編集室/雑記帳(1999.7.21〜7.25)
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編集室/雑記帳(1999.7.21〜7.25)


はじめまして 投稿者:ヤマザキ
 投稿日:07月25日(日)22時29分37秒

はじめまして。
会話の流れもつかめないままにいきなりでごめんなさい。

声に出して読むために創られる詩というものもあると思います。
詞ではなく詩としても。
聞きかじりですが、舞踏の世界では外的リズムと内的リズムの関係があります。
歌は主に外的リズムとして存在しますが、
詩は内的リズムとして存在するのではないでしょうか?
だから、書かれた文字に内在するリズムをつかみ出して、
声に立ち上げることができるなら、それはそれ自体で作品として
成立するのだと思います。
ただ、たしかに詩人の方が朗読する場合、自らの身体を使って、
声を出して表現するのだということにあまりにも無頓着のような気がします。
文字表現としての詩そのものによりかかっていて、音声として意味が観客に伝われば
いいというようなやり方です。プロではないのは当然ですが、声に出して読むからには
素人ながらに自己の身体性に心をくばってリーディングするという姿勢が必要なのだと
思います。
要するに書かれた詩と朗読はまったく違う表現だということが言いたかったのです。



Say hello to iBook!!(笑) 投稿者:hiro-y
 投稿日:07月25日(日)20時49分06秒

突然ですが思ったことを。詩と詞の違いがあります。
メロディを持っているか、いないか。
でも朗読という作業で、
読み手は一定の自分のリズムを持ちます。
詞ではないけれど、奏律を持つのです。
だからもしかしたら
負になるかもしれないし、正になるかもしれない。
だから読みたい人はやればいいし、
ひょっとしたら朗読請負人なんてのも成り立つかも。
でもそのリズムがなるべく
皆に共通のものであって欲しいですね。作る側に立ったら。
ぼくが詩を書く目標は、暗誦できるようなもの。
しかもポップに。なかなかできませんが…(^^;
最近、暗誦できるような詩って少ないでしょう?


http://park.millto.net/~hiro-y


今日が重なっていた 投稿者:K.O. or kaoki
 投稿日:07月25日(日)19時00分52秒

どっちか消します。



伝えるということ 投稿者:K.O. or kaoki
 投稿日:07月25日(日)15時18分51秒

詩の朗読の話がひとしきり続きました。それについて一言。

その前置き。
今日数ヶ月前に買ってそのまま埃をかぶっていたTITANICKのVIDEO版を今日見ました。
人より遅れて感動しました。巨大な客船の映像、人の会話、人の表情、BGM、それらが
全て織り成されて伝わる筋は単純明解。単純明解であればあるほど感動を呼ぶ。莫大な
資金を投じて制作されたせよ、伝えるべきことを伝えていたと感じました。感動の余韻
が残る中でこれを書いています。(いわば、**さんと類似の酩酊状態(^!^))

詩であれ、絵であれ、音楽であれ、^何かを伝える点^ では同じであり、それそのものが
目的ではない筈です。ですから、単独のツールで伝えるよりもそれらの組み合わせに
よって、「伝えたい人」が「伝える人」に「伝えたいこと」を効果的に伝えることが
できればそれでいい
のだと思います---伝えるためにあるのでは無いというのであれば
話は別ですが。ですから、朗読を組み合わせることで、伝える効果が上がるのであれば結構な
ことです。しかししわがれ声で聞きづらかったとか、そんな理由で、作者の意図が活字だけを
追う場合よりも伝わらなかったというのであれば、それは意味がなかったということになり
ます。ただ、単にそれだけのことだと思います。それと、音で伝える、例えば歌手は~訓練に
訓練を重ねて到達した声~で伝えるのに対して、朗読に関して、訓練の浅い人が朗読すれば
~伝わり程度~は低いレベルにとどまるのでしょう。

至極単純な話に還元されるような気がします。如何でしょうか? 詩によって世の中を
もっと感動させるということがあってもいいのじゃないか?、そう思ってます。人生論
を詩にして筆でふにゃふにゃと大きな字で書いて体裁を整えるなんてのは好きじゃあり
ませんが、澄み切った空の青さに突き抜けるような感動のある~詩~があっても罪にはな
らないでしょう。と......思うけど、如何でしょう?

清水さん:英語掲示板のリンクは何処ですか? URL記載者は少ないと思いましたが。


http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Namiki/6256/index.html


はじめまして 投稿者:笠井嗣夫
 投稿日:07月25日(日)12時40分00秒

清水さん、はじめまして。リンクありがとうございます。

詩のボクシングについて書かれた萩原さんの文章について切れ切れの感想を
「文屋」に書いたら、こちらに移動することを勧められたのでやってきました(^^;
よろしくお仲間に。

まだここでの話の流れがよくわからないので、皆さんのお話を聞かせていただきます。
ぼく自身は、人前で読むってすきではないです。



住居を仕事場に近付けたら、 投稿者:田中庸介
 投稿日:07月25日(日)01時03分38秒

土曜日でもクレイジーに13時間くらい働いてしまうようになっています。
ひさしぶりに夕方、駅前の本屋まで出かけて、藤森照信の「タンポポハウス」の本を
買ってきました(朝日新聞社刊)。家は変てこだけど、この本は面白かったです。



清水さん 投稿者:
 投稿日:07月24日(土)23時12分54秒

許可をありがとうございます。
ネット版のrain tree にだけ掲載します。
下に「ネタがなくなった」と書きましたが、詩のストックがないということです。
ネタはあるんですう。
こちらにリンクしておきます。
紙版は今制作中です。来週にはお送りできます。
いま紙折りをしている最中なのですが、けっこうたいへんですよね。
清水さんもBTを手で折っているとおっしゃっていたことがあるので
がんばろうと思います。
もしあれでしたらわたしの分は自分で折りますのでそのままお送りください。
それからBT27が出たらみんなで一度集まりませんか。
9月ぐらいなら駿河さんも帰ってきます。
(かれは8月中フランスだそうです。)
須永さんもみなさんに会いたいと言っています。
(須永さん。長尾さんはこのごろピカチュウに似ています。)
布村さんはどうしているでしょうね。
たしか恋に落ちていらっしゃるんですよね・・・。
それから吉田さんのメールアドレス教えてくださって
ありがとうございます。
まだメールしていません。
ぐずなわたし・・・
もうひとがんばり。


http://home2.highway.ne.jp/ofuji/


関さま 投稿者:清水鱗造
 投稿日:07月24日(土)22時22分05秒

関さん、もちろんご自分の詩をrain treeの載せるのかまわないです
よ。来週、新しいのができるんですね? 楽しみにしています。

kaokiさん
>それから、清水さんの訳も素晴らしいのですが、一個所気になりま
>した。「木々の幹や枝は単純にまっすぐのびてはいない」と、
>...枝....をいれてらっしゃいますが、わたしは不要ではと感じまし
>た。木々の太い幹が角度を持って傾斜しているという単純明快な事実
>がぼやける感じがしました。

そのとおりなんですが、後でtwigsが空を切るって感じが出てくるので
(最後の短歌とか)、意識的に入れてるわけでもないですが、適当に
いれちゃったのです(^^)。
こういう試みは特に遠隔地でやるとおもしろいと思います。ロンさんの
とこでいえばブルーオークの林の写真とかね。彼に一枚、絵をスキャン
したものをいただきましたが、確認してませんが、プロじゃないかという
感じです。
kaokiさんのとこも、なんか遠隔地って感じですね、ここから。
そうそう、epistles っていうの難しいでしょ、最初の詩の。
あと、listen thin sky ...
でも、なんかユニバースを感じますよ、外国の方とこういうの
やると。英語のほうの掲示板、お留守になってますが、掲示板
のリンクを辿るとなかなかの方がいます、アメリカでもオース
トラリアでも。
もう少し英語ができれば、じゃんじゃんやるんですけどね(^^)。



清水さま 転載許可願い 関 投稿者:
 投稿日:07月24日(土)13時11分54秒

朗読談義中失礼します。
BT27に掲載の拙詩のことですが、rain tree に転載してよろしいでしょうか。
自分の詩のネタがなくなってしまって四苦八苦してます。
もしよろしかったら来週の木曜にアップします。
ええと、朗読の件。
有名でも無名でも芸になっていなくてもいても本人のでも他人のでも聴くのはなんでもOKです。
ただし前もって読んでいて好きだなと思ったもののほうが聴きやすいです。
自分で読むのは今のところ興味が失せています。
ここは小学校の学級かいではないので、賛成とか反対とか何に一票というのはやめてほしいです。
いろいろな考えがあるということです。


http://home2.highway.ne.jp/ofuji/


それでは私なりに整理すると、 投稿者:田中庸介
 投稿日:07月24日(土)13時10分32秒

営業は営業でその中に人生の喜ぴと楽しみがあると思うし、別に
編集と営業とどちらがつまらない、ということではないと思います。
番組の中で言っていた谷川さんの発言で、
これまで詩というものをたくさん書いてきたけど、この二年は
ちょっと書くのをお休みにして、その書いてきた詩を人の前で
読んで聞いてもらうという活動をしてるんだ、というのがありました。
ミュージシャンのプロモーションビデオの中にちょっと芝居するシーンがあるとき、
その芝居が下手でもそれはそれで楽しいし、オッケーなのだ、というのと似てませんか。
編集サイドの立場としては、谷川さんにもねじめさんにももっとがんがんと
作品を書き続けてほしいというのは当然あるんでしょうけど。
これでどうですか?

それでは私なりに整理すると、 投稿者:田中庸介
 投稿日:07月24日(土)13時10分32秒

営業は営業でその中に人生の喜ぴと楽しみがあると思うし、別に
編集と営業とどちらがつまらない、ということではないと思います。
番組の中で言っていた谷川さんの発言で、
これまで詩というものをたくさん書いてきたけど、この二年は
ちょっと書くのをお休みにして、その書いてきた詩を人の前で
読んで聞いてもらうという活動をしてるんだ、というのがありました。
ミュージシャンのプロモーションビデオの中にちょっと芝居するシーンがあるとき、
その芝居が下手でもそれはそれで楽しいし、オッケーなのだ、というのと似てませんか。
編集サイドの立場としては、谷川さんにもねじめさんにももっとがんがんと
作品を書き続けてほしいというのは当然あるんでしょうけど。
これでどうですか?



声だせば、すっきり 投稿者:萩原健次郎
 投稿日:07月24日(土)11時53分14秒

1.生きていること 2.詩を身体に持つ(感じる)こと 3.詩を書くこと
4.詩を他人に公表すること 5.詩誌を編集発行すること 6.詩誌を営業(プロモート)すること
7.詩集を編集すること 8.詩集を出版すること 9.詩集を営業すること
10.詩を人前で読むこと 11.詩を人前で読んでお金を取ること 12.詩を読むことを身体に持つこと
13.生きていること 14.詩を身体に持つこと 15.詩を書くこと〜〜〜〜〜〜〜

まあ、詩を芸に変えてもいいでしょう。
1〜4が、人のプリミティブな欲望だとすれば、芸もまた、
資本主義うんぬんより以前に、本源的だと思うのです。
衣食住とはいわないまでも、衣食住性詩芸などと連なる
ある意味で混在した欲求のような気がするのです。

営業は、5.6.8.9.11に介在しますが、他は、恣意的な欲求です。
聞き手あるいは、読み手がそれにつきあうかどうかも恣意的です。
だから、もしも田中さんがいうように「営業」として納得していたりしたら
谷川さんも、芸の欲求が萎えると思うのです。
ぼくもそう思った時点で、芸心はしぼみます。
10の欲望ってあるんです。

整理して考えようと思ったけど、よけいこんがらがった。ごめん。


http://web.kyoto-inet.or.jp/people/hag02041/


傾斜に訂正くださいませ。 投稿者:K.O. or kaoki
 投稿日:07月24日(土)07時28分39秒

傾斜です。



感動 投稿者:K.O. or kaoki
 投稿日:07月24日(土)07時27分40秒

ピートさんが写真を見て書いた詩を読みました。

清水さんがピートさんに御殿場付近の木々の写真を送る。
その写真を見てピートさんが詩を書き送り返してくる。
それを清水さんが日本文に訳す。

イメージ-->写真-->イメージ-->言葉-->イメージ-->言葉というプロセス
これらのプロセスに微笑ましいものを感じると同時に、
ピートさんの感覚、それと先ずはああいう写真を撮る清水さん
に感動します。恐らく清水さんは清水さんでファインダーの奥に
ビートさんとはまた異なる世界を見ていたのかも知れませんし、
あるいは径斜面に座ったボールは打ちにくいなどと考えていた
(これ冗談です)かもしれません。一枚の写真でいろいろな思いが
浮かぶ、実に楽しいことのように思います。同じ音楽を聴いて
書かれた詩は人それぞれ、同じ景色を眺めて書かれた俳句は人それぞれ、
同じ蝉の鳴き声を聞いて書かれた短歌は人それぞれ、と人の思いのカラフルさ
を思い浮かべます。

実は毎日眺める、私の家の前の、川鍋の、土手石垣の隙間から(のが実に5個も並ぶ景観)
茎を出した雑草sが赤い小花sを付けて並んでいます。この雑草sの茎sは傾斜した石垣の角度
とは無関係に上に向かって垂直に何故伸びないのかなと常々不思議に思っていました。
ですから、御殿場のあの写真を見てあっ!と思いました。赤い花の雑草は傾斜した石垣と
同じ傾斜角度で反対側に伸びて行くような気もしますし、何故、上に真っ直ぐ伸びないのか
まだ自分の中で解決がついてません。地面に這って行く根との関係かなとも思いますし...。

それから、清水さんの訳も素晴らしいのですが、一個所気になりました。
「木々の幹や枝は単純にまっすぐのびてはいない」と、 ...枝....を
いれてらっしゃいますが、わたしは不要ではと感じました。木々の太い幹が
角度を持って傾斜しているという単純明快な事実がぼやける感じがしました。
英文に枝という表記はないと思います。如何でしょうか?

ああいう試みは今後も続けられるのでしょうか?


http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Namiki/6256/index.html


酔ったついでに 投稿者:清水鱗造
 投稿日:07月24日(土)01時05分29秒

昨日、沢孝子さんから、「新日本文学」を送っていただきました。
たぶん沢さんが書いているから、数部謹呈されたものを1部送って
いただいたのだと思います。
ここに〈インターネットで詩はかわるか〉という小特集をやって
いまして、長尾さんや志郎康さんのサイトのこと、shimirinも出
てきます。井上俊夫さんが書いてらっしゃって、77歳の井上さん
の文章と目配りに驚きました。僕のところからリンクしています
が、ほかに堀剛さんが書いています。



梅雨明け! 投稿者:清水鱗造
 投稿日:07月24日(土)00時49分02秒

ちょっと今までFAXを待っていて、来たらビールを飲み始めて
しまいました。後で続けるかもしれないとして、萩原健次郎
さんと田代俊基さんが書いた、テレビで放映された「詩のボ
クシング」についての感想、納得させられました。長尾さん
の感想にも同意できます。さらに庸介さんの言うような面も
あるのかもしれないと思います。
ちょっと延長してみるとすれば、萩原さんの「芸」の視点と
(浪花のアホの坂田とか山田花子はいいんじゃないかと思っ
ておりますので)、では、僕たちが実際にやる機会がある
朗読とか朗読ビデオ収録ということについてにおよびます。
ちょうど、書肆山田から刊行された片岡直子『素敵なともだ
ち』と、彼女の朗読CD『かんじゃうからね』(STKN-98012)
というのをいただいたのですが、まだCDは封を切ってあり
ません。やはり先に活字を読んでみるわけです。
僕はねじめ氏には何回か谷川氏には一度お会いしただけで、
番組は見ておりません。でも、萩原さんや田代さんの感想
以上でも以下でもない感想を抱くと僕は思いました。

というところで酔ってきました。ごめんなさい。



まあ、あれは営業ですから。 投稿者:田中庸介
 投稿日:07月24日(土)00時31分39秒

否定的な意見が多いようですが、そんなに皆さんが目くじらを立てるほどの
大したできことでもなかったのでは?
表現として一流だったかどうかなんて考えたら、腹が立つのは当たり前でしょ。
編集の立場から営業のやつがやっていることを見るといらいらするのです。
でもあれはただの販促のキャンペーンなんだから、ねじめ、谷川のご両人、
現代詩の営業マンとして、あんなことやってくれるだけえらい、と思ってあげましょう。
谷川さんもそのつもりなんでしょ?
誰か、田中庸介の詩集で谷川俊太郎と戦ってくれたりしないかなあ。
ひょっとするとほんとに勝てちゃったりするかも。そしたら詩集も売れるしね。


http://www.asahi-net.or.jp/~fd6y-tnk/


詩のボクシング 投稿者:田代俊基
 投稿日:07月23日(金)23時14分14秒

萩原さんのように無惨とまでは思いませんでしたが、面白くはありませんでした。詩のボク
シングの感想をコラムス2というコーナーの谷川朗読会という記事に書いているのでよろし
かったら、ご覧ください。
なお縦書きですので、マックは等幅フォント、ウィンドウズはMS明朝にフォント設定するこ
とをお勧めします。


http://home2.highway.ne.jp/sinb/columns2.html#9


詩人と朗読者のバランスは、 投稿者:田中庸介
 投稿日:07月23日(金)22時02分43秒

出版社でいうと編集と営業のバランスに似ている
という気がしています。今の朗読の盛り上がりは、営業もっとがんばれ
と言っていることのような気がしてなりません。
詩のボクシングのテレビ、歌合わせの現代版みたいで
面白かったです。



萩原さんの批評の感想 投稿者:長尾高弘
 投稿日:07月23日(金)21時56分29秒

私はそのテレビを見ていません。谷川さんとねじめさんの朗読は見たことが
あります。そういう前提で萩原さんの文章を拝読しました。
萩原さんが問題にされている「芸」ということですが、私は資本主義的な意
味で金を取れるか取れないか、専門家と非専門家の境界があるかということ
なのではないかと思います。歴史上、朗読者としても一流でなければ詩人と
いう芸人とは認められなかった時代と場所は、確実にあったと思います。今
も、あるいは朗読者、パフォーマーとして一流でなければ、詩人として流通
することはできないのかもしれません(現在の詩の状況を知った上で詩を読
んだり書いたりしている、多少なりとも特殊な存在である人々を除いた一般
社会の期待からすると)。谷川さんの朗読は非常に聞きやすく世界に入りや
すいものだと思いましたし、ねじめさんの朗読は息を吸ったり吐いたりする
音までも聞かせる巧みなものだと思いましたが、詩の読者としての私にとっ
ては、谷川さんもねじめさんもまず第1に印刷された詩を作る人であって、パ
フォーマーとしての存在は第二義的な意味しかありません。そして、ご本人
たちにとっても、パフォーマーとしての存在は、第二義的なものではないか
と思います。だとすれば、萩原さんが「芸」と「文化」の間でどっちつかず
になっていると感じられるのも無理のないところでしょう。
でもまぁ、それでいいんじゃないですか? 生きていく上で詩が欠かせない
がゆえに詩に関わっている人にとって、流通することや芸人になることは、
第1の目標にはならないでしょう。気が向けば、不特定多数を相手に金を取っ
て朗読をするかもしれません。しかし、観客も芸を期待してくるわけではな
いでしょう。金を払うときでも、きっと赤字を出すであろう主催者に対する
カンパのようなつもりで来る。そういう文化は、間違っても「芸」の世界で
はありませんが、成立し得ると思います。
ただ、「詩のボクシング」というタイトルでやるからには、資本主義的な意
味で金を取る「芸」になっていなければならないかもしれませんね。そうい
うことを意図していない二流・三流の朗読会の方が救いがあるかもしれませ
ん。

詩のボクシングのことを 投稿者:萩原健次郎  投稿日:07月23日(金)10時51分20秒

テレビで見た「詩のボクシング」の観戦評をきょう、7/23の日録に
書きました。ここにものせようかと思いましたが、少々長いので
下にリンクしました。読んでいただいてご意見うかがいたいなあ。


http://web.kyoto-inet.or.jp/people/hag02041/diary.html


東京出張 投稿者:K.O. or kaoki
 投稿日:07月23日(金)01時35分15秒

昨日最終便で羽田へ、モノからJR山手線へ、車内は赤ら顔、男女の寄り添い、
草臥れおっさんの居眠り、それから青口紅の女2人爪は金色先祖はチンドン屋か
(これ差別用語?清鱗さん?わたしも今少し酩酊亭)。中央線快速のお茶の水で
総武線鈍行に乗り換えて水道橋下車。雨はパラパラ。グリーンホテルが目的地。
途中で蕎麦屋に入る。汁がしょっぱい(東京弁)。

で、今日(昨日かもう)9時から会議、3時半に切り上げて本屋に寄って、最終便
一便手前で帰ってきたところ。

書き込み回転が凄いですね。人気掲示板よよっ!(酩酊亭)


http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Namiki/6256/index.html


萩原さん、さすがに 投稿者:田中庸介
 投稿日:07月23日(金)00時11分34秒

きれいな整理ですね。
朗読「別物」説、ありがとう。
まったく同感です。朗読する人が書く人と「同一人物」でなく「別人」であっても
オッケーかも、というのはまさにそういう考えのためのものなんでした。
そうそう、歌人の枡野浩一さんの掲示板で以前てるやすさんという方が
日本の詩の朗読はまだかなりインマチュアな状況なのではと発言されてましたが、
朗読のこと、時間をかけていろいろやっていきたいですよね。

さて、きょうの夕立、きのうのよりさらに暴力的でよかったです。
きょうは落雷で電話まで不通になりました。
梅雨明けにむけてがんばれ。いい感じでしたよ。
夕立評論家の田中でした。



長尾さんの新着テキスト 投稿者:清水鱗造
 投稿日:07月22日(木)23時10分07秒

今日、東京は本当に蒸し暑かったです。でも激しい雨と雷が
気分を変えるのに役立っているように感じました。学生時代
窓を開けたまま昼食を食べに行ったら、そこに大雨がきて、
下宿の畳がだめになったうえ、下の大家さんの台所まで水が
漏って弁償したことがあります。

長尾高弘さんから、「ハイパーテキストへ」の最終回分がと
どきました。下のURLの掲示板に掲載しました。
長尾さんのこの文章を読むとなんか感慨無量になります。
というのも、コミュニケーション媒体としてのパソコン通信
からインターネットへ、僕をいろいろな楽しみに導入してい
ただいたのは長尾さんだからで、またBTに連載される「ハイ
パーテキストへ」は更に進行するテクノロジーと、詩を中心
としたテキストの関係を、ドッグイアーと呼ばれるスピード
のある変容に、最先端で吟味された部分を題材にして切り込
んでいったからです。
また、あらたにいろいろ展開する事は生じてくるとは思いま
すが、長尾さん、どうもありがとうございます。


http://www.shiroari.com/shimirin/cgi-bin/minibbs.cgi


別物 投稿者:萩原健次郎
 投稿日:07月22日(木)10時55分09秒

きのうは、もう入道雲が見えました。
でも真っ青ではなくてまだ、ムクムクと雲が多いですね。
ミッドナイトプレスのミッドナイトDJというコラムに
朗読について書きました。
詩の朗読は、詩とも文学とも無関係なんじゃないかという小文です。
朗読「別物」説です。あれは、あれで、芸だと思う。
そうではないという、反論が山ほど、複雑にからみあってあることもよくわかるのですが
一旦、無関係といってしまってから、それで朗読芸について
磨きをかけたほうが、話が早い気がしました。

ここのいろんな論議、しばらく面白く拝見していました。
プリズメンをもう一度取り出して、読んでみてまた、投げ出したり、、、、
影響されています。


http://web.kyoto-inet.or.jp/people/hag02041/


男梅雨、吉田裕さんのバタイユ論 投稿者:清水鱗造
 投稿日:07月22日(木)10時05分51秒

萩原さん、ほんとに京都のほうでは、梅雨明けましたか。
歳時記によると、女梅雨、男梅雨という言い方があって、梅雨の
末期は雷雨などあるので、男梅雨というようです。(記憶。たぶ
ん、そういうこと(^^))
庸介さんのように昨日の昼間は、もっと降れ、って感じでしたが
意外に僕の行った範囲ではhiro-yさんの書き込みのようには降り
ませんでした。
関さん、2行の引用ならそれは引用のさわり(?)という感じで
しょうから大丈夫だと思います。問題は3行以上です。

吉田裕さんから、バタイユ論の連載の原稿がパリから届きまし
た。これぐらいの長い原稿は普通、プリントアウトして、単純
誤植などあったら訂正していますが、気がついた書式の統一な
どを行ったのみです。誤植があったら指摘してくださると幸い
です。
(新着テキスト)…バタイユ・ノート后.┘スターズの探求者
   連載第2回(その1、その2)…吉田裕
として2つのファイルに分けて掲載してあります。以下のURL(詩
に関する談話室(仮題)―プロペラページの)です。


http://www.shiroari.com/shimirin/cgi-bin/minibbs.cgi


雨の向こうも雨。 投稿者:hiro-y
 投稿日:07月21日(水)19時27分08秒

どーも。何だか間があきました。
田中庸介さん、回答ありがとうございました。

さてさて、話題の(笑)夕立豪雨と一緒に、
栃木の祖父宅(ちなみにお寺)から家(千葉県)まで帰ってきました。
車で。途中で水があふれていて、初めて水の中(!)を走りました。
あんまり土砂降りで前が見えないのには困りましたね。

『詩の雑誌midnight press』の創刊号で、
川崎洋さんが「趣味で書いた詩は読みたくありません」と
おっしゃっていて、それ以来のどにつかえた小骨です。
趣味とそれ以外の区別ってつくんでしょうか?
趣味のつもりでもいい詩を作れる人だっていますよね。
ワケガワカラン(のでなるべく考えずにいました)。


http://park.millto.net/~hiro-y


かんかん 投稿者:萩原健次郎
 投稿日:07月21日(水)18時48分01秒

京都は、朝から梅雨があけて、カンカン照りの真夏になっています。
関東は、やはり梅雨明けが少しズレるのですね。


http://web.kyoto-inet.or.jp/people/hag02041/


横浜の雨 投稿者:長尾高弘
 投稿日:07月21日(水)17時41分17秒

最近、散歩は週に1度に抑えているのですが、歩いていたらどんどん雨雲が
追いかけてきました。歩いている間は降られませんでしたが、新横浜の鶴見川
付近の黒い空は、何とも不思議なくらいにきれいでした。川の向こうで稲妻が
光っているのが見えましたよ。
帰りに電車に乗ってくるというのが何とも邪道でありますが、新横浜から
センター北まで地下鉄に乗っている間が一番激しくて、空が真っ暗でした。



埼玉も雷雨です 投稿者:関 rain tree
 投稿日:07月21日(水)17時35分37秒

田中庸介さま。
こちらもすごい雨と雷です。
梅雨が明けて夏が来るのですね。
気分もすっきりするといいですね。
庸介さんのこと変な人なんて思いませんからご安心を。
何回がkisasiへお伺いしたことがありますし、
そこで読んだ植物のたくさん出てくる詩、いいなと思ったのでした。
いただいた作品、ゆっくり拝読させていただきます。
ありがとうございます。

清水さん。
フォローしてくださってありがとうございます。
助かりました。
著作権のこと。文章を書くうえでの基本的な了解がぜんぜん出来ていないようでちょっと
驚いたのでした。
わたしはとくに詳しいわけではないのですが、
ここでもう少し書いておいた方がいいかもしれません。
学参ものは以前から著作権の揉め事が頻発していたのですが、
(テスト問題に無断で作品を使って引用であると称するなど)
近年はかなり厳密になってきたようです。
このあたりは詩評を長くやっておられる方はわかっていらっしゃるのでしょうけれど、
インターネットではルーズになりやすいかもしれません。
付け加えますと、一般的な話として、
HPに発表した作品は、どんなに読者が少なくても一般公開したということですから、
他HPで引用されて褒められたりけなされたりすることはあるでしょう。
発表をするということはその覚悟をするということです。
たいていはなんの反応もないのが普通ですが。
もちろん無断転載は断固抗議するべきです。
逆に、自分の好きな作品だからということで、有名な詩人の詩作品を自分のHPに並べて、
短いコメントを付け加えるということをしているページをときどき見かけますが、
あれがみんな許諾を取っているのか疑問です。
それから歌詞の引用についでですけれど、
rain tree では今号で河津聖恵さんが宇多田ヒカルの「Automatic」を2行
引用しています。
これはとくに引用の許諾は取っていません。
厳密にいえば商用権に抵触するということですね。
こういうのを専門にチェックする人がいるらしいのですが、
まず目に留まらないか、留まってもまあ見逃してくれるでしょう。
というのは、河津さんが宇多田ヒカルを引用したからといってその詩が爆発的に
読まれて詩集が急に売れ出すということは考えにくいのです。
またそれを掲載したrain tree が急に訪問者が増えて利益をもたらすなどとは
思えません。紙版も出しますが購読者が増えるということはないでしょう。
河津さんは気鋭の実力ある若手詩人ですが、一般社会から見れば
年賀状にピカチュウの絵を勝手に使った程度にしか見られないでしょう。
つまり、マスメディアにとって現代詩は問題ならないほどマイナーであるということです。
もっとも掲載紙が商業誌、つまり現代詩てちょうや詩学などであれば
引っかかるでしょう。両誌ともさほど売れないとはいえれっきとした商業誌だからです。

さて、雨がやんだようです。


http://home2.highway.ne.jp/ofuji/


夏の雨。 投稿者:田中庸介
 投稿日:07月21日(水)16時06分46秒

今、ものすごい夕立が降っています。
空が暗くなり、雷や稲妻もびかびかと。
建物の三階から見ていると、背後から降り掛かる
大粒の雨滴が地面にぼとぼとと降り注いでいくのがわかる。
夏の雨は暴力的でいいね。
もっと雨、降れ。



まだ「夏のほとりで」(^^) 投稿者:清水鱗造
 投稿日:07月21日(水)11時35分21秒

昨日は優秀なノートパソコンを築山さんが買ったので、ソフトの
インストール、インターネットプロバイダへの申し込みなど、も
のすごく酔った状態でやり遂げました。それで、ここに彼の新し
いパソコンから接続してここに書き込んだわけです。最近のパソ
コンははじめから、参加できるプロバイダの、設定ソフトがはい
っていて、簡単ですねぇ。

著作権の問題では、ここでは詩についての引用では関さんの、

>ええと、著作権のことですけど、文脈上に必然的な引用は、出典を明記すれば
>許諾の必要はありません。
>ただぽんと詩作品や文章だけを置くのは引用ではありません。

というので、尽きていると思います。ただし、歌詞は引用自体が
商業権にかかわっていますので、2行ぐらいの引用以上は音楽著作
権協会の許諾が必要です。なぜなら、その歌詞で、商業をしてい
る著作者および会社などがあるから。つまり、たとえば、歌詞を
引用して、それにコメントをつけた本を売り出した場合、その引
用のみで売れる場合も考えられ、これは商業権を侵します。
アイドルなどの肖像権も同じで、やたらにアイドルの素人写真が
流通すると、「アイドルの写真を使った売れる印刷物」などが売
れなくなる可能性があります。
kaokiさんの書いた、

>出典を書いて置けば良いという単純な話ではないですよ。断らなければ、無断で
>掲載することに変わりはないですし、特に商業的なものがからむ時は注意が
>必要な筈です。実際300万円罰金を払った発明学会の豊沢という人がいます。

という例は、たぶん、自分の論旨に大幅に引用(ほとんど転載し
て)、出典を明示したのではないでしょうか。
文学の批評の場合、引用をして解析し、自分の思想を述べること
自体が目的の表現ということもできると思います。このあたりは
当然の了解事項とされていると思います。でないと、あらゆる批評
思想本は、成り立ちません。

工業的な出版物、あるいは研究論文で、他人が実験して作ったグラ
フやデータをそのまま引用するのは、ほとんど「借りて援用する」
というかたちになります。これは、著作者および出版社にひと言い
うのはあたりまえで、さらに了承しても、自分の著作物を送って、
「こうしましたよ」と了承してもらったことを確認してもらうのが
常識的だと思います。

edgerさんの無断転載の話では、確認していうわけではないですが、
関さんのいう、「ポンと全体を置く」ということをされたのだと思い
ます。これは、シリアスにいえば著作権にかかわりますが、どっちか
というと、こういうことをしないことはネチケットですよね。なぜな
ら、いろいろ無視して、転載合戦が可能だからです。転載をあなたは
みとめているのだから、そしてわたしもみとめるので、あなたのも全
部転載するよ、という恥ずかしい循環になる可能性があるからです。

朗読の話題ですけど、

>>へたくそでも詩人本人が読むのを聞くのが好きです。
>
>お言葉ですが、
>こういう素朴なような現代詩の人たちの声っていうのがいちばん、
>プレッシャーになるんですけど。

という関さんの記事に対する庸介さんの反応はちょっと神経質だと
思いました。自分じゃない人が読むのはよくない、というニュアンス
を「へたくそでも詩人本人が読むのを聞くのが好きです」という関さ
んの言葉から、プレッシャーを受けるというのは敏感すぎるような感
じです。関さんは、別にこうがいい、と主張しているわけではないし
庸介さんの、こうするのがいちばんだ、ではなくて何でも可、関さん
の「好き」のニュアンスは、何でも可ということに入ります。朗読を
恥ずかしいからしたくない、というのもジョン・ケージの無音の曲み
たいなもので、まさに無音の朗読を表わしているような感じでもあり
ますし(^^)。

このあたりは関さんのいう「庸介さん、ご自分で読んでくださいとは言
ってませんよ」ということで、大丈夫ですよね(^^)。
でもまあ、詩を書く人は神経質・変(僕も含めて)の人は多いので(誰
でもそうかもしれませんが)、いろいろオープンにやるというのがこう
いうBBSに対する僕の感じ方です。


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