編集室/雑記帳(2000.10.31〜11.11)
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編集室/雑記帳(2000.10.31〜11.11)


清水さん、ご教示ありがとうございます 投稿者:田中庸介
 投稿日:11月11日(土)22時23分07秒


(1) 吉本はポジティブだったのではないかという論点について。

八十年代の前半にぼくが受けた印象だと、「修辞的な現在」とか「全体的な喩」という言葉が一人歩きしていて、現代詩の人たちはどうしてかそこから逃れようとしてストラグルしている印象を強く受けましたよ。そして、彼に現代詩がそのように言い切られてしまったというようなネガティブな言い方は、五年前の現代詩手帖の座談会の出席者の人々もしてしまっているし(言い切られたからそれはもはや新しくない、やる価値がないと短絡するのが間違いだったのでしょうが)。だから、吉本のこの文章はとてもネガティブな印象を結果としてぼくに残しているのですが、たしかに今、読み直してみると現代詩は「ついにやりはじめたなと」思ったなどという賞揚の文章ではあります。でも結果として見れば、その路線で九十年代にどんどんと現代詩が展開してくるというわけにはなってないわけで、それはつまり、そのポストモダン的な受け止め方に問題があったということかなあ、と考えているのです

(2) フェミニズムと接続はしていないのではないかという論点について

>たとえば伊藤のあからさまな性的表現が、たんにそういうものではなく、
>全体的暗喩になっている、といっているようです。(「喩法論」)

その通りですね。ここのところで、その「全体的暗喩」の意味内容がフェミニズム的なものだというふうに読んでいるその吉本の読みをぼくは問題にしたいのかもしれませんね。まあ、「女性詩の現在」路線というものはそういうものであったのかもしれないとは思いますが、伊藤がそうではない方向に展開していくのはその後なので、この時点ではそう読むのが無理からぬことであったということもまあ納得はできますが。




関さん,ありがとう 投稿者:須永紀子
 投稿日:11月11日(土)21時11分56秒


拙い朗読をほめてくださって,ありがとうございます。
できれば全部原稿を見ないで思っていましたが,無理でした。
初めての朗読のときは,顔を上げることができなかったので,
次にはぜひ聞いている方の顔を見て読みたいと思っていました。
読ませてくださった,駿河さんに感謝です。

関さんの何気ない朗読,清水さんのよく通る声,青木さんの
自然なおしゃべり,長尾さんのちょっとはにかんだ感じ,が
印象的でした。
駿河さんは慣れているみたいですね。でもますます謎だわ。
桐田さん&ココさん,吉田多雅子さん,坂輪綾子さんの朗読が
聞けなかったのが残念です。
不思議な空間,不思議な夜でしたね〜。
最後までいられなくて,残念でした。
昨年はちょうど今頃,御苑遠足だったんですよね。

http://homepage2.nifty.com/poem_uki/



Howl 投稿者:関ofuji
 投稿日:11月11日(土)19時26分26秒


須永さん「雨期」の日記読みました。
夕べのハウルでの駿河昌樹さんの集まり、
小さいけれど濃密な、ちょっとわすれられない会でしたね。
あとでゆっくりかきたいけど、
須永さんの朗読とってもとっても
よかったですよ。もう目がうるうるしてしまいました。
初め紙を見ずに前をしっかり向いて語り始めたので、
どきどきしました。
聞き手にまっすぐ向かい合っている、わたしは語りかけられていると
実感したんです。息をのみましたよ。
声は柔らかくて発生も自然なのに、言葉ははっきりしていて
聞き取りやすかったです。「生きる力」に改題したんですね。
長い詩なのに少しもそれを感じさせなくて、最後まで緊張感があって、
人間の一生が読んでいるほんの数分に凝縮されたような詩の力を感じました。
すばらしかったです。また機会があったら聞かせてください。

ココさんが読んだ桐田さんの新作のきりんの詩も、ふたつ目の
言葉が柔らかい感じの詩もよかったですね。
駿河さんはもちろんですが、(この人の濃さはなみたいていではありません。
溺れると殺されそうな気がする。)
しみりんさんもほかの人たちもみんなそれぞれ違う自分の詩の世界を持っていて、
それをじかに感じることができました。
わたしは11時ごろ帰りましたが、あのあともボードレールやマラルメに憑依した
駿河昌樹さんのフランス詩の朗読が続き、このぶんでは
一晩中?という感じでしたよ。

http://www.interq.or.jp/sun/raintree/



昨日は 投稿者:桐田真輔
 投稿日:11月11日(土)14時32分29秒


 清水鱗造さん。ハウルでは田中さんの詩集『Pastiche』をお借りできて、嬉しかったです。会場では、一言もといっていいくらい、お話できなかったのが残念。田中さんの詩集(大岡信氏の帯文は初見。コピーして私製詩集に貼り付けようと思います)は、大事にして、東京ぽえけっとの時にでもお返しする所存でおりますので。




出かける前に一言です(^^) 投稿者:清水鱗造
 投稿日:11月11日(土)09時47分54秒


庸介さん、これからすぐ出かけるので手短に書いて、またあらためて書きますが、
庸介さんの、吉本は現代詩をノックアウトしている、というニュアンスがわかり
ません。
かえって、書き手を称揚しているんじゃないですか? ただし、「日本のナショ
ナリズム」のような書き方をしていて、主人公(吉本が書きたいテーマ)はあく
まで、書き手のことではなく、表現遷移のことでしょう。
フェミニズムに、吉本は接合しているわけではなくて、たとえば伊藤のあからさ
まな性的表現が、たんにそういうものではなく、全体的暗喩になっている、と
いっているようです。(「喩法論」)




あした一の酉 投稿者:山岡広幸(猫耳舎)
 投稿日:11月10日(金)20時52分33秒


須永さん:
うちの母はピンピンしてます。ご心配をおかけしました。
追突されたといっても、コツン、と当たった程度でして。
車、こすると大変ですよね。車、お大事に。

http://i.am/catwalker



言葉の重み 投稿者:ka
 投稿日:11月10日(金)19時39分25秒


>”God is defined by those having been experienced, are being experienced, and will be
>experienced by human beings." - Mr.Tanaka's view on pantheism.(If my English is OK) 
→We don't know what will happen in the future. So, we have no way of knowing
 what is meant by the word, "God"." "Right?"




訂正 投稿者:田中庸介
 投稿日:11月10日(金)13時02分53秒


「比喩論」ではなく「喩法論」ですね

御飯を食べながら書いているので、一部引用がいいかげんであることをおわびします




清水さん、宏輔さん、 投稿者:田中庸介
 投稿日:11月10日(金)12時58分29秒


お答え有り難うございました
シニフィエとシニフィアンというものがある以上、言葉が比喩にならざるを得ないという原則論は納得しますし、それで書かれたどんな詩も比喩には違いないと思います

でも、今読んでいるのは「マス・イメージ論」の中の「比喩論」と、
現代詩手帖85年3月号の座談会で、
伊藤比呂美の詩がいかにダイレクトに書かれているように見えても全部比喩になっているという指摘から、「修辞的な現在」という概念で現代詩をノックアウトしてしまっている吉本隆明を問題にしたいのです

伊藤比呂美の詩のすべてが日常のことばを使っているように見えてもとても強い選択を受けた言葉であり、その選択そのものにメタレベルの意味を見い出すようにして読まなければならないという吉本の指摘はとても的を得ていると思います

しかし、吉本はそこでその「メタレベルの意味」として、女の子でありながら、「セックスの問題を全面に出して語る」という、「男性」にのみ許された書き方をしてしまう、というところで、男をプリテンドしているというふうなことをあげていますが、この現代詩の表現レベルの比喩の問題を、このようなフェミニズムの文脈に強引に接続していることについては、ぼくは判断を留保せざるを得ないというか、よくわからないです。おうかがいしたいのは、この接続はナチュラルなものだと思いますか、ということなのですが。いかがでしょうか。




ひゃあ。 投稿者:田中宏輔
 投稿日:11月10日(金)11時46分46秒



。。。関さま。


   いっぴん   は    ぜっぴん。


   です。


   ごめんなさい。


             あっちゃんブリゲ。。。


2000/11/10。 投稿者:田中宏輔
 投稿日:11月10日(金)11時44分02秒



。。。関さま。


   ありゃま、ぽっ。


   です。


   治られてよかったあ。


   今夜のおかず、ひさしぶりに拝見して


   雨の木での散文もそうですけど


   関さんのエッセイは、いっぴんだと思います。


   エッセイ集をだされればいいのに、って思います。


   す。


   あした、はじめての朗読会。


   がんばってきます。


   う。


            あっちゃんブリゲ。。。

。。。清水さま。


   エスエム。


   かどうかは、まだ考え中です。


   で、話を、ぼくの汎神論の捉え方に戻しますと(戻させてくださいね。)


   たとえば、聖書とは、「神が経験したことが叙述されているもの。」という


   ことになります。


   エジプトから脱出した、名前も記されていない、ユダヤの民。


   悲しみの道を登るイエスに鞭をくれるローマ兵。


   銀貨30枚を手にするユダ。


   さいしょはキリスト教徒を迫害したパウロ。


   イエスのわきに手を入れるまで甦りを信じなかったトマス。


   などなど、みんな、みんな、聖書に出てくる人間は、すべて神だったのですね。


   いや、神が経験したことだったのですね。


   ただし、聖書の記述が事実であって、というのが条件になりますけど。


   (神話的なところは比喩として。)


   汎神論的な考え方から見ると、これまで見えなかったものが見えてくるような


   気がしました。


   ひとりひとりに目を向ける時間が多くなったような気がします。


   他者をより知ること。


   これが、じっさいてきに、自分をより知ることになればいいなって、思います。


   理論でなく、じっさいに、じっさい的に。


   です。


                  あっちゃんブリゲ。。。

。。。庸介さま。


   むかし、詩学に論考として「引用について」というのを書かせて


   いただいたことがあるのですが、そのなかで、ペルシャの詩人


   ルーミーのことを述べていたのですが、そのことを思い出しました。


   ルーミーの言葉が難解だと思った聴衆のひとりがルーミーに


   「あなたは比喩でばかりしゃべっているけど、いっかい、比喩なしで


   しゃべってみてくれ。」と言いました。


   すると、ルーミーは、彼にむかって


   「おまえ自身が比喩なのだぞ。」って言いました。


   イエス・キリストが、弟子たち、聴衆たちに


   数多くの物語を聞かせましたけど、それらはみんな比喩でした。


   と申しますか、


   言語は、もともと比喩的な要素を含んでいるような気がします。


   助詞のように特殊なものでさえ、比喩的なニュアンスを含んでいるような


   場合があるような気がします。


   言語を写像と(言語体系でしたでしょうか)捉える考え方を


   清水さんが以前書いてらっしゃいましたが


   そこから考えても


   言語(あるいは記号)が、比喩的な要素を持つことは明らかな


   感じがします。


   実体に触れること、見ること、言及することなどなど、すべて。


   です。


   よこからでしゃばって、ごめんなさいね。


   ついつい、なつかしくて。

   
   て。


         あっちゃんブリゲ。。。


   


   

 


         




だいじょうぶ? 投稿者:須永紀子
 投稿日:11月10日(金)11時09分11秒


関さん,山岡さんのおかあさん,もうよくなりましたか?
わたしは先月,車を激しくこすってしまいました。
怪我はなかったけれど,修理代がたいへんです。
みなさん,安全運転を。

きょうは寒いですね。
『雨期』の今週の更新は,明日になります。
みなさま,明日の夜に来てください。

http://homepage2.nifty.com/poem_uki/



庸介さんへ 投稿者:清水鱗造
 投稿日:11月10日(金)11時02分52秒


「倒錯」というのは、いろいろな場面にあるかと思いますが、別の例で
「神経症」のほうがわかりやすいかもしれません。「性的倒錯」と一般
にいわれる言葉はそれ自体、「異様」のニュアンスがあります。でもそ
れは全体的な喩からみればその精神状態は異様でもなんでもないわけで
す。それは一般的な誰でもの意識においても同じです。
どんな集団(サラリーマンでもフリーでも)にも通貫して、心的現象(性
的倒錯や神経症)は現われるわけです。

吉本の「日本のナショナリズム」という文章をいま思い出しましたが、
『戦後詩史論』でもかまいません。あるいは柳田國男の『明治・大正史
 世相篇』でもかまわないと思いますが、生活意識全体が喩になってい
る、というようなことを「全体的な喩」といいたいのではないでしょう
か。ですから、庸介さんの疑問への答えは、「現代詩の(全体的な喩)っ
てそもそもが倒錯的なもの」というような見方とは違った方向から、
考えられているのが「全体的な喩」というような概念なんじゃないか、
ということなんですが。

吉本の概念については、上記の3つの文章を読むことをお勧めします。




ねえねえ、 投稿者:田中庸介
 投稿日:11月10日(金)01時13分31秒


現代詩の(全体的な喩)ってそもそもが倒錯的なものなんですか?
吉本隆明ファンの鱗造さん、いかがでしょう。




北村太郎の会 投稿者:関ofuji
 投稿日:11月 9日(木)18時35分24秒


弾丸さん、こんにちは! わたしも沖縄の植物知りたいです。
いただいた山羊の糞、じゃなくて二酸化マンガンだっけ、
と沖縄の風の吹く赤い葉っぱの団扇、たいせつにしています。

ところで、北村太郎の会が近いので、もう一度宣伝させて
いただいていいですか。
++++++++++++++++++++++++++
宮野一世さんからお知らせ
北村太郎の会
日時11月12日(日)14時開場(講演14時半〜16時半)
場所 横浜大さん橋国際客船ターミナル4Fホール
(関内駅から徒歩15分。山下公園にほど近い。公園通りの、
水上警察のある角を海にむかって大桟橋埠頭にのびる道の右手。)

ゲスト 松田幸雄さん、府立三商同級生の方々、吉田文憲さん。
それぞれ「北村太郎と「荒地」」、「三商時代の松村君」、
「戦後詩人北村太郎」という題で講演。
会費 1000円
問い合わせ先 03-3292-0350(世話人 北冬舎内 柳下和久)
当日連絡先 090-4922-4887
+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
>清水さん、もう一つの例の集まりはあまり宣伝すると叱られそうな感じですが、
そんなことないのかしら、どうなのかしら?

>あっちゃん
>黒人青年に凄惨な拷問のようなことをする白人警官の経験。
>   この両者の経験も、神のものなのですね。

と書く自分を「ひとでなし」と感じてしまうあっちゃんはとても「ひとである」
と思います。

http://www.interq.or.jp/sun/raintree/



若井さん、あっちゃんへ 投稿者:清水鱗造
 投稿日:11月 9日(木)13時41分22秒


あっちゃんの下の記事の問題は難しいですね。
でも、むしろ、あっちゃんは、そういう肉体的、エロス的なものに
注目しているわけですよね。SMというのはぼくは理解できないとい
うか、経験がないっていうか(^^)という領域ですが、観念的には、
ラジカルな肉体的なぶつかり合いというのは、「恨み」とか「復讐」
とかいうものを超越したところに行けるのかもしれません。
しかし、たいていの通俗ポルノがそうですが、エロチシズムを追求
した後にその体験自体が社会的制約の中に消えていくんですね(警
察につかまるとか)。
精神科医が臨床的に何かいう場合、相談者が社会的に齟齬をきたさな
いようにするような方向性のことを言うと思います。普通に生活で
きていれば、後はなんでもあり、なんだと思います。特に観念の中
では、想像したり感じたりするのは自由ですもんね。

若井さん、今日仕事行きがけに石川為丸さん宛てのBTを投函しておき
ます。今度はうまく着くといいけど。
沖縄の植物の写真を送ってくださるとのこと、楽しみです。暇なとき
に撮ってください。
リクエストとしてはベンケイソウ科の植物、パキラが民家の屋根まで
達して実をつけているところ、パパイヤが成っている民家の庭、「ウ
ンタマギルー」に出てくるような沖縄の民家、ハブの写真(これは無
理か)、のようなのです。
届いたら、ここにスキャンして掲載しようと思います。
ゆたしく、うにげーさびら。




2000/11/9。 投稿者:田中宏輔
 投稿日:11月 9日(木)08時42分12秒



。。。清水さま。


   けさ。


   テレビを見ていますと、南アフリカだったでしょうか。


   黒人の青年が、白人の警官がけしかける犬に咬まれている


   映像が出てきました。


   白人の警官は、犬から逃れようとする黒人青年の胸を


   踏み付けるようにして蹴っていました。


   。。。。。。。。


   とても残酷なシーンが、さわやかな日本のあさの


   京都のぼくの部屋に映し出されたわけですが


   ぼくの汎神論的な考えを適用すると


   犬に咬まれて、白人警官に踏み付けるようにして蹴られる黒人青年の


   経験。


   黒人青年に凄惨な拷問のようなことをする白人警官の経験。


   この両者の経験も、神のものなのですね。


   とても誤解を受けそうですが


   「神とは、現在・過去・未来のすべての人間の経験を通して存在


   するものである。」という


   ぼくの汎神論の見解からすれば出てくる、ひとつの具体的な例だと


   思いました。


   こういうことを書ける、ひとでなしのようなところが


   きっと、精神科医の言う、「あなたの場合は精神ではなくて


   性格に問題があるのだと思います。」なんてところなのでしょうね。


   けさ。


   テレビを見ていて、上のようなことを、つらつらと


   考えていました。


   きのうもバカなこと書きましたけど、きょうも書いてしまいました。


   うううううううん。


   疲れているのかもしれません。


   ブヒッ。


               あっちゃんブリゲ。。。            




ぺこたん。ぽこたん。 投稿者:田中宏輔
 投稿日:11月 8日(水)14時59分19秒



。。。清水さま。


   さっそく、アンソロジーに加えてくださって、ありがとうございました。


   罫線も、きれいに。


   もうそろそろ、手帖は年鑑ですね。


   100万円問題とか、ことしの中原中也賞問題とか、この掲示板でも


   さまざまな話題が巻き起こりましたが


   インターネットという手段が、問題提起から話題の継続および展開に


   大きく寄与したことは、否定できない事実であると思います。


   ひろがりの速度と大きさ。


   ほんとに有効なツールですね。 


   きのうから、カート・ヴォネガット・ジュニアの読み直しです。


   スローターハウス 5  です。


   作者の人間性がうかがえる小説だと思いました。


   あるいは


   作者の人間性がうかがえるように作者がつくった小説か、と。


   ぼくも、ぼくのこと、どう思われるか、想像して、書いてみようかなって


   思ったことがありまして。


   花のうつくしさとか、道端で遊ぶこどもの無邪気さとか


   年老いた祖母の手をひく、こころのきれいな青年のこととか


   とてもいじわるな患者さんにも、ぜんぜんめげないで看護するやさしい看護婦さんとか


   もう、きれいなもの、うつくしいもの、無垢なもの(とされているもの)のことを


   じゃんじゃん書きだしたら


   って考えました。


   流行りとしては、介護でしょうか。


   ああ、このひとはこころがきれいなんだわ、って思われるように


   書いたりなんかして、って。


   あっ、でも、いまさら遅いですね。


   名前をかえたりして、あるいは、ペンネームででもなければ。


   ぼくの性格は、問題ありと、精神科医に言われたことが


   あるんですもの。


   と、思いました。


                あっちゃんブリゲ。。。


   


   


   


   


   




清水の大親分へ 投稿者:若井弾丸
 投稿日:11月 8日(水)13時47分28秒


お便りいたしやす。さすがにもう蝉は鳴いていませんが、
例のベンケイソウの仲間の雑草は、道端に生えています。シコロベンケイというのですか。
小笠原に自生していたセイロンベンケイソウも
那覇のとある公園にはびこっていたりしています。これはたいした花はつけませんが、
例のは、オレンジ色の綺麗な花をつける優れものです。そのうち写真も送りましょうね。
ところで、ぶー/とら28、確かに届いていないのです。
怪しげな文書ですので、もしかしたら、権力に抜き取られたのかもしれませんな。
すいませんが、も一度送っていただけないでしょうか。大ファンなのでぜひ読みたいです。
今度は、確実を期すために、友人の石川為丸さんあてに送っていただけたらと思います。
彼経由で手渡ししてもらおうかと考えています。
ゆたしく、うにげーさびら。




「うろこアンソロジー 2000年版」更新情報 投稿者:清水鱗造
 投稿日:11月 8日(水)11時22分11秒


あっちゃん、さっそく「うろこアンソロジー 2000年版」に追加しました。
海埜さんのも。青木さんのは、FAXできて、長詩のためもう少し待っててく
ださいね。

【更新情報】
うろこアンソロジー 2000年版
に、海埜今日子さん(海キョン)と田中宏輔さんの詩を追加しました。



2000/11/10。 投稿者:田中宏輔
 投稿日:11月10日(金)11時44分02秒



。。。関さま。


   ありゃま、ぽっ。


   です。


   治られてよかったあ。


   今夜のおかず、ひさしぶりに拝見して


   雨の木での散文もそうですけど


   関さんのエッセイは、いっぴんだと思います。


   エッセイ集をだされればいいのに、って思います。


   す。


   あした、はじめての朗読会。


   がんばってきます。


   う。


            あっちゃんブリゲ。。。

。。。清水さま。


   エスエム。


   かどうかは、まだ考え中です。


   で、話を、ぼくの汎神論の捉え方に戻しますと(戻させてくださいね。)


   たとえば、聖書とは、「神が経験したことが叙述されているもの。」という


   ことになります。


   エジプトから脱出した、名前も記されていない、ユダヤの民。


   悲しみの道を登るイエスに鞭をくれるローマ兵。


   銀貨30枚を手にするユダ。


   さいしょはキリスト教徒を迫害したパウロ。


   イエスのわきに手を入れるまで甦りを信じなかったトマス。


   などなど、みんな、みんな、聖書に出てくる人間は、すべて神だったのですね。


   いや、神が経験したことだったのですね。


   ただし、聖書の記述が事実であって、というのが条件になりますけど。


   (神話的なところは比喩として。)


   汎神論的な考え方から見ると、これまで見えなかったものが見えてくるような


   気がしました。


   ひとりひとりに目を向ける時間が多くなったような気がします。


   他者をより知ること。


   これが、じっさいてきに、自分をより知ることになればいいなって、思います。


   理論でなく、じっさいに、じっさい的に。


   です。


                  あっちゃんブリゲ。。。

。。。庸介さま。


   むかし、詩学に論考として「引用について」というのを書かせて


   いただいたことがあるのですが、そのなかで、ペルシャの詩人


   ルーミーのことを述べていたのですが、そのことを思い出しました。


   ルーミーの言葉が難解だと思った聴衆のひとりがルーミーに


   「あなたは比喩でばかりしゃべっているけど、いっかい、比喩なしで


   しゃべってみてくれ。」と言いました。


   すると、ルーミーは、彼にむかって


   「おまえ自身が比喩なのだぞ。」って言いました。


   イエス・キリストが、弟子たち、聴衆たちに


   数多くの物語を聞かせましたけど、それらはみんな比喩でした。


   と申しますか、


   言語は、もともと比喩的な要素を含んでいるような気がします。


   助詞のように特殊なものでさえ、比喩的なニュアンスを含んでいるような


   場合があるような気がします。


   言語を写像と(言語体系でしたでしょうか)捉える考え方を


   清水さんが以前書いてらっしゃいましたが


   そこから考えても


   言語(あるいは記号)が、比喩的な要素を持つことは明らかな


   感じがします。


   実体に触れること、見ること、言及することなどなど、すべて。


   です。


   よこからでしゃばって、ごめんなさいね。


   ついつい、なつかしくて。

   
   て。


         あっちゃんブリゲ。。。


   


   

 


         




だいじょうぶ? 投稿者:須永紀子
 投稿日:11月10日(金)11時09分11秒


関さん,山岡さんのおかあさん,もうよくなりましたか?
わたしは先月,車を激しくこすってしまいました。
怪我はなかったけれど,修理代がたいへんです。
みなさん,安全運転を。

きょうは寒いですね。
『雨期』の今週の更新は,明日になります。
みなさま,明日の夜に来てください。

http://homepage2.nifty.com/poem_uki/



庸介さんへ 投稿者:清水鱗造
 投稿日:11月10日(金)11時02分52秒


「倒錯」というのは、いろいろな場面にあるかと思いますが、別の例で
「神経症」のほうがわかりやすいかもしれません。「性的倒錯」と一般
にいわれる言葉はそれ自体、「異様」のニュアンスがあります。でもそ
れは全体的な喩からみればその精神状態は異様でもなんでもないわけで
す。それは一般的な誰でもの意識においても同じです。
どんな集団(サラリーマンでもフリーでも)にも通貫して、心的現象(性
的倒錯や神経症)は現われるわけです。

吉本の「日本のナショナリズム」という文章をいま思い出しましたが、
『戦後詩史論』でもかまいません。あるいは柳田國男の『明治・大正史
 世相篇』でもかまわないと思いますが、生活意識全体が喩になってい
る、というようなことを「全体的な喩」といいたいのではないでしょう
か。ですから、庸介さんの疑問への答えは、「現代詩の(全体的な喩)っ
てそもそもが倒錯的なもの」というような見方とは違った方向から、
考えられているのが「全体的な喩」というような概念なんじゃないか、
ということなんですが。

吉本の概念については、上記の3つの文章を読むことをお勧めします。




ねえねえ、 投稿者:田中庸介
 投稿日:11月10日(金)01時13分31秒


現代詩の(全体的な喩)ってそもそもが倒錯的なものなんですか?
吉本隆明ファンの鱗造さん、いかがでしょう。




北村太郎の会 投稿者:関ofuji
 投稿日:11月 9日(木)18時35分24秒


弾丸さん、こんにちは! わたしも沖縄の植物知りたいです。
いただいた山羊の糞、じゃなくて二酸化マンガンだっけ、
と沖縄の風の吹く赤い葉っぱの団扇、たいせつにしています。

ところで、北村太郎の会が近いので、もう一度宣伝させて
いただいていいですか。
++++++++++++++++++++++++++
宮野一世さんからお知らせ
北村太郎の会
日時11月12日(日)14時開場(講演14時半〜16時半)
場所 横浜大さん橋国際客船ターミナル4Fホール
(関内駅から徒歩15分。山下公園にほど近い。公園通りの、
水上警察のある角を海にむかって大桟橋埠頭にのびる道の右手。)

ゲスト 松田幸雄さん、府立三商同級生の方々、吉田文憲さん。
それぞれ「北村太郎と「荒地」」、「三商時代の松村君」、
「戦後詩人北村太郎」という題で講演。
会費 1000円
問い合わせ先 03-3292-0350(世話人 北冬舎内 柳下和久)
当日連絡先 090-4922-4887
+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
>清水さん、もう一つの例の集まりはあまり宣伝すると叱られそうな感じですが、
そんなことないのかしら、どうなのかしら?

>あっちゃん
>黒人青年に凄惨な拷問のようなことをする白人警官の経験。
>   この両者の経験も、神のものなのですね。

と書く自分を「ひとでなし」と感じてしまうあっちゃんはとても「ひとである」
と思います。

http://www.interq.or.jp/sun/raintree/



若井さん、あっちゃんへ 投稿者:清水鱗造
 投稿日:11月 9日(木)13時41分22秒


あっちゃんの下の記事の問題は難しいですね。
でも、むしろ、あっちゃんは、そういう肉体的、エロス的なものに
注目しているわけですよね。SMというのはぼくは理解できないとい
うか、経験がないっていうか(^^)という領域ですが、観念的には、
ラジカルな肉体的なぶつかり合いというのは、「恨み」とか「復讐」
とかいうものを超越したところに行けるのかもしれません。
しかし、たいていの通俗ポルノがそうですが、エロチシズムを追求
した後にその体験自体が社会的制約の中に消えていくんですね(警
察につかまるとか)。
精神科医が臨床的に何かいう場合、相談者が社会的に齟齬をきたさな
いようにするような方向性のことを言うと思います。普通に生活で
きていれば、後はなんでもあり、なんだと思います。特に観念の中
では、想像したり感じたりするのは自由ですもんね。

若井さん、今日仕事行きがけに石川為丸さん宛てのBTを投函しておき
ます。今度はうまく着くといいけど。
沖縄の植物の写真を送ってくださるとのこと、楽しみです。暇なとき
に撮ってください。
リクエストとしてはベンケイソウ科の植物、パキラが民家の屋根まで
達して実をつけているところ、パパイヤが成っている民家の庭、「ウ
ンタマギルー」に出てくるような沖縄の民家、ハブの写真(これは無
理か)、のようなのです。
届いたら、ここにスキャンして掲載しようと思います。
ゆたしく、うにげーさびら。




2000/11/9。 投稿者:田中宏輔
 投稿日:11月 9日(木)08時42分12秒



。。。清水さま。


   けさ。


   テレビを見ていますと、南アフリカだったでしょうか。


   黒人の青年が、白人の警官がけしかける犬に咬まれている


   映像が出てきました。


   白人の警官は、犬から逃れようとする黒人青年の胸を


   踏み付けるようにして蹴っていました。


   。。。。。。。。


   とても残酷なシーンが、さわやかな日本のあさの


   京都のぼくの部屋に映し出されたわけですが


   ぼくの汎神論的な考えを適用すると


   犬に咬まれて、白人警官に踏み付けるようにして蹴られる黒人青年の


   経験。


   黒人青年に凄惨な拷問のようなことをする白人警官の経験。


   この両者の経験も、神のものなのですね。


   とても誤解を受けそうですが


   「神とは、現在・過去・未来のすべての人間の経験を通して存在


   するものである。」という


   ぼくの汎神論の見解からすれば出てくる、ひとつの具体的な例だと


   思いました。


   こういうことを書ける、ひとでなしのようなところが


   きっと、精神科医の言う、「あなたの場合は精神ではなくて


   性格に問題があるのだと思います。」なんてところなのでしょうね。


   けさ。


   テレビを見ていて、上のようなことを、つらつらと


   考えていました。


   きのうもバカなこと書きましたけど、きょうも書いてしまいました。


   うううううううん。


   疲れているのかもしれません。


   ブヒッ。


               あっちゃんブリゲ。。。            




ぺこたん。ぽこたん。 投稿者:田中宏輔
 投稿日:11月 8日(水)14時59分19秒



。。。清水さま。


   さっそく、アンソロジーに加えてくださって、ありがとうございました。


   罫線も、きれいに。


   もうそろそろ、手帖は年鑑ですね。


   100万円問題とか、ことしの中原中也賞問題とか、この掲示板でも


   さまざまな話題が巻き起こりましたが


   インターネットという手段が、問題提起から話題の継続および展開に


   大きく寄与したことは、否定できない事実であると思います。


   ひろがりの速度と大きさ。


   ほんとに有効なツールですね。 


   きのうから、カート・ヴォネガット・ジュニアの読み直しです。


   スローターハウス 5  です。


   作者の人間性がうかがえる小説だと思いました。


   あるいは


   作者の人間性がうかがえるように作者がつくった小説か、と。


   ぼくも、ぼくのこと、どう思われるか、想像して、書いてみようかなって


   思ったことがありまして。


   花のうつくしさとか、道端で遊ぶこどもの無邪気さとか


   年老いた祖母の手をひく、こころのきれいな青年のこととか


   とてもいじわるな患者さんにも、ぜんぜんめげないで看護するやさしい看護婦さんとか


   もう、きれいなもの、うつくしいもの、無垢なもの(とされているもの)のことを


   じゃんじゃん書きだしたら


   って考えました。


   流行りとしては、介護でしょうか。


   ああ、このひとはこころがきれいなんだわ、って思われるように


   書いたりなんかして、って。


   あっ、でも、いまさら遅いですね。


   名前をかえたりして、あるいは、ペンネームででもなければ。


   ぼくの性格は、問題ありと、精神科医に言われたことが


   あるんですもの。


   と、思いました。


                あっちゃんブリゲ。。。


   


   


   


   


   




清水の大親分へ 投稿者:若井弾丸
 投稿日:11月 8日(水)13時47分28秒


お便りいたしやす。さすがにもう蝉は鳴いていませんが、
例のベンケイソウの仲間の雑草は、道端に生えています。シコロベンケイというのですか。
小笠原に自生していたセイロンベンケイソウも
那覇のとある公園にはびこっていたりしています。これはたいした花はつけませんが、
例のは、オレンジ色の綺麗な花をつける優れものです。そのうち写真も送りましょうね。
ところで、ぶー/とら28、確かに届いていないのです。
怪しげな文書ですので、もしかしたら、権力に抜き取られたのかもしれませんな。
すいませんが、も一度送っていただけないでしょうか。大ファンなのでぜひ読みたいです。
今度は、確実を期すために、友人の石川為丸さんあてに送っていただけたらと思います。
彼経由で手渡ししてもらおうかと考えています。
ゆたしく、うにげーさびら。




「うろこアンソロジー 2000年版」更新情報 投稿者:清水鱗造
 投稿日:11月 8日(水)11時22分11秒


あっちゃん、さっそく「うろこアンソロジー 2000年版」に追加しました。
海埜さんのも。青木さんのは、FAXできて、長詩のためもう少し待っててく
ださいね。

【更新情報】
うろこアンソロジー 2000年版
に、海埜今日子さん(海キョン)と田中宏輔さんの詩を追加しました。



2000/11/08。 投稿者:田中宏輔
 投稿日:11月 8日(水)09時32分10秒



。。。関さま。


   昨日のぼくの「元気さを示すところがあって」は


   「気丈なところがうかがえて」


   という意味でした。


   きのう、帰りに、ここで打っていた言葉を反芻していたら


   あまり適切でない日本語を使っているような気がしたのです。


   「たいへんでしたね。」も


   「ひどい目に遭われましたね。」


   の方が、より適切な表現だと思いました。


   気持ちをできるかぎり精確に伝えるには、言葉をもっと


   吟味しなければ、と思いました。


   おゆるしください。


   それに、6日には、「すっかり元気です。」と書いていらっしゃって


   ぼくのおっちょこちょいな言説には、あきれられたかと思いました。


   きょう、もういっかい、「今夜のおかず」を拝見して、確認した次第です。


   
          あっちゃんブリゲ。。。


。。。清水さま。


   ブービー・トラップ アンソロジーに、つぎの作品を掲載していただけないでしょうか。


   よろしくお願いします。


   「陽の埋葬」というタイトルです。




       ーー羽根があれば天使になるの?

       そうだよ。
       でも、いまは、毀れてるんだ。

       ーーその腕に抱えてるのが翼なんだね。

       そう、抱いて、あたためてるんだよ。
       つめたくなって、死にかけてるからね。

       ーーでも、ぼく、そのままの、きみがいい。

       そのままの、ぼくって?

       ーー優し気な、ただの、少年だよ。

       そして、天使は、腕をひろげて
       もうひとりの、自分の姿を、抱きしめました。 



   「ーー」は、一本の罫線です。

   
   10年以上も前の作品ですが、ことしの詩集に収録したものなので


   アンソロジーにいれていただいてもいいかな、と思いまして。


   数年前まで、ブービーに掲載していただいていた先駆形のいきおいは


   いまはなく、言葉の断片がたまりましても、ひとつの作にする統覚力がなく


   ことし、一年は、「これ」と思うものが書けませんでした。


   あっ、まだ、2カ月ありますので、こんな弱気になってはいけないのかもしれませんが。


   でも、12月末に、薔薇窗の〆切があるので、あたらしい


   The Complementary Notes on the Wasteless Land.に、そろそろ


   とりかからなければならず、新作の詩は、また遠のいていくような気が


   します。


   テーマは、ゲーテのファウストの最後のシーンについて、です。


   やっぱり、汎神論、です。


   です。


           あっちゃんブリゲ。。。

         

         
        


   


       



若井弾丸さんへ 投稿者:清水鱗造
 投稿日:11月 7日(火)19時59分41秒


BT28、送ったよ。牧志***の住所でしょ? いま確認したら、データベース
の書きこみも間違ってなかったですよ。戻ってもこないし。
10月に送っているよなー。もう1回送ろうか。マンション名書かないとまずい
のかな。

まだ蝉が鳴いていますか?
まだシコロベンケイは、道端で元気ですか?
 




たいへんでしたね。 投稿者:田中宏輔
 投稿日:11月 7日(火)13時56分01秒



。。。関さま。


   いたいたしい記述のなかに、関さんの元気さを示すところがあって


   よけいに心配です。


   場合によっては、関節や骨は、あとで痛みが残ることがありますので


   病院できっちりとじっくりと診ていただきたいです。


   はやく完治されますよう祈っております。


                あつすけ。。。

。。。桐田さま。


   

    「ただ単に肯定するといふことに大きな快楽がひそむ。」



    ここは、ノートにとっていませんでした。


    でも、この部分には、感じるものがありますね。


    ニーチェのツァラトゥストラに影響されていないと


    ジイドは言っていたようですが、共通するところがところどころあって


    時代が書かしめたものなのかもしれない。


    などと思いました。


    須永さんもお好きなんですね。


    カミュは、生き方も人間らしくて、作品も好きです。


    タンタンが風邪をひいてしまって、しばらく会えないことになりました。


    朗読の練習をひとりでしなければならないので


    自分のせまい部屋に響く、自分の声が


    こわそうです。


    (きょうから、やってみます。)


    はやくタンタンにも治ってほしいと思ってます。


    土曜日までには間に合うか。


    といったところです。

 
    応援ありがとうございます。


             あっちゃんブリゲ。。。

。。。山岡さま。



   朗読、はじめての体験。がんばりますね。


   いつか、ごいっしょできればいいなって、思います。


   ブヒッ。


               あっちゃんブリゲ。。。   


    




清水の親分へ 投稿者:若井弾丸
 投稿日:11月 7日(火)12時31分44秒


お便りいたします。
ようやく秋めいてきましたが、当地はまだ昼間は、暑い感じです。
クーラーはいまだにつけっぱなしです。
国際通りの食堂の前に、「夏バテ回復のためにヤギ汁を」などと書いてあったので、笑えました。
ところで、
評判のブー/トラ、ワッターの所にはまだ届いていません。
早く読みたいので、ゆたしく、うにげーさびら。
海外ですので、もしかしたら、Sea mailで送っていただいたのでは?




真空溶媒 投稿者:清水鱗造
 投稿日:11月 7日(火)12時08分29秒


関さん、昧爽社の昧爽は宮沢賢治の語彙から、取ったものですが、その部分では
ないかもしれません。どこだったかな。
ところで「真空溶媒」は、チョー好きな詩です。賢治にとって、これらの数篇、
「永訣の朝」の連作に続く数篇は、奇跡のような言葉の連なりだと思います。

事故たいへんでしたね。体の具合は長期的に見て、先方とも対処したほうがい
いと思います。

海キョンさんと、青木栄瞳さんから詩が届いていて、これは「うろこアンソロ
ジー」にちかぢかアップロードする予定です。いちぶ、BT29の原稿と重なりま
すが、それらは「詩に関する談話室」にも掲載しておく予定です。

【ニュース】今年じゅうに、吉田裕さんの次のバタイユ論が書肆山田より本に
なります(企画出版)。Shimirin's HomePageで掲載しているバタイユ論も、
反映される本になると思いますので、年内予定らしいので、そのころ手にとって
ごらんになってくださると幸いです。




ご心配ありがとう 投稿者:関ofuji
 投稿日:11月 7日(火)10時42分47秒


>山岡さん、桐田さん。もう大丈夫ですuuuu。

>ところでしみりんさんの「昧爽社」という名前、どこかで見たと思っていたら、
昨日宮沢賢治を読んでいて
「真空溶媒」にこんな行を見つけました。

・・・・・
うらうら湧きあがる昧爽のよろこび
氷ひばりも啼いてゐる
そのすきとおつたきれいななみは
そらのぜんたいにさへ
かなりの影きやうをあたへるのだ
・・・・・・・・
宮沢賢治全集1「春と修羅」ちくま文庫

注によると、賢治所蔵本は、「昧爽」の部分は
賢治の自筆で「朝」と手入れがされているらしいけど。
しみりんさんの「昧爽社」はここからとったのかな?

http://www.interq.or.jp/sun/raintree/



お大事に、です。 投稿者:山岡広幸(猫耳舎)
 投稿日:11月 6日(月)21時47分37秒


関さん、お大事に。
さいきん気をつけて車を運転しようと思います。
のんびりモードでの運転。
あせるとろくなことがないのです。
こないだは母が追突されまして。ヒヤヒヤ。

車って石油を爆発させながら走ってるんだ、
ということを再確認したりする瞬間でした。

田中宏輔さん、朗読会、がんばってくださいね!
詩集、すこしずつ、読んでいます。

http://i.am/catwalker



11月6日午後9時 投稿者:桐田真輔
 投稿日:11月 6日(月)21時37分10秒



関さん
「今晩のおかず」読んで驚きました。
大事に至らなくて幸い。どうぞご養生を。。。

詩集製本。駿河さんの「ぽ」もそうですが、
A4サイズは大きくて見やすいですね。
「ぽ」もたまったら、自家製詩集が作れそうです。


田中さん

須永紀子さんが、ホームページ「雨期」の
「読書日記」(10月27日)で、やはり
『地の糧』を、大切に思っている本だと書いてらっしゃいますね。
グルニエ著の『孤島』という本の、カミュの書いた序文でも、
『地の糧』についての賛辞に近い言及があるのです。
もっとも、読んだ時の、さる事情から、カミュの評価は、
ちょっと屈折したものになっているようですが。

自分で線をひいた箇所は、だれがひいたのだろうと思うくらい、
むかしのことで、今見ると首をかしげるところもあります。
また引き直してみると違うのでしょうね。。
(実は、本に線をひくという悪癖はもう遙か昔にやめたのですが(^^))

「ただ単に肯定するといふことに大きな快楽がひそむ。」
(第二書の終わり近くの部分)

ううむ、しかり、されど、今なら、その箇所だけに線をひくだろうか、などと。。

朗読会、うまくいきますように。




地の糧。 投稿者:田中宏輔
 投稿日:11月 6日(月)11時39分21秒



。。。桐田さま。


   あたらしい詩をつくろうと思っていたのですが


   ジイドの地の糧を読み直していますと、いつの間にか、The Complementary Notes


   on the Wasteless Land.の資料集めの時間になってしまいました。


   桐田さんが線を引いてらっしゃるところと同じかどうかわかりませんが


   どこがいっしょで、どこが違うか


   桐田さんがどんなところに魅力を感じられておられるのか


   ぼくが魅力を感じたところについては、どう思われるのか


   などなど興味深いです。


   扇町での、こんどの土曜日の朗読会。


   あと一週間もありません。


   みっちり練習して行こうと思っていますが


   なにしろ、初体験なので、どんなふうなものなのか


   どんなふうになるものかわかりませんが


   がんばります。


   きのう、寝る前にお風呂に入ったのですが


   服を脱いでいるときに、「しっペ返しはかならず来る。」と


   いう言葉が浮かびました。


   しっぺ返し。


   うううううん、なんか、だれかに悪いことでもしたのかなあ、って


   思いました。


   なかなか寝付けなかったので、寝る直前に


   ノートの整理をしていたら


   ハサミとセロテープを背中にひいて寝ていました。


   朝、ふとんの中にハサミがあるのを見て、こわいと思いました。


   むかし、先輩が、寝ぼけて、ぼくの横でぶつぶつつぶやいてるのも


   こわかったですけど。


   
                あっちゃんブリゲ。。。


   


    




しみりんさん 投稿者:関ofuji
 投稿日:11月 5日(日)21時18分42秒


こんばんは。
木曜はお騒がせしました。もうだいたい治りました。
今度は落ち着いてチャットに参加します。
>桐田さん。
田中さんの詩集の製本、きれいにできていますね。
りっぱな本を大金かけて造るより、こんな読まれ方もかっこいいね。
ふじみのおふじより。




チャットを拝見 投稿者:高木秋尾
 投稿日:11月 4日(土)07時02分08秒


今朝、覗いてみました。
けっこう楽しそうじゃないですか。
もっと早くに気付くべきでした。
朝から、のんびりリンク先を訪問しています。



昨日のチャット 投稿者:清水鱗造
 投稿日:11月 3日(金)23時22分30秒


昨日は、tikiさんのとこを中心に多人数のリアルタイムチャットをしました。
歌人や川柳の方とかいろいろでおもしろかったです。ぼくのほうにもofuji
さんとか、このしたさんとか、二重窓で。ありがとうございます。
文化の日、今日もぼくは仕事でした。ぐふ。でも週のリズムができちゃって
るからなあ。




今日、リアルタイムチャット 投稿者:清水鱗造
 投稿日:11月 2日(木)09時49分24秒


昨日、新潮の「三島由紀夫没後30年」という特別号を衝動買いしてしまい
ました。ぼくは三島というのは文庫などに収録されているものは全部読んで
その後捨てちゃいました。
やはり、ぼくらの世代からいうと、三島も考える年齢でのリアルタイムで戦
争を通過した、第一次戦後派のひとりなんですね。武田泰淳や、竹内好や、
野間宏、梅崎春生、椎名麟三、堀田善衛などと同じ系列で見ていきます。
むしろチャラチャラしているのが、今でもおもしろいのではないか、と思い
ますね(^^)。語弊があるけど。


今日、23時からtikiさんのとこを中心にリアルタイムチャットします。ぼくも帰って
きてたら参加するつもりです。暇な方はどうぞ。
tikiさんのとこのチャットルーム
ぼくのところの簡易チャット




11.2の8時 投稿者:桐田真輔
 投稿日:11月 2日(木)08時21分07秒


田中宏輔さん

インドの踊りと演奏の写真、スキャンして、
画像をすこしいじってプリントアウトしたんですよ。
造本(といっても図画工作みたいなものですが)、
楽しい作業でした。

芳賀さんという方、存じ上げませんが、
なんだか、うれしい夢のような話です。

「地の糧」の文庫本、ひっぱりだしてきました。
表紙がはがれていて、線が沢山ひいてある。

ある種、特別な文学の系譜ってあるように思います。
宣伝などしなくても静かに読みつがれるような。
ウェブで、本好きなひとのサイトなどをみていて、
やはりそういうのがあるんだなと再確認した感じです。




White Page。 投稿者:田中宏輔
 投稿日:11月 1日(水)14時48分01秒



。。。桐田さま。


   第一詩集の拙詩篇を製本してくださってありがとうございました。


   お写真を拝見して、うれしかったです。


   黄土色の、うつくしい色がはえてみえました。(『高野川』での、川の色のように、うつくしい色でした。)


   ぼくが張り付けた絵の写真も張り付けてくださったことには、ほんとうにこころあたたまりました。


   陽の埋葬の大きさで、来年も詩集をつくる予定です。


   The Wasteless Land.が、桐田さんのおこころに触れることができますこと、祈っております。


   The Wasteless Land.の注記の注記も


   いまは、分裂機械や、薔薇窓で発表しておりますが、


   ほかのところでも、論稿あるいはエッセイとして、これからも発表して


   いくつもりですが、いつか、まとまりましたら(4、5年は確実にかかりますね)


   このあいだの陽の埋葬の大きさで、一冊にまとめて出したいと思っております。


   分量が多いかもしれませんから、分冊になる可能性もありますが


   また、分裂機械や薔薇窓に発表した「注記の注記」の注記も考えていて


   増殖は、もしかしたら、とめどもないものになっているのかもしれません。


   KIKIHOUSEのこと、何年か前に、前の仕事場で


   社会の先生が「田中さん、きれいなホームページがあるわよ


   ごらんになったらいかがかしら」と言ってくださったこと、思い出しました。


   芳賀さんという方なんですけど


   ご存じではないですよね。


   ご存じでしょうか。


   きょうはジイドを借りてきました。


   どちらも何回も借りたことのあるものですけど


   ときどき読み返しています。


   一冊は、写真が多い、作家叢書です。


   もう一冊は


   地の糧が入っている、文学全集の一冊です。


   もちろん、もとがよいのでしょうが、翻訳もすばらしいのでしょうね。


   なんべん読んでも気持ちがいいです。


   なんべん読んでも気持ちがいいというのは


   なかなかないですね。


   めざします。


   (決意! 決意!)


   (笑)


                  あっちゃんブリゲ。。。               


     


   


   


   


   


   って、


   


   




報告というか広告というか。 投稿者:桐田真輔
 投稿日:11月 1日(水)11時29分21秒


今朝、田中宏輔詩集『The Wasteless Land』(書肆山田)が届きました。
取り寄せということもあり、
紀伊国屋ブックウェブで注文してから、届くまで18日ほど。

あと田中さんからいただいたコピー原稿をもとに、
つくってみた簡易製本の『Psatiche』の写真を
ホームページに載せたので、お暇の方はご覧ください。

http://www.linkclub.or.jp/~kiri



きゃー、 投稿者:田中宏輔
 投稿日:11月 1日(水)09時45分16秒



。。。ヤリタさま。


   って言うと(たしか、詩マケに行く途中で、坂道にある家の軒先に


   吊るしてあった植木鉢から垂れ下がる植物の蔓の気味悪さに)


   何がきゃーや!


   って、言われます。


   タンタン(パンダじゃないって、さいしょのころ、言われましたが)のこと


   気に入ってくださって、うれしいです。


   目が似てるっていうのは、意外だとタンタンは言ってますが


   むかし、ノブユキと旅行したときに


   何度か、兄弟に間違われたことがあって


   まあ、ぼくはデブ専のデブだからかなって思ったこともあるんですが


   似てるところのある子が好きっていうのは


   自己愛がつよい証拠なのかもしれませんね。


   汎神論を指示しているのも、肥大化した自己愛からかもしれません。


   うううん、まだまだ考察しなくてはいけませんけどね。


   薔薇窗のエッセイ、面白かったですか?


   きのう、タンタンの前で、思い出の夏、反射光、Opusculeを朗読して


   みましたら、いろいろと注意されました。


   なんで、そんなに感情の無い読み方をするの?


   読み上げるもんじゃないんじゃない?


   言葉を切って、切って。


   とかとか、どかどか言われました。


   うううん。


   こんどは、時間を計って、きちんと練習して


   聞いてもらう約束をしました。


   ふたりで、きのう、CD聞きました。


   きれいなメロディーに感心していました。


   ヤリタさんの声の麗々としたところにも。


   じゃんじゃん!


   あしたから4連休なので、きょうは帰ったら


   ひさかたぶりに新しい詩の構成を練ってみたいなって思っています。


   京都のアスタルテ書房の薔薇窗展が好評につき、1週間延びたそうです。


   自分のことのようにうれしいです。


   あっ、自分のことか。


   ぷんぷん!

                あっちゃんブリゲ。。。


        


   


     




「街 詩と映像」 投稿者:片桐 怜
 投稿日:10月31日(火)21時30分53秒


清水鱗造さん、改めて全部を見ました。
詩と映像との組み合わせが、とても新鮮です。モノトーンの
郊外の道、濡れた草、時計、空の雲、街の風景などがいかに
も幻覚的で、わたしにもこのように目の前の世界がほんのし
ばらくでも見えたらと思いました。
でも、わたしは詩人ではなく、ただの人だからわたしの目に
は難しいかもしれません。
白い線(1997.4.27)
トラフィック・インフォメーション(1997.6.23)
冬の罠(1999.1.11)
ウェザー・リポート(1999.5.2)
郊外(2000.11.1)

写真、そう言えば一枚だけ、薄い色つきのものがありました。
冬の罠(後の方の時計)




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