目にして

   「パパ、死んじゃった」といって

   ぼくの胸のなかに倒れこむようにして

   死んじゃったんです。

   そいつは

   グルグル・ドゥールー・ドゥルー という名前で

   ぼくの胸のなかで、悲しみのために死んじゃったんです。

   ぼくは、ぼくの父が死んだことにはぜんぜんこころ動かされなかったのですが

   ぼくの父を愛していたグルグル・ドゥールー・ドゥルーが死んだことが

   悲しくって、悲しくって、声を上げて泣きました。

   その自分の声に目が覚めて

   とてもグルグル・ドゥールー・ドゥルーのことがかわいそうで

   この夢はずっと覚えていなくてはならないと思って

   目が覚めても、しばらく、グルグル・ドゥールー・ドゥルーの夢を追って

   いました。

   胸のなかに倒れ掛かったそいつの感触を思い出しながら。

            
                 あっちゃんブリゲ。。。  




花の中の自転車 投稿者:清水鱗造
 投稿日: 7月23日(水)10時18分57秒


詩のイメージの推移も
じつはリアリティのあるリズムだってことになりますね。

昨日は「花びらの内側を白い自転車で回る」というのを
描いていました。花全体も上昇していく。

その自転車をピカピカに磨いたものにするのか、錆びて
廃品回収に出す寸前のにするか、リアリティを出すには
アイデアが必要でそのアイデアこそ書くものの推移にか
かわっている、というような。




資料 投稿者:清水鱗造
 投稿日: 7月23日(水)10時09分07秒


ヤリタさん、今日お送りしておきます。
来年返してくださればOKですので。(^^)




ごめんなさい。 投稿者:あつすけ
 投稿日: 7月23日(水)01時48分50秒



。。。ピーチさま。


   仮のbからだじゃなかったわ。

   彼にはからだがあったのだもの。

   あれ、仮のからだってのもからだだよね。

   やっぱり、あれでよかったのか。

   ごめんなさい。

   うん?

               あっちゃんブリゲ。。。 




kotoba . 投稿者:あつすけ
 投稿日: 7月23日(水)01時42分52秒



。。。ピーチさま。


   いま帰りました。

   呑み助べえです。

   小説が仮の身体。

   うううん。

   よい言葉ですね。

   言葉が魂の仮の宿だとしたら

   いや、そうなのですよね。

   いや、ピーチ君の言葉で

   ピーチ君の言うとおり

   仮の身体」という方が

   あってるし、美しい。

   同居人の彼と、仮の身体の彼と

   こんど京都にいらしてください。

   
             あっちゃんブリゲ。。。 

    



仮の肉体。 投稿者:ピーチ
 投稿日: 7月22日(火)21時19分50秒


あつすけサマ。

最近、とても恐いことがありました。
「死後には、あらゆる時間に、いたる場所にたやすく存在できるのですね。」
と、あつすけサマが書かれていて、ハッとしました。
物言わぬ同居人と暮らしはじめてもうすぐ 2年になろうとしています。それか
ら、言語の違う仲良しくんとの付き合いも半年が過ぎ、ようやく言葉の壁を乗
り越えつつあります。これらの出会いが、ある符号によって、必然であったこ
とに気づいたのです。
などと、言い切るのは少し恐いのですが、、、
いま、そのことを主題にした小説を書きはじめています。その、実体のないも
に、小説という仮の肉体を与えることに腐心しています。

拙作、読んでいただけたのですね。ありがとうございます。
○○はいつか誕生するのでしょうか。。。




錯乱の扉。10 付記 投稿者:あつすけ
 投稿日: 7月22日(火)19時40分30秒



。。。ヤリタさま。


   「陽の埋葬が、ぼくの遺書に」なるように

   「作っていたのですね。」でも「それでは

   うつわからあふれ出るものが出てきたのですね。

   ぼくの水は、陽の埋葬の形にも

   「大きさにも」会わなくなったのですね。

   合わなくか。

   で、THE GATES OF DELIRIUM。

   で、遺書を展開するつもりなのですね。

   人間は「生きている」間も

   永遠に触れておりますが

   死後には、あらゆる時間に、いたる場所にたやすく存在できるのですね。

   一滴のぶどう酒が、つながった海のあらゆるところに溶け込んでいるように。

   これは、プルタルコスの一節を借りてますが

   ヴァレリーも使いましたね。違った文脈で。(あのすばらしい比喩)

   ぼくが死んでも、ヤリタさんが死んでも

   ぼくたちの不死なる部分は存続します。

   いいえ、肉体でさえ不滅なのですから、やはり

   わたしも、ヤリタさんも、だれもが全面的に永遠なのですね。

   その上で、わたしたちには思考の向きが

   嗜好の向きが与えられているのは

   執着、愛が永遠の架橋、永遠に対する架橋だからですね。

   詩は、詩に対する熱情はその橋の袂の

   端っこにある踏み板にしか過ぎません。ぼくにとって

   おそらくは。

   その踏み板から足を滑らせたとしても

   せいぜい人生に絶望するだけで、ぼくにとっては。

   最終的には回収されるのですね。

   わたしたちは死後も愛し合うことでしょう。

   わたしたちの言葉を、考えを、魂を結びつけてくれることでしょう。

   わたしが、いろいろな、たくさんの人々の言葉を、考えを、魂を

   結びつけるように。

   わたしたちは離れていても、いつでもそばにいるのですね。

   ポオ、ボードレール、マラルメ、ヴァレリー、

   プルースト、ジード、ワイルド、マン、、、

   ぼくのなかで出会うたくさんのひとびと。

   霊魂記録館に行って、ほんとうに詩人が死んだのか

   確かめたいと思っています。

   人間の言葉なら何でも話せるサイボーグ犬の係官に

   操作の手伝いをしてもらわなければなりませんが

   ロゴスの保護のもとでは、ぼくにもアクセスする権利があるはずですから。

   扉が開こうとしているのが感じられます。

   詩人はほんとうに死んだのでしょうか?

   この世界では、だれひとり死ぬはずがないのに。

        
               あっちゃんブリゲ。。。 

   

   

    




錯乱の扉。10 つづき 投稿者:あつすけ
 投稿日: 7月22日(火)19時01分45秒



。。。清水さま。


   今まで君が見てきたものの中で、一番美しい景色って何?

   ゼラズニイのドリームマスターにある言葉ですけど

   ぼくが好きになった子にはかならず聞くことにしてる言葉ですけど

   ぼくの場合は

   琵琶湖の景色なんですね。

   小学生のときに親戚のお葬式で、お通夜でしたか

   夜明けに親戚のひとに連れられて行った琵琶湖の明け方の

   紫一色の水辺の景色と

   高校生のときにともだちと行って見た

   赤一色の水辺の景色なんですね。

   紫と紺の、赤と茶色の光と影が

   美しい。

   変化するものの一瞬。変化するものの、とどめおける一瞬の顔だからでしょうか?

   人間の表情も、一瞬一瞬異なりますが

   わたしたちは、そのうちのいくつかをつかまえて

   感激したり失望したりするのですね。

   人間には表情と言葉があるということが、不思議ですね。。

   表情を裏切る言葉と、言葉を裏切る表情があるということが。

   ミツバチが花から蜜を集めて持ち帰るように

   さまざまな人間の表情と言葉から、人間の表情と言葉に関する情報を集めて


   整理する。ぼくの巣は、人間の表情と言葉からできている。

   では、蜜とは何か?

   ぜったい的にぼくとは切り離されたものでしょうか。

   それとも、ぼくの自我でしょうか。

   あつめてくるのは、ぼく自身の自我でしょうか?

   ぼくとなった自我?

   ホフマンスタール的ですね。

   花も花の蜜も蜜蝋も

   すべていったんは自分の自我と魂を共有したものだとすると

   ぼくの不安は大方が解消されます。

   されるような気がします。

   ある日の会話。

   ぼく「真実なんて、どこにあるんだろう?」

   シンちゃん「それは、お前が求めてる真実がどこにもないってことだろ!」

   「あの花は白かった」(ブライス=エチェ二ケ「幾たびもペドロ」)

   「青ではなかったですか?」(ノヴァーリス「青い花」)

    晴れのち曇りのように

    白のち青。

    だったりする

    「あの花は白かった」

    「青ではなかったですか?」


                 あっちゃんブリゲ。。。 




清水様、ありがとうございます 投稿者:ヤリタミサコ
 投稿日: 7月22日(火)18時34分00秒


清水様

左川ちか関係資料、コピーさせていただけますか?
まあ、本当にうれしいです。
可能であれば、全部拝見したいです。

あつすけ様

ある人に言われました。
あつすけさんは、何年がかりで遺言を書いているの?って。
自分にはあつすけさんの詩集は、すべて遺言のように読める、と。
あまりに鋭さに、私は仰天しました。




錯乱の扉。10 投稿者:あつすけ
 投稿日: 7月22日(火)18時30分48秒



。。。ヤリタさま。


   悲鳴ボックスでは満足できなかったと書きましたね。

   一辺がおよそ5,5センチの立法体で

   その表面は、仕様別に

   猫、蛇、鳩、人間の肌でできていて

   その動物の口が六面のうち、側面のひとつにだけついているのですね。

   注射器で栄養補給してやるのですけど

   それが案外と面倒です。

   一日一回でいいんですけど、ついつい忘れがちで

   三日も忘れれば死んでしまいます。

   飽き性のぼくは、すぐに死なせてしまいました。

   振動盤がついていて、その上に乗せてスイッチを入れると

   ぎゃーという猫の叫び声や、しゅうしゅううという蛇の興奮した音や

   くぐうぐぇええぐええといった鳩の鳴き声や

   男とも女とも言えないぎゃー、ぎゃーという叫び声をきくことができます。

   その叫び声を聞きながら本を読んだり、詩について考えたりしてたんですけど

   あんまり音楽のようにここちよくありませんでした。

   セックスのときに振動盤を激しく揺らすと

   よいと書かれてありましたけど、それもあんまり。

   ちょっと変態ですよね、それって。

   海にあこがれるのは、なぜか?

   永遠の象徴?

   しかし、それは恒常不変のものではない。

   あっ

                 あっちゃんブリゲ。。。  




Sweet Reaction。 投稿者:あつすけ
 投稿日: 7月22日(火)17時55分45秒



。。。ピーチさま。


   題名をここに入れようとすると

   感じが出てきません。

   漢字ですね。

   びいどろ、拝読しました。

   一気に書かれたとのこと。

   いつになくレトリカルなところが控えめに感じられました。

   そのせいか叙述のなめらかさが、印象の連続性を強めていると思いました。

   主人公の年齢設定も、ぼくの年齢に近いせいか

   すみやかに同化できました。

   ○○が誕生しないところで終わっていることが象徴的ですが

   ピーチくんの叙述に変化の兆しが見られるようです。

   つぎは、○○の誕生の場面かなって。

   でも、裏切ることが文学においてはほとんど必須条件になっているのでは

   ないかしら、だとしたら、、、、

   続編があるのかしら、それとも、、、、

   きれいな本、ピーチくんらしいですね。

   とても。

   原稿、待っててね。

   きょうは、ノーナ・リーブズの新譜とグレッグ・イーガンの新しい翻訳小説を

   買ってきました。

   ノーナ、ごきげんです。

   そのひとにとって、忘れられない、こころに残るメロディーがありますが

   ノーナは、それをひじょうにうまく抽出できるように

   曲つくりをしているように思われます。

   Sweet Reaction  しばらく必聴盤となりそうです。

   ぼくも、あかるい詩が書きたかった。

   
                    あっちゃんブリゲ。。。

     




あ、そういえばヤリタさん 投稿者:清水鱗造
 投稿日: 7月22日(火)08時51分14秒


こないだ話題になった左川ちかの資料は以下のものです。

ジェイムズ・ジョイス『室楽』(左川ちか訳、昭和7年刊)
左川ちか詩集(昭和11年刊)
小松えい(字がでない^^)子さんの「左川ちか小伝」(「無限」発表のもの)

全部お送りしちゃっていいですか?




この場をお借りして。 投稿者:ピーチ
 投稿日: 7月21日(月)20時02分44秒


あつすけサマ

そーですか。詩集以外で作品を拝読できなくなるということは、詩集の刊行が
待たれますね。納得のいくものをつくり、いつか、読ませていただけることを
楽しみにしています。
えっ、予備校だったのですね。。。


ヤリタサマ

もったいないくらいな感想をいただき嬉しく思います。
ヤリタサマの感想を読んだあと、つられて、自作を再読。これまたつられて、
少し悲しくなりました。
ヤリタサマが感じてくださったのとは別な理由で、、、
いまは、集中力とスタミナが欲しいです。それが、不足していることが、何よ
り悲しくて。。。




貴一さま、あつすけさま、自分のテイスト守ることって大切です 投稿者:ヤリタミサコ
 投稿日: 7月21日(月)11時43分22秒


貴一さま

ありがとうございます。あまりに美しくって、すーーっと吸い込まれるように読み眺め味わいました。小さな別の宇宙がこの本の中にあって、ページを開くと、すっと別世界別次元に迷い込むようです。軽いめまいのようなかんじで。そして、ぱたんとページを閉じると、夢から醒めるようで、今までのあの切ない気持ちはどうして現実ではないのだろう・・・と悲しくなりました。
現実が悲しいのではないのですよね、この本の世界があまりに美しいので悲しいのですよ。それから、開くたびに、甘美な悲しみ、なんども味わっています。
貴一さんの作品の中では、この前の「彼方」もすばらしかったけど、今回の「玻璃」が一番好きです。なんとも、ほんの少ししか存在しないからこそ、強く感じられる情感というものを感じます。ありがとうございます。

あつすけさま

他人て、どーして、自分自身が信じていないこと、ヘーキでクチにできるのだろう?他人の価値観、信じてもいない慣習、ただなんとなくみんながやっていることを考えも吟味もせずに同じように行為できるなんて。あつすけさんや私のような、自分の考えるところの詩人は、そんなことはできないし許せないし、なによりも存在しないよ、自分の吟味を経ないもの。

自分のテイスト、自分の気持ち、自分が守るしかないのね。
私もときどき、他人が単なる内臓の塊にしか見えないときがあります。
ある日突然気がついたのだけど、生きているって、内臓がナマのまま動いていて腐らないということなのね。骨だけならば、生きていなくても存在し続けるわけですよ。
だから、自分が他人が生きているって、そーか、腐らないことなんだ、と妙に感心しました。母親とか兄弟とか、存在しないことにすることが自分にとっては幸せです。
あつすけさんも、ヒトの言うことにわずらわされないように。

あつすけさんの詩学は、スタイルも含めての詩学だから、あつすけ美学は、他人には煩わされないで貫いてくださいね。何があっても絶対のサポートをします。私は。





GUITAR AND PEN。 投稿者:あつすけ
 投稿日: 7月20日(日)22時06分09秒



 
。。。ピーチさま。


   おひさこです。

   裏切りについての

   ピーチくんの小説のための

   原稿、いますこしお待ちください。

   夏休みはありません。

   予備校ってないのよ。

   作品は、あともう一作しか書かないからね。

   その準備に何年か使うから、分裂機械も今回で。

   前からの約束のあったところは別にして

   もう詩集の形でしか作品を発表しないと思います。

   あと一作。

   ね。

   美しい本、ありがと。

   感想はのちほど。

                  あっちゃんブリゲ。。。

。。。○。●Aぺこ。さま。


   ニーナ・シモンは、ぼくも数ヶ月前に

   ラグビーをやっていた好青年に教えられて

   知りました。

   ぼくが筋肉質がタイプでないのを知るとびっくりしていました。

   ぼくは、筋肉質は馬鹿にしか見えないのでだめなのですね。

   おばかさんに見えるひとは好きなんですけど、バカは嫌いです。

   で、ニーナ・シモンの HERE COMES THE SUN を聴いて

   ぞっこんほれました。

   こんなアレンジってあり?

   でした。

   さびしさを抱きしめて、初めて聴いた夜は

   興奮して眠りました。

   眠れませんでした。  

    



久しぶりに来てみたら。 投稿者:ピーチ
 投稿日: 7月20日(日)11時01分11秒


あつすけサマ

あつすけサマの書き込みがいっぱいあって、びっくり!!
お元気そうでなによりです。
あつすけサマもそろそろサマー・バケーションをとられるのかしらん。。。
作品たくさんできるとよいですね。


ヤリタサマ

ごぶさたしています。お元気ですか。
「玻璃」届きましたか。。。




ニーナ・シモン 投稿者:(○。●A ぺこ。
 投稿日: 7月20日(日)00時11分03秒


なんって今でも聴く人がいるのか・・。




推移 投稿者:清水鱗造
 投稿日: 7月19日(土)22時49分43秒


歳時記に載っているような俳句は、推移の微分のように思うんですよね。
たとえば花の姿のひとつの典型は、やはり一定の時季にある。
すべてが推移のなかにある。安定を常に求めているけれど、その求める
過程そのもの、求める状態がじつは安定した動きで。
顔の美しさをたどっていくとシンメトリで、非個性的なところにいきつ
くそうです。孔雀がシンメトリの羽を競い、そのシンメトリが生殖あら
そいに関係してくるようなものでしょうか。
そうすると、そういうものをもし求めているとすると(無意識に美少女
とか美少年とか)、それもまた推移ということになるんでしょうね。




I LOVE YOU PORGY。 投稿者:あつすけ
 投稿日: 7月19日(土)13時36分20秒



。。。ヤリタさま。


   恋人がいまタイに行ってます。

   一週間ほど。

   希望は打ち砕かれるためにある。

   けさ、電話がありました。

   あっちゃんにも、はやくお嫁さんになってくれる人が現われればねって

   その言葉がどんなにぼくを理性的な人間から離れさせることか

   わからないものらしいです。

   母親という存在は、もしそれがなければ、ぼくはいなかったのでしょうが

   ぼくは、母親の持ち物ではないのに、母親の希いどおりに生きることがぼくの願い

   ではないのに、そんなことすらわからない生き物なのですね。

   ぼくにつながる人間で二番目におぞましい存在です。

   はやく、存在をやめてほしいものです。

   死後もきっと、長い間存在するかと思うと

   ほんとうにぞっとさせられます。

   恋人はいまごろ、ビーチで、友だちとけらけら笑って

   騒いでいることでしょう。

   彼が見つめるひとつの波に、その波の舌先に光るひとしずくの海に

   ぼくの面影があればいいなって思います。

   ニーナ・シモンを聞きながら打ってます。

   ニーナのことをここに書いたつぎの日に彼女が死んだことがあって

   きょう、ぼくは母親のことをここに書かなければならないと思ったのでした。

   何日か前に、ミズ・カンパニーのひとが ホムンクルス2003NSI を持って

   きてくれました。

   ぼくの遺伝子が組み込んである生物玩具です。

   知能はぼくより劣りますが、ぼくそっくりの生き物です。

   とても高価なものですから


   ちゃんとした方法で、本をみながら正確に、手順どおりに拷問したいと思います。
 

   以前に所有していた 悲鳴ボックス ではあきたらなくなっていました。

   悲鳴ボックスも興奮させてくれたのですが、いくら生物玩具だといっても

   やっぱり、もっと人間に近いものでないと満足できないものらしいです。

   むかし、ぼくがまだ子供だったころ、子犬を一日で死なせたことがあって

   かわいそうなことをしました。

   手のひらの上にのるぐらいの大きさのかわいい子犬でした。

   目をつぶったまま死んでいました。

   いったい何度死ねばいいんでしょう、ぼくは。

   ぼくの小さな指は、ながいあいだ、子犬の小さな頭をなでていました。

   
                          あっちゃんブリゲ。。。

   

   

   




錯乱の扉。9 付記 投稿者:あつすけ
 投稿日: 7月17日(木)23時52分25秒



。。。清水さま。


   ジイドが
  
   地の糧  で  願わくば、君自身が目と視線の先にあるものとの間に

   あるようにって(だったと思いますけど)言ってたと思うのですが

   目と視線の先にあるものを概念とすれば

   その間にあるものといえば

   自我ですよね。

   清水さんが、緊張-弛緩の間の推移にあたる部分に

   美を見出されておられますが

   夜から朝に推移する間の束の間の景色の美しさ

   昼から夜に推移する間の束の間の景色の美しさ

   同じ顔は一瞬の間でも存在しない

   わたしたち人間の表情の美しさ

   のように、自我の一瞬の美しさともいうべきものかもしれませんね。

   いや、言葉遊びをしてしまいました。

   自我に美しさなどありませんね。

   自我自体には、ですけど。

   でも、いま思ったんですけど

   ある状態からある状態への推移といえば

   その推移の状態もまたそれそのものですよね。

   概念が形成されるときには

   形成される前と形成されたあとがあるということですよね。

   その推移の間は、なんなのでしょう。

   バインドたる自我は、どうなってるんでしょう。

   バインドの役目が終われば自我はなくなる。

   自我は存在しないもの。

   まるで円の中心のように。

   って、ヴァレリーが言ってますけど。

   いま思ったんですけど

   目よりも先に視線の先にあるものがあるのですね。

   目を精神。

   視線の先にあるものを、概念とすると

   視線が視線の先にあるものを結びつけてる様子を

   自我が概念と概念を結び付けてる様子に見て取ることができますね。

   目のなかの記憶とも。

   うううううん。  

                        あっちゃんブリゲ。。。

   

    

   




錯乱の扉。9 つづき 投稿者:あつすけ
 投稿日: 7月17日(木)23時20分20秒



。。。清水さま。


   その痕跡を隠すことはできないものと思っているのですが

   ヴァレリーやリルケと親交のあったジイドが

   視線の対象と目の間にある、視線そのものに着目していたことは

   ぼくに、魂の場の、魂を共有する場の構図を思いつかせました。

   この魂の共有について、数学的な理論も使って

   何年かかるか、それはわかりませんが

   THE GATES OF DELIRIUM。で記述していくことになると、思います。

   ぼくはもう一作しか書かないことにしました。

   この作品に、残る生涯を傾注するつもりですが

   清水さんがお書きになったように

   魂という言葉は宗教的なニュアンスを含んだものかもしれませんね。

   精神と自我といえば、ヴァレリー的であり

   わかりやすい説明ができるかもしれません。

   まあ、ヴァレリーの言っていることから一歩も出ないものかもしれませんが。

   魂の共有に近い言葉はなかったので

   精神の場で結びつく概念について、自我と絡めて共有という考え方に

   もっていけばよいかもしれませんね。

   第二詩集の注に書いたことを思い出します。

   さまざまなことが結びついているのですね。

   あとでわかることがいかに多いことでしょうか。

   ポオやボードレールやヴァレリーが言ったことに

   ほんのちょっとでも付け足すことができれば

   ほんのちょっとでも深くなることができれば

   ほんのすこしでも先に行くことができれば

   ほんのわずかでもなにごとかいえるものがあれば

   詩人として、そして、ぼくの場合には、人間として

   生きてきた意味があったのだと思っています。

   (愛してきたひとたちとのことは、愛しているひとたちのことは

   詩に比べるとはるかに小さいことなのです。

   シンちゃんは、それがぼくの人間としての限界であり詩人としての限界であると

   言うのですが、そんな健全そうな意見には耳を貸さないぼくなのでした。)

   細部を見る目は貧しい。

   これは、ぼくが考えた言葉ですが、ポオの言葉やボードレールの言葉やヴァレリー

   の言葉の影響があります。

   細部を見るというのは、ただ単に見えるものを漠然と感じ取るだけではないのです

   ね。

   細部を見れば、より深く、より広く見えることもあるはずなのですが

   なぜかしら、直感的に、そう思われたのでした。(6月11日の日記より)

   
                            あっちゃんブリゲ。。。   

   

    

   

   

   




錯乱の扉。9 投稿者:あつすけ
 投稿日: 7月17日(木)22時47分57秒



。。。清水さま。

   
   幻想という枠の中で幻想について考えることは、ぼくには困難なようです。

   それは現実の解釈においては万人に一致した現実の解釈が存在しないように

   視像と幻想によって彩られたヴィジョンのあいだに

   絶対的な相違があるのではないと思われるからです。

   これが現実であるという、現実の視象であると示されても

   さまざまな解釈があり、その解釈による像の見え方があるわけですから

   幻想をイリュージョンに限定することは

   反対に、視像がなにかと問いかけるときに

   かなり極端な、狭い範囲での取り扱いをすることになると思います。

   ぼくは、アリストテレスのような事細かな分類と規定に関してひじょうに強い

   警戒心を持つ者であり、プラトン的な、あるいは、プロティノス的な

   単純な、しかし、繊細な見方に対して強い共感を覚える者であります。

   清水さんの、緊張ー弛緩について

   ぼくは、魂の呼吸であるとかいった言葉を

   以前に THE GATES OF DELIRIUM。に書かせてもらったことがありましたね。

   ボードレールなら収束と発散。あるいは、集中と蒸発。

   ポオの神の心臓

   ゲーテの心臓に模した筋肉収縮と筋肉拡張。

   ヘラクレイトスの、一から万物が、万物から一が、といった言葉を思い出します。

   大岡信さんが、うたげと孤心といった言葉を使われましたが

   これは、とても日本的な事柄から出発しているように見せかけてありますが

   もともとは西洋的な思想・哲学

   そして、聖書にも、すべてのものは神から、また万物は神に帰するといった

   言葉がありますが、きわめて西洋的なコンテキストから出てきた言葉であると

   思われます。

                        あっちゃんブリゲ。。。
   




緊張と弛緩、入れ子、未分化状態 投稿者:清水鱗造
 投稿日: 7月17日(木)10時05分52秒


幻想は、それがかたちづくられる過程と粉々になる過程が緊張−弛緩の
リズムになっているという感じなのかな。
だから生体のリズムにしたがっているというか。イっちゃってる状態の
ままだとリズムがとれない。花は開いてしぼんでいく推移が美しい。
ちょっと違うけど(^^)。

助詞は入れ子方式にしたがっていて(時枝言語学の)、それがアルゴリズム
をつくっていて、プログラミング言語と違って、アルゴリズムは生体のリズ
ムまでも表してしまうものだと思う。

魂……というとなんとなく宗教的に概念化しますけど、感覚で物象にふれて、
観察したことが観察する対象にも影響をあたえ、観察者に影響を与える
「未分化」な状態のままの快楽を味わっていきたいです。




錯乱の扉。8 付記 投稿者:あつすけ
 投稿日: 7月16日(水)23時38分11秒



。。。清水さま。


   時間を越えて魂があるというのも

   時間自体が魂からできていると考えると

   しごく当然な感じがします。

   過去の記憶と現在の感覚によってもたらされるものが結びつけられるということは

   魂のなかで

   かけ離れた二つの時間が、いくつもの時間が

   かけ離れた場所と場所が

   時間と場所が結びつくのも

   時間や場所が魂であるのなら、しごく当然なような気がします。

   もともと魂は

   魂と魂が結びつく場としてあり

   感覚がもたらす印象や

   概念が、私の魂のなかで

   私の魂と共有する場を形成すると

   いったん共有されることなしには

   感覚がもたらす印象や、概念が

   魂のなかに存在することができないので

   魂が時間を越えているというのは

   さまざまな時間に共有されたからであり

   いわば、魂はパッチワークのように

   してできあがっているのだと考えています。

   また

   すべての魂は、さまざまな魂のパッチワークであり、純粋に

   あるひとつの魂が、まったく他の魂とは別に存在することはできない。

   となると

   あらゆる魂はただひとつの魂の

   部分であると

   さまざまな事物や事象が

   ただひとつの魂の

   部分的な現われに過ぎないと思われます。

   身体のなかの

   身体の一部としての手や足や心臓や髪の毛や目のように。

   見たものになるというのは

   もともと見たものが私であるからなのですね。

   すべてのものが魂であるのなら

   しごく当然のように思われます。

             
                         あっちゃんブリゲ。。。

   
   
   
   
   

   




錯乱の扉。8 つづき 投稿者:あつすけ
 投稿日: 7月16日(水)23時04分56秒



。。。清水さま。


   日本語の助詞が

   独立して用いられることがほとんどないのは

   もしかしたらあるのかもしれませんが

   そのときは助詞としてではなく、間投詞みたいなものとしてだと思うんですけど

   て、に、を、は、が

   といったものが、常に名詞や名詞化したものとともにしか使われない

   (きれいのこころよ、とかいった言葉もあるかもしれませんが

   これははずして)ことに

   て、に、を、は、が

   といった言葉が、それ自体、感覚によって

   日本語になった痕跡は見当たりませんが(ぼくにはですけど)

   それが独立して用いられていないことから推測して

   て、に、を、は、が、

   といった言葉は、他の言葉を結びつけるのりのようなものとしてのみあると
   
   思われるのですが(の、という助詞が、名詞化することも

   ありますが、そういった場合はのぞいて、あっ、これを名詞化した助詞の

   の、ではなく、名詞の、の、とするのかもしれませんが)助詞の存在しない外国語

   の場合はどうなのかわかりませんが、しかし、日本語の助詞の存在は

   ぼくに、自我をバインドとしてたら得たヴァレリーの見解が

   ひじょうにわかりやすいのですね。

   なっとくできるものなのですね。

   ヴァレリーは、そのバインドとしての自我をも「私」といい

   バインドされる概念も「私」と呼んでいるのですね。

   ここに以前に書いたことを思い出します。

   夢を見せるのも(夢を作るのも)私で

   夢を見るのも私なら 

   夢自体も私でできいると。

   私であると。

   魂でできた風景も

   その魂の風景を形成したものも

   その魂の風景をみるものもみな私であるとするなら

   私自体が魂であり

   私を形成するものも魂で

   私を形成するのに関与したものもすべて魂であると考えるのは

   しごく当然のように思われます。

   4月号のユリイカにも書きましたが

   においや音や味や手触りといったものをもたらせる

   あらゆるものが魂であると

   また、それが、私であると思うのは

   時間や空間といったものもですね

   とても自然なもののように思われるのですが

   これは破綻だらけの論理でしょうか。

   あらゆるものが魂であると考えると

   あらゆるものが私であって

   ただ役割や機能の面から

   それを魂とか、私とか呼ばないだけで

   意識とか、記憶とか、像とか

   畑の土の下に埋まった死体だとか

   その死体たちから滲みだした夜だとか

   ぼくの手の甲に重ねられる死体の手のひらだとか

   風に飛ばされたビニール袋だとか

   昼のあいだにひょっこり顔を出す夜だとか

   そこだけとんがってる夜だとか呼んでるんだと思うのですね。


                          あっちゃんブリゲ。。。

   
   
    

   
   

     



錯乱の扉。8 投稿者:あつすけ
 投稿日: 7月16日(水)22時32分40秒



。。。清水さま。


   何日か前に

   清水さんがお書きになられた

   感覚が欲求する

   という言葉について、思いをはせていました。

   確かなものとして有らしめたいという欲求が

   感覚によってもたらされるというのは

   じっさいに、そうだろうなってすぐに感じられるので

   感覚が

   というところで

   概念の組み立てに

   そのもともとについて

   やっぱり、感覚と感覚が対象とするものとが結びついて感覚されるように

   概念になるものと概念を形成するものとが結びついて概念が形成されると

   感覚が、他の感覚が対象としたものと結びついたり

   概念となるものと結びついて新たな感覚や概念になると考えますと

   すべての概念のもともとは、感覚と感覚器官が対象とするものであるということに

   なりますね。

   古代仏典にも、それに近いことか

   それそのものが載ってたと思うんですけど

   ぼくも第二詩集の注で言及したことがあって

   思いをはせていました。


                あっちゃんブリゲ。。。 




錯乱の扉。7 投稿者:あつすけ
 投稿日: 7月16日(水)08時03分58秒



。。。清水さま。


   音そのものが頭の中にあるわけではなく

   音というものを認識するわけでしょうが

   たとえば、ノブユキの声を、ノブユキの表情とともに思い出すと

   音として認識できるというのは

   音そのものの記憶だけではなく、その他の記憶の助けがあって

   思い出せるような気がします。

   では、音そのものの記憶だけで音は認識されることはないかといえば

   これまた、そうでもなさそうです。

   電話の鳴る音がときどき聞こえることがありますが

   友だちといて、友だちには聞こえなかったり

   ときどきとまれのあいだぐらいのことですが

   聞いた記憶のない男や女の声が聞こえたり

   ドアをノックするので、ドアを開けたら、だれもいなかったり

   すると、友だちに怪訝そうな表情をされるのですが

   これは時間を越えたエコーのような気がしています。

   ヴィジョンの場合は

   音よりも頭の記憶の要素が多く関与している気がします。

   表情の読み違い

   解釈の取り違えなど

   わたしたちはしょっちゅうしますし

   それって、見ているものを、そのままに見ているのではなく

   見たいように見ている部分があって

   それを延長すると

   見たいものが目の前に見える状態になり

   そのうち、見たいというものだけではないものまで

   見えるようになる。

   脳の中のさまざまなもの

   外界からのさまざまな情報を受け入れ処理するものの影響で

   と思われるのですが。

   意識を形成するものが

   概念や概念のもとになるものか

   自我というものなのか

   自我をどう定義するかによると思うのですが

   概念や概念のもとになるもの

   外からの情報と内からの情報とが

   意識が形成されるときには、その意識を形成する肉や骨になっていると

   思うのですが

   それは同時的なものなのでしょうが

   ちょっとした予感のようなものは

   しょっちゅう感じますし

   それを延長すると

   幻聴や幻視の解釈も

   時間の要素を考慮してなされる場合には

   ふつう言われるところの幻聴や幻視とは違ったものに

   なるかもしれません。

   ぼくの場合は、粉々になることはなく

   あまりにもはっきりとしていて

   まあ、それはぼくがそのヴィジョンや音にとらわれているという

   こともあるのかもしれませんが

   でも、清水さんのその粉々になるというのも

   美しいですね。

   美しいイメージとして感じました。

   補完という言葉はまだよくつかみ取れないところがあって

   はっきりイメージしにくいのですが

   補完といえども

   構成要素のひとつですよね。

   しかし、要素を形づくる骨や肉ではないものですよね。

   うううううん。

                  あっちゃんブリゲ。。。 

   

    

  
   



編集室/雑記帳 過去書き込み 目次前頁(編集室/雑記帳(2003.8.12〜2003.9.27))次頁(編集室/雑記帳(2003.4.18〜2003.7.15))

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