編集室/雑記帳(1999.7.14〜7.20)
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編集室/雑記帳(1999.7.14〜7.20)


設定完了おめでとうございます。 投稿者:田中庸介
 投稿日:07月20日(火)23時58分13秒

こんばんは。楽しそうですね。
しかし、わたしもここは他と比べてもかなりハードだと思ってました。

八年前の旧悪が突如としてあばかれたり。
詩の朗読は詩人本人がやるべきか否かを考えたり。
太宰治みたいな感情の複雑骨折が起こってしまったり。
(よく考えると、こちらも骨折していたのですよ、宏輔さんには)
やたらに引用するのは著作権にひっかかるかどうかを考えたり。
あげくのはて、パートタイム詩人でいくぞ宣言をしてしまったり。
業界紙でもしないようなかなりがちんこの内輪の議論でしたね。
ここまで本音を話してしまってよいのかというような。

でも、いろいろと勉強になりました。
このあたりで普通の会話をしたいです、に一票です。


設定完了 投稿者:築山登美夫
 投稿日:07月20日(火)23時45分36秒

清水:いまやっと築山さんのところでインターネット設定完了
しました。これから築山さん、出没するかもしれません。
酔っているので、ではでは。
築山:こんばんは。わたしが尾崎豊です。お客さまは神様です。


迂闊なことに 投稿者:田中庸介
 投稿日:07月20日(火)23時38分39秒

二つ送られてしまいました。他意はありません。


関さまへ。 投稿者:田中庸介
 投稿日:07月20日(火)23時35分37秒

>それから巨大な量のメールを送るのはなにとぞご遠慮くださいませ。
>びっくりしました。読み切れませんんん。
それはそれは。どうも失礼いたしました。
こちらでのレスがちょっと感情的になってしまったかと思ったので、
こっそりと裏でお詫びしておくつもりだったんですが、逆に何だか
へんな人。ということになってしまったかも。
どうかお許しを。もうしません。
こんなことでまたきらいになっちゃわないで下さいね。
関さんのことは尊敬していますもの。


あのう。。。。 投稿者:関 rain tree
 投稿日:07月20日(火)22時36分03秒

田中庸介さん
庸介さんにどうしても読んでほしいわけではないんです。
そんなこと夢にも思っていません。
いろいろな詩人の朗読を聴いてきました。
朗読を聴く楽しさはrain tree にたくさん書いています。
それから巨大な量のメールを送るのはなにとぞご遠慮くださいませ。
びっくりしました。読み切れませんんん。

kaokiさん。
こんどは行けました。
著作権のこと。
教科書関係の出版社の仕事をしてきたのでその範囲のことで知っていることを
書いたのですが・・・。現実に詩の批評とかエッセイとかを書いたりしたときに最低限
注意しなければならないという程度のことです。

ごく普通の会話をしたいです。




http://home2.highway.ne.jp/ofuji/


kaokiさん、 投稿者:田中庸介
 投稿日:07月20日(火)20時23分04秒

物書きというのは必ずしもタレントにならなくてもいいはずなのです。
もちろん、タレントになってあらゆるメディアに露出しまくったほうが
認知度はあがるし本は売れるかもしれないしどんどん有名になれるかも
しれないです。フルタイム詩人の何人かはそういう活躍をして、もっともっと
現代詩そのものを前面に出すのに貢献してほしいし、私もそうなりたかったです。
昔は現代詩手帖でそうアジテーションしていたこともあるし。
でも、そうじゃない道を私は選ぶことになってしまったので、
詩じゃなくて短歌だけど、枡野浩一という人に私はその思いを託しています。
私のほうはパートタイムなので、できるだけ文字の上だけで仕事をしていくしかないし、
そのぎりぎりの制約の中ででもできるかぎりの仕事をして、
詩のために必死で働いているつもりなので、
こういう生き方もあるということをぜひ認めてください。
下でも言っているように、私自身は朗読することもある詩人なんですよ。
でも、すべての詩人が朗読が好きなわけではない、ブローティガンのように。
そういう人の立場も考えてあげてください。
だから、もの書きくらいは露出しないですむ職業にしておいたほうが平和だ。
とはいえ、詩を趣味なんかでやってるつもりは毛頭ありませんから。
ちょっとシリアスになってごめんね。
伝わりましたでしょうか?


さてと 投稿者:K.O. or kaoki
 投稿日:07月20日(火)19時36分48秒

>関 rain treeさん
HeartLandのLが小文字にミスしてたのが原因です。
HeartLnad-Namiki/6256/index.htmlです。スミマセンでした。
それから、学術関係など引用するのは構わないというルールがありますが、
出典を書いて置けば良いという単純な話ではないですよ。断らなければ、無断で
掲載することに変わりはないですし、特に商業的なものがからむ時は注意が
必要な筈です。実際300万円罰金を払った発明学会の豊沢という人がいます。

>田中庸介さん
気持が良く分かります。これは言い方の工夫だと思いますネ。でも、「へたくそでも」
というのが、例えば著名な方でも訥々と朗読する、そういう「へたくそ」でもやはり著名
な本人が朗読するところに価値が在る。それはその詩の作者だというおもいが一方にある
から、それなりに価値が在る。関さんの話はそういうことなのだと思います。今の首相が
喋りは下手だけど、訥々と下手なしゃべりで結局、実体は別として、%を確実に増やして
いることは否めない。そういうことだと感じます。御自分が下手くそと御思いなのでしょ
うか? 他人の言に逐一反応していたらたまりません。残酷でも何でもなく、そんなにうっ
とりと語れる能力のある方は非常に少ないのでは? 小泉文夫の「音楽の根源にあるもの」
の中で(p.308)、谷川氏が「そもそも日本語では詩を朗読することが本来定まっていない、
そぐわないことだ、だから朗読するときにどう朗読したらいいか困る」と言ってますから、
「へたくそ」以前の問題だと思います。


と思いますが如何でしょうか?

http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Namiki/6256/index.html


詩人の朗読について。 投稿者:田中庸介
 投稿日:07月20日(火)17時40分20秒

>へたくそでも詩人本人が読むのを聞くのが好きです。

お言葉ですが、
こういう素朴なような現代詩の人たちの声っていうのがいちばん、
プレッシャーになるんですけど。
特に「へたくそでも」というところにすごく残酷で耐え難いものを感じますね。
その詩人本人はそういうのは絶対好きじゃないと思いますよ。
読みたいひとは読めばいいし、読みたくないひとは読まなくてもいいという
意見のほうが健全です。
ぼくも読みたいような場所では読んでますもん。


ヒバリ語 投稿者:関 rain tree
 投稿日:07月20日(火)16時27分30秒

清水さん。
BT27の原稿、お世話になります。
青木さんのイルカ語やkaokiさんのカラス語(むかしからカラスは「嗚呼」(アア)と
鳴いていたらしい)を聞いていたら(kaokiさん、file not found でした。)
詩人はいつも歌っている鳥みたい。
へたくそでも詩人本人が読むのを聞くのが好きです。
ええと、著作権のことですけど、文脈上に必然的な引用は、出典を明記すれば
許諾の必要はありません。
ただぽんと詩作品や文章だけを置くのは引用ではありません。
rain tree に掲載した詩や文章や写真ははすべて掲載OKをいただいています。
詩評やエッセイ中の引用は本人に必ず知らせています。ネットを見られない方には
プリントアウトして送っています。
これでだいたいOKで、断られたことは今までありません。

http://home2.highway.ne.jp/ofuji/


” お陰様で解決しました ” 投稿者:edger_
 投稿日:07月20日(火)14時20分21秒

 清水さん kaokiさん

 著作権について、何と無くこちらで質問したことがありましたが、先日は実際に被害に遭う
ということになり困っていました。
 kaokiさんの出してくれた条文の一部を持って行って、ちょっと脅したら直ぐに外されて
解決に至りました。
 重ねて有り難うございました。
 この件の相手や経緯などは余りに次元の低いこと、今回、私が相手の話を聞いて上げなかった
のが、著作権侵害された直接の原因らしくはありましたが、さあ。
 別に了承の上なら引用されても構わないのですが、どうしてもイヤな場合もありますよね。
 まあ、これでほっとしました。
 お騒がせして済みませんでした。
 ほっとする場所をどんどん増やしたいものです。


らしくない詩 投稿者:K.O. or kaoki
 投稿日:07月20日(火)13時18分27秒

清水さん
音楽は鳴りましたか?
鳴ればらしくなると思ったけど。

そう検査板がわりに今は障子の桟を検査板にしてます。
そのうち白に格子状の黒の線を引いて作ります。(@!^)
目を大切にして下さい。

江戸我! そう、時々ご自分だけにしかわからない言葉と文章があるだにヨ。
@(^!^)@ わたしは常にだけど。

http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Namiki/6256/index.html


季節の境目 投稿者:清水鱗造
 投稿日:07月20日(火)12時51分50秒

今日は、清水昶の「夏のほとりで」の最初の連を思い出す日です。
下のURLのプロペラページの掲示板にBT27号用の、関富士子さんの
新着テキストを載せました。今度もとりあえずメールでいただいた
のを、僕が書き込んでいます。関さん、ありがとうございました。
のちほど返信メールします。

kaokiさんらしくない詩ですね下の記事の詩(^^)。kaokiさんの網
膜異常の詩を読みましたが、黒に格子状の白の線を引くと検査板
ができるようですね。

ジョン・ケージの無音の曲、聞いたことがあります、というと矛盾
します。でもキノコの研究もしてたそうで、おもしろい。

edgerさんの無断転載についての記事の事情がよく飲み込めません。

今日は、ちょっと仕事してて、その後、築山さんが初めてパソコン
を購入するというので、渋谷のハチ公前のハチ公の左前脚のところ
で待ち合わせして、えらそうにこっちのスペックのがいいよ、とか
仕事場で使うなら、CD-ROMドライブつきのノートだとか、いろいろ
言うつもりです。ここにも酒飲まなかったら、何か書き込むかも。


http://www.shiroari.com/shimirin/cgi-bin/minibbs.cgi


詩とサウンド 投稿者:K.O. or kaoki
 投稿日:07月20日(火)10時57分46秒

−詩とサウンド−

詩の朗読が最近の流行であり、音声を通じて言葉の裏側にある何かを
伝えるのであれば、朗読ではなくて、詩とBGMというのもあり、その
EXTREMEが歌謡曲であったり、JAZZでああったりするのでしょうが、
単純に音楽曲を聴いて詩らしきものが浮かぶ、そこで浮かんだものを
文字にして今度は音楽と一緒に再現する、そういうものもあってもいい
のでしょう。現にあるかな? テレビなどではやってるね時々。いろんな
組み合わせで今までに無いことをやる、そのファッションがすたれれば、
またなんか考える。うちの会社で製品のコスト・ダウンをやっているけど
もう、ダウンする種が無くなる。そうすると、根本から製品を見直す、
単なる組み合わせではダウンできない、そうしながら新しい物が出来て行く
のだなと一人納得している。

音楽曲に歯の浮くようなロマン詩を付けてみた、感動すれば御慰み、プロは感動しないか?
これです。
作曲は鳩さん。ただ、曲が違ってて、yasa.midiとの組み合わせが正しい。いまはsera.midiとの
組み合わせになっている。少女趣味の詩と笑わんでネ。

http://www.geocities.co.jp/Heartland-Namiki/6256/index.html


” ありがとでした ” 投稿者:edger_
 投稿日:07月19日(月)01時02分17秒

 hiro-yさん、kaokiさん

 お世話様でした、不勉強な私なもので、権利だけは主張したかったりするし。
 御親切に有り難うございました。

 今だと、ぎりぎり話題にもセーフ、アウトか・・・、朗読って昔々からあったんですよね?、
多分だけど、あの娯楽の無い時代の演劇みたいなのと同様に、違いましたっけ(中世の海外で
あったと思っている私・・・)。
 詩ってロマンティックなものだから、誰もちょっと朗読なんてしてみたいかも。
 朗読がマスコミでも持てはやされて来たのは、何年か前頃からだったでしょうか。
 今やどこも朗読三昧みたいですね。
 私は殆ど喋らない人なので、直ぐに声が枯れてしまいます・・・。


スパイラルライフのCDは詩集よりも高かったぞ。 投稿者:田中庸介
 投稿日:07月18日(日)23時12分27秒

夏ですね。

ケージは現代音楽の古典です。
「小鳥たちのために」という本をよんでみてください。
芸術でないものが芸術だとかいう。
そういうのが新しかった時代もあったし、新しくないことが新しかった
時代もあったのです。
そして吉松隆という作曲家の本をよむと、そういうのをめちゃくちゃに
ばかにしていて小気味よかったです。
デリダとかポストモダンにまだこだわる人々はそういう八十年代の
頽廃性をひきずっているのかもしれないですね。


みーんみーん 投稿者:hiro-y
 投稿日:07月18日(日)21時03分53秒

蝉が鳴いています。梅雨明け間近だ!

>kaokiさん
日本での詩の原初形態は祝詞みたいなものです。
古事記を暗誦した稗田阿礼にせよ、
音声のかたちで覚えていたんでしょうね、きっと。
和歌だって「詠まれた」ものだし。
烏の啼き声は、はて?
あーあーを、裏声にしたような感じですかね(笑)。
高校のときテスト時間に外で啼いていて、
妙に可笑しかったのを覚えています。みんなで爆笑。
ちなみにぼくの家のあたりには烏はたまにしか来ませんね。
平和だ。小鳥はたくさん(いすぎ)。

>田中庸介さん
「ジョン・ケージの『4'33"』」とは、何でしょうか。
浅学なぼくにご教授願います。4分33秒?
ただむしろ音楽としては可能なのだと思います。
一部のアンビエントミュージックみたいに。感覚として。
そういえば谷川賢作さんのDIVAってバンドはおもしろいですね。

http://park.millto.net/~hiro-y


安心しました。 投稿者:田中庸介
 投稿日:07月18日(日)19時23分25秒

ここの人たちが、詩人の朗読についてのニュートラルなスタンスを
支持してくれていることがわかり、嬉しく思います。
とにかく作品で勝負しようというのは非常に健全なスタンスで、好きですね。
ご健筆をお祈りします。

しかし、「冬眠」の朗読、ジョン・ケージの「4'33"」みたいにやれば
可能なのでは、と思いましたよ。


著作権侵害は法によりますと 投稿者:K.O. or kaoki
 投稿日:07月18日(日)19時19分00秒

第114条
「.....侵害した者に対しその侵害により自己が受けた損害の賠償を請求する
場合において、その者がその侵害の行為により利益を受けているときは、その利益
相当額は、江戸我が受けた損害の額と推定する」。
一方、著作者人格権(本人の著作に手を加えた)については、
第115条で名誉挽回の措置が規定されており、罰則は119条で、3年以下の懲役又は
三百万円以下の罰金に処するとあります。(ただ、例外の条項があります)
以上の著作権法についてはどこぞのHPに全文掲載されています。
(一橋出版「著作権法の解説」より転載(これも侵害か):例の東工大出身の菅直人は弁理士よ)

hiro-y君、「....ものだと思う」と推測に終わらず徹底的に調べてみては如何でしょう?
これは、挑発でもなんでもありません。例えば香典は、もともと助け合いが出発でした。
今は、葬儀屋を儲けさせているに等しいですから。文字が無かったころは詩でしか後世に
伝えるしかなかったかもしれませんし。カラスはカアカアとは鳴きません。あーあーと鳴
くようです。現代を嘆くように(これ無関係)。

清水さま

辞書ごらんになりました?
大辞典クラスでないと載ってません。ひとりで悦に入っているという感じですが
日本名の語呂を入れてなお且つ英語で意味を持つのはこれが初めて(?)でしょう。
誰もあんな変なこと考えないから。連句も開始、私の俳号は香緒鬼としようと
思ってます。

考えてみれば会話の最中は言葉を感じずに意が通じているし、
英語なども興にノッテ話してると英語を忘れてしまう。
ということはですね、やはり、「詩会話、詩言語、詩文法」を
マスターする必要がある、そういう素養を養う、勉強する、必要がある
ということでしょうか? 詩を理解するには。
それと朗読というのもお経と同じで
ひたすら体を透り抜けるままにさせるということでしょうか?
音として神経を刺激しながら陶酔させるとか。
ようわからん。

目を覚まし窓を開ければ高原の夏
うたた寝に夢は緑の高原の夏
(土曜日に高原の別荘に行って来たつもり句)


http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Namiki/6256/index.html


朱夏だ朱夏だ。 投稿者:hiro-y
 投稿日:07月18日(日)18時32分19秒

詩の朗読についてですが。
詩は音声とともにあったものだとは思うのです。
感覚として、リズムとして。
ではリズムが全てかね、と言うとそうではないと思うのです。
視覚的なアプローチもあるだろうし、
音声から離れた詩もあるのでは、とも思います。
草野心平さんの「冬眠」は朗読できないでしょ?
カエル語は朗読向きだろうな…(笑)。
まあ作った本人が、やりたいと思えばやればいいし、
嫌いだったりしたらやらなければいい。
そういうことですね、結局(^^;)。

著作権の問題は難しいですね。
基本的に作者に嫌な思いをされないような引用なら、
可だと思うのです。でも著作権法では、
全てのコピーが禁止されていますよね。
でも報告罪なのかな?たぶん。
作者が嫌がるなら、削除は当然の権利ですね。>edger_さん

http://park.millto.net/~hiro-y


” また著作権について なんですけど・・・ ” 投稿者:edger_
 投稿日:07月18日(日)17時09分37秒

 度々すみません。
 ネットのことですが、私の書いたものを多量に、他で勝手な無断転載をされてしまいました。
 私が外せと言えば、向こうは外さなきゃいけませんよね?
 非常に心外なのでした。



そうです、バツなのです。 投稿者:田中庸介
 投稿日:07月18日(日)13時11分15秒

清水さん、力強いお言葉をどうもありがとうございます。
デリダをノックアウト。
こないだから、「現代詩」の外に出るとか出ないとかいう言説はもううんざり、
ということもかなり言っておりますが、
これも似たようなことだと理解してくださって構いません。
文学的立場を共有できて、非常に光栄に思っています。

詩の朗読はかなり日本でも流行しはじめてきてしまっているので、
いろいろ難しいことが出てきますね。
このコラボレーションの試み、もう少し展開していきたいと思います。
そこで田中庸介の詩の朗読にご協力いただける方をさらに募集します。
我こそは、と思われる方はぜひご連絡を。


訂正 投稿者:清水鱗造
 投稿日:07月18日(日)12時43分43秒

>やりたい人がやればいいし、やりたくない人はやればいい。

は、「やりたい人はやればいいし、やりたくない人はやらなければいい」
です。



早く梅雨が終わらないかな。 投稿者:清水鱗造
 投稿日:07月18日(日)12時41分30秒

ちょっと夏バテ気味です。この時期(7月下旬)、リポビタンDを買う
ことが多いです。ほかの時期には買わないけど。

あっちゃんが夏休みに入って、インターネットにアクセスできない時
期ということで、この掲示板の得がたいキャラクターが一人お休みで
すね。僕は電話連絡をすることはあるかと思いますけど。

kaokiさんの英語の駄じゃれ、なんかほんとに辞書に載っておらんです。
でも、なんかおもしろいですね。
批評については、なんかわからないけど、いい感じ、ということは大
事だと思います。言語中枢が解析できないうちに抜けて、感覚中枢に
至るっていうね。

庸介さんの朗読についての文章、6/6のイベントで田中さんの朗読の考
え方については聞いておりましたので、書かれている田中さんの考え
は既知のものです。

>詩人たちには人前に出る自由も、人前に出ない自由もあるとは思いま
>せんか?

>それと同じように、詩の朗読をどうしてもその書いた詩人がやらなけ
>れば何か片手落ちだ、というような話になってしまうのは、ちょっと
>性急に過ぎるのではないかと思います。

僕はあまり真面目に考えておりません。上記のふたつの疑問形の文章は
やりたい人がやればいいし、やりたくない人はやればいい。ほかの人が
読むなら、それでいい。と思っております。僕は自作のものしか読みま
せんけど。書いた本人がやらなければ片手落ちだ、というようなことは
僕はいっさい主張することはないので、誤解なさらぬようにお願いしま
す。ブローティガンは『アメリカの鱒釣り』(晶文社)という傑作が好
きですが、彼の翻訳詩集などを読むと気の小さい人だということがわか
ります。ギンズバーグの朗読もテープで聞いたのですが、その、言葉の
篭もり方はギンズバーグの詩を鑑賞するうえでも役に立つものだと思い
ました。日本の詩人でも同じ感じを受けたことがあります。

>それから、「アウトオブ文学」と言っているのは、「文学の外部」とい
>うような集合論的で非常に文学的なイメージのことなんかじゃありませ
>んよ。
>文学的なイメージがリセットされる地点というように定義したいと思い
>ます。とりあえず、この段階では、そのような地点があるという事実だ
>けを文学的な言説として控えめに提示しておきたい、と思いました。

そういうことだとは思っていましたが(^^)、どうしても「外部」が出てく
ると、僕の嫌いな文学的言説を展開する方々が持ち出すデリダのことを思
い出してしまうわけです。上の3行に出ている「文学的イメージの『文学の
外部』」というデリダ的概念は、バツ
という庸介さんの考え方がはっき
りしました。そのうえで文学的イメージがリセットされる地点、つまりは
山登りしてて、文学がなんか追ってくるけど追いつけない、ざまあみろ、
というような地点、あんたが不謹慎だなんていうことは関係ないよ、という
地点、そういう地点があるという事実は納得できます。早くいえば、僕も
そういう地点に立っているのだと思います。



詩人の朗読について。
 投稿者:田中庸介
 投稿日:07月18日(日)01時12分30秒

下で清水さんが提示された疑問点について、多少のコメントです。

詩人が自分自身で自作を朗読するのは、たしかに興味深いものです。
だからといって、すべての詩人が自作を進んで朗読したがるわけではなく、
人前への露出の強制がある場合には苦痛にさえなりえることだ
ということをご理解いただきたいと思います。
下にあげた中上哲夫訳のブローティガンの詩集のあとがきに、ブローティガン
の痛ましい、朗読の姿があげられています。
詩人たちには人前に出る自由も、人前に出ない自由もあるとは思いませんか?
物書きというのは、人前に出ない自由が保証されたまれな職業なのですから。

もちろん、詩はその本質として、声に出されてはじめて伝わるものだ
ということもわかります。わたしも、発表する詩の多くは自分で朗読して
最終チェックをしてから発表しています。ですから、自分の作品を
どう読むべきかということについて、作者の考えというようなものは
かなりはっきりとしたものがありますね、それが一番いいかどうかということは
別として。

つまり、詩の朗読ということは、曲の演奏みたいなものではないかと思いませんか。
ピアノ曲でいえば、作曲者自身の演奏はたしかに興味深いですね、
でもラフマニノフのようにピアニストとしても達者な作曲者ばかりではなく、
吉松隆さんのようにピアノが弾けなくてもすばらしいピアノ曲を書いてしまう
人だっていますよね。それと同じように、詩の朗読をどうしても
その書いた詩人がやらなければ何か片手落ちだ、というような話に
なってしまうのは、ちょっと性急に過ぎるのではないかと思います。
詩人が指示を細かく出して、イメージ通りの声の質を持った人に
読んでもらったほうが、朗読のクオリティは高いものができるのでは
ないか。

こういう考えのもとに、朗読のトレーニングを受けている友人の
有野美香さんという方に私の作品「オフ、」をお願いしたのが、
先日の朗読です。準備期間の制約から完璧なものではありませんが、
どうだったでしょうか。下のサイトでリアルオーディオで聴けるので、
ご感想をお寄せください。

それから、「アウトオブ文学」と言っているのは、「文学の外部」というような
集合論的で非常に文学的なイメージのことなんかじゃありませんよ。
文学的なイメージがリセットされる地点というように定義したいと思います。
とりあえず、この段階では、そのような地点があるという事実だけを
文学的な言説として控えめに提示しておきたい、と思いました。

http://www.asahi-net.or.jp/~fd6y-tnk/


(無題) 投稿者:K.O. or kaoki
 投稿日:07月17日(土)07時12分36秒

読本にカラスがカアカアと鳴いたとあってそれ以来カラスはカアカアだと
疑問を持ちませんでした(というのはまあ大袈裟だけど)、今朝聞こえてくる、
騒々しいカラスの鳴き声に、心を無にして、耳を傾けるとkの音は入ってません。
人は素直にならないと本当のことが見えてこないということかもしれません。
(とかっこよく始める)
ところで、田中庸介様や田中宏輔様、勿論清水鱗造様にも真面目にコメントを
頂きながら妙な句なぞ持ち出して話を放り投げたkaokiですが、心の中ではふむふむ
と感心したり4.3%成分無調整牛乳を飲んだりドイツで食べたカツ(フライパンで揚げる)
やエグプラントみたいな春巻き(確かegg roll)を思い浮かべたりました。

また・ところで、田中 勲様の「夜の蜃気楼」に載っている「「夏の駅」」は、なにか
わからないけど(わたしには)、いいな、と感じる詩です。わからないのに良いなも
あるものかと自問自答してました。でも、谷内修三様が「詩を読む詩をつかむ」の
中で「清水哲男の「水瓶座の水」の「舟に託して」を読んで、何が書いてあるのか、
最初に読んだとき分からなかった。今でもわからない。....
しかし、良い(一部表現変更:77頁)」と素直に正直に述べているのを読んで、
ああそうか、絵だって、ここの緑の三角は何を意味するのか?などと悩む必要もないの
だからそれと同じように、そのママ受け取れば良いのだな、と安心しました。
天満美智子著「英文読解のストラテジー」(大修館、89年)の中で(p.67)、英文読解
の困難要因は次の4項目だとある。
a) 学習者の言語知識の不足
b) 学習者の常識的(背景的)知識の不足
c) 教材の不適切さ
d) 指導法の不適切さ
とあります。詩読解の困難要因にも共通な項目だと思いますが詩については、
e) とどめを知らぬ詩文法、詩人ごとの詩文法
d) 朝起きてどうしても思い出せない夢の感覚、見たのは確かなのだけど、
思い出せない。ある日坂を下っている時ふと思い出す。そういうえもいわれぬ
感覚がちりばめてあるから。でも、中上哲夫の「海水浴」はすぐ分かる。
これ批評じゃないよ。kaoki小学生の作文だ。

http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Namiki/6256/index.html


熱かった夏の思い出 投稿者:田中庸介
 投稿日:07月16日(金)21時39分15秒

詩誌「妃」第9号 1991.8
浜田 優・早坂 類・廣瀬裕作・小沼純一・倉石信乃・
二宮陸雄・澤 尚幸・高岡淳
四・田中宏輔・田中庸介

作品
4 田中庸介 土曜日の朝、四回にわたる雀蜂の侵入の試みと
ガラス窓によるその撃
退に ついて
6 二宮陸雄 ナラ王■『マハーバーラタ』原典から逐語訳
8 高岡淳四 ボルドーの夜
13 倉石信乃 風俗の定義
20 田中宏輔 うんち、他二篇
34 田中宏輔 「来ないのもよい。バスも……」連載ずいひつ3
27 廣瀬裕作 風俗街について
30 早坂 類 金魚、他一篇
場所の移動
37 田中庸介 風に吹かれて
論考1 湾岸詩論争、から
41 高岡淳四 「湾岸戦争詩」論争を出発点として/詩誌時評
44 倉石信乃 報道写真の季節に/写真の現在1
48 浜田 優 ON MODERNISM
論考2 現代音楽の去来今
58 小沼純一 サウンド・チェイサー あるいは 
音楽的ネオフィリアから/への期待

68 澤 尚幸 わかりやすさについて


” 批評、うーむ ” 投稿者:edger_
 投稿日:07月16日(金)15時02分40秒

 昔々、杉本春生さんに頂いた詩の批評が一番素晴らしくて、嬉しかったです。
 数年前に他の先生から頂いたのは、喜んで良いのか・・・何だか・・・でした、ふっ。
 褒め伸ばしの方が良いと私は思っているのでした、やなものは読まないし私。

 美味しそうなソバ・・・、私の手抜きが心傷みます。


おいしそうです。 投稿者:田中宏輔
 投稿日:07月16日(金)08時38分53秒

。。。清水さま。


   レシピ、拝見しました。ごっくん、なまつば。ぼくも、冷やしそばや、冷やしそうめんが
     大好きで、夏は、週に2、3回食べます。でも、大根おろしは、したことないです。外で食べる

   と、ときどき、カツオブシがふりかけてあることがありますね。
     しょうがを入れて食べることが多いです。あっ、もちろん、すりしょうがです。

   きのうは、いただいたフライパンで、チキンカツをつくって食べました。
     弟が来ていましたので、4枚揚げました。からしをつけて、トマトケチャップで

   食べました。これって、和風にして、しょうゆで、おろし大根で食べても
     おいしいですよね。きょうは、何を食べようか、楽しみです。

   そういえば、ノブユキと付きあっていたころは、食事中に、もうつぎの食事の
     ことを話し合っていました。(ノブユキのことを思いだすと、ちょっと胸きゅんです)

   この投稿が、7月さいごのものになります。つぎに、ここを訪れることができるのは
     9月8日になると思います。それまで、とてもさびしいですが、反面、どれだけここに

   たくさんの事柄が掲載されているか、楽しみでもあります。
     9月になって、いっきに拝見できることを楽しみにしています。

   夏本番、くれぐれもお身体には気をつけてください。

   ではでは。

                             あっちゃんブリゲ。。。

。。。関さま。


   たしかに複雑な気持ちでした。庸介くんの才能は、とてもすごくて、
     たとえ、自分の気分が害されたとしても、それは否定しようのないものでした。

   ぼくにとって、田村隆一氏よりも、はるかに大切な詩人でした。
     もう少し詳しく書けば、重要な詩を書く人物であったということです。

   しかし、きのう、一日考えてみて、たとえ、ぼくに向けて言われた言葉でない
     にしても、あの言葉は、やはりひどいものでした。

   しかし、あの発言がなされたのは、彼が20代のはじめか、中ごろだったわけで、
     そのことを考慮すると、ぼくも、目くじらを立て過ぎたかな、とも思われました。

   まあ、彼もいまでは、あのような発言を二度としない分別はおありでしょうし、
     あの発言自体も、違った文脈でなら(たとえば、ぼくとの十分なこころの交流が

   あったり、あるいは、あの言葉が小説などのなかに組み込まれたものであったり、とかとかです)
     だれのことも傷つけないものであったかもしれません。

   言葉って、難しいですね。それが使われる場面まで考慮に入れると。

   ではでは、
   夏本番、おすこやかにお過ごし下さい。 
                             あっちゃんぶりげ。。。     


清水様 投稿者:K.O. or kaoki
 投稿日:07月16日(金)01時13分38秒

★The satch, yo, know(s) moola
To be the only thing
She can believes in.
これいいでしょう?
としつこいkaoki。
satch, yo, mooolaは大きな辞書でないと載ってません。

フライパン、おろしそばレシピ 投稿者:清水鱗造
 投稿日:07月16日(金)00時01分12秒

あっちゃん、
新しいフライパン、使ってくださったようで、うれしいです。このごろは
フライパンというと、シルバーストーン仕上げのものばかりのようです、
このへんでは。
料理といえば、僕はお昼に麺類を作ることがあります。うどん、そば、そ
うめんはかなり食べます。全部、ざるに入れて冷水で流して、つけ麺にし
ます。
男の料理ですから雑ですが、まず大根おろし、と生姜おろし、はかなり使
います。

おろしそば……そばは袋に書いてある時間だけゆでて(たいてい3分ぐらい)
       ざるにあけ、冷水でじゃーじゃー洗います。そのざるを上下
       に振って水を切り、そのままお皿に載せます。ここから直接
       食べます。(ざるごとお皿に載せます)
       つけ汁のほうは、大根おろしをこぶし大ぐらい、麺つゆを入れ
       る器におろしこみます。それに濃縮つけ汁(スーパーで売って
       いる)をたいてい2倍に薄めろと書いてありますので、器の3分
       の1ぐらい入れて、それに水を加えます。この時期僕はなんで
       もかんでも生姜おろしをさらに加えます。おろし器具から直接
       器に1カケおろし込みます。(つけ汁はそばをゆでているあいだ
       に作ります)
       さあ、食べましょう。

僕はこの多量の大根おろしと生姜の味で癖になっているわけです。たまには日
曜のお昼などにいかがでしょうか。

庸介さんの詩は、なんかこのあいだのイベントでは女性のお友達に朗読しても
らったようで、でもそのとき少し朗読したかな。高岡淳四さんは、そのイベン
トで朗読したのを聴きました。詩人の朗読というのは、巧い下手の評価よりも
すでに作品に親しんでいる場合、誰の朗読でも興味深いものだと思います。

庸介さんの、アウトオブ文学というやり方を自分でやっていく、という話のな
かで、

>でもカルトは相当意識的にならないと入り込んできます。
>こちらですね、ほんとに問題なのは。
>からみついてくる文学をあっさりあしらいながら、
>それでも現代詩を書こうとするのは、かなり体力を要する困難です。

ということについてはもう少し展開してほしい感じはします。ただし、ある意
味で、いろんなしがらみの中にもともと精神は在るわけですから、避けえない
(外にいけない)ものに囲まれているということがいえると思います。
体力を要する、とはかなり複雑な過程を通らないと、詩を書くことに至れない
という意味では僕もそれは感じます。それは、文学だけではなく、生活の過程
でも、常に隘路を通りぬけることはやっているということです。
この辺のことは、かなり個々別々ですから、あっちゃんの言うようにとりあえ
ずそのことは保留して、作品を出すということをやってみたいと僕は思います。
そこまでの過程は、このHomePageを訪れる方はかなり鍛錬されていると、僕は
確信できると思いますので。まだ庸介さんと議論したいことはあるような気は
するんですが、これはまあ、次のきっかけでできれば、と思います。

さっき、帰ってきましたが、木嶋さんから賢治論(だいたい100枚)が届いてい
ました。これはBTに連載することになると思います。吉本隆明さんの「試行」
を購読されていた方は、掲載されていた木嶋さんの賢治論の続き、と思われて
いいと思います。彼の書き方は、時系列で、作品論、のやり方です。いただい
た原稿は、賢治が下根子桜で羅須地人協会をやり始めた時期にあたっています。

まだレスポンスしていない記事がありますが、またいろいろ書いていきたいと
思います。電子メールで、「ここでの議論がおもしろい」というのをいくつか
いただきました。



読者より 投稿者:関 rain tree
 投稿日:07月15日(木)21時19分55秒

田中あつすけさんの田中ようすけさんへの複雑骨折した感情はちょっとした心理小説を読むくらい
感動しました。
むかし太宰治を初めて読んだときもこんな気持ちがしたっけ。
やるせないような、悲しいような。


http://home2.highway.ne.jp/ofuji/


批評って? 投稿者:hiro-y
 投稿日:07月15日(木)18時53分25秒

ぼくもあなた(読んでいるあなた!)も
オーダーメイドの言葉でしか表現することはできません。
だからその言葉を他者に向けるときには、
慎重な態度が要求されるのだと思います。
批評ははっきり言って、褒めるか、けなすかです。
結局それ以外にないでしょう?
その2つをどう組み合わせるかが批評する側の仕事です。
たまに片方しかしない方もいますが、それはさておき。
批評する側の感じかたは批評に直結しています。
つまり批評を読めばかなりそれを書いた人が見えてきてしまう、
ということでもないでしょうか。
だからまずい(と感じられる)批評を読んだりすると、
それを書いた人までキライになってしまうのでは?
批評の文法としては、断言口調もありだとは思います。
「書き方」としてはね。
でもあんまり断言されると、反発したくもなります。
ぼくがひねくれているだけかもしれませんけれど。

http://park.millto.net/~hiro-y


批評行為について。 投稿者:田中宏輔
 投稿日:07月15日(木)11時10分55秒

。。。hiro-yさんへ。


   批評について、と特別限定されるものではありませんが、作品という言葉で置き換えて
     みれば容易にわかるように、書かれた(表現された)内容について、どう感じるか、どのような印象を持つか

   といった事柄は、じつに、読み手の感受能力、理解力に依存しているという事実があります。
     ボエティウスの哲学の慰めに、「作品の価値は、評価するものによる」(だったと思います)という言葉があります。

   そう考えると、作品の価値に絶対的な評価など下せるわけがありませんよね。
     したがって、わたくしは、あたかも、これはこれこれであるといった断定口調の批評に関しては

   反発を感じることが多いのです。せめて、……と考えられる。といった表現でないと
     書き手の独善性を強く感じてしまう性質(たち)なのです。

   いま、多くの詩誌で書かれている、多くの批評にも、ひじょうに強い独善性を感じます。
     かつて、田村隆一さんがユリイカで詩の投稿欄の選者をしてらっしゃったころ

   そのあまりな独善性に、氏の人間性を疑わせるものを感じました。
     昨年に亡くなられて、氏のことを褒めちぎる、持ち上げる、さまざまな
  
   言説を見受けましたが、わたしは、そのあまりの人間的な身勝手さ、冷たさに
     氏の詩を正当に評価できないでいます。人間性と作品とはかかわりないと、いつも

   そう言っている自分ですけど、
     感情の論理は、一貫していないようです。

   投稿欄のことで、いまだに、わたしが憤慨していることがあります。
     現代詩手帖で、選者の正津勉さんが、投稿者のこがたかしさんにとられた

   対応について、とてつもない怒りを感じています。
     わたしが、正津勉さんの詩を正当に評価できないのも、そのときのことが原因でしょう。

   山羊座は倫理の星座だそうです。

   
   Poeも山羊座でした。

   
   すこし、ずれたことを書いたかもしれません。すいません。


   人間は、言ったこと、言わなかったことで後悔する動物です。


   あるいは、復讐される……。

                              あっちゃんぶりげ。。。 
    

   


フライパン、ありがとうございました。 投稿者:田中宏輔
 投稿日:07月15日(木)08時38分13秒

。。。清水さま。


   きのう、帰って、留守番電話を聞くと、宅急便の人の声が入っていて、フライパンを
     お届けに上がりましたが、お留守なので、ご連絡下さいというメッセージがありました。

   で、電話を入れますと、清水さまからのフライパンを届けてくれました。
     真っ赤なO1O1の紙袋に包まれて、緑と青のまざった色の外壁の美しいフライパンが

   出てまいりました。ありがとうございました。
     で、さっそく、目玉焼きをつくりました。おいしかったです。

   くるくるフライパンは、捨てることにしました。
     くるくる振り回して遊ぶのも、なんだしなあ、と思いまして。ガハハ。

   庸介さんの詩、ぼくは、朗読されるのは、まだ聞いたことないですけど
     清水さんは、お聞きになられましたか。彼の詩は、ぼくの場合、紙の上だけですけど

   ここ最近、といっても5、6年でしょうか、現代詩手帖でもてはやされている
      詩人たちよりずっと才能があり、ぼくぐらいの年齢、あるいはぼくより年少の詩人の中では

   もっとも面白い作品を書くことのできる詩人だと思っています。
     それゆえに、「あれはおかまを掘る男だからな」という、わたしに対する発言に

   とても腹がたったのでした。
     しかし、さきの庸介さんの言葉で、あの侮辱的な言辞がわたしに対するものでなかったということを
   
   知り、いま
    すこし、考えを改めるべきかな、と思いました。

   すばらしい詩を書く人間が、すばらしい人格を有する必要はないかもしれませんが、
     できれば、庸介さんのように、すばらしい詩を書く人は、すばらしい人であってほしい

   と、願います。
     ぼくがくだらない人間であることは、棚上げですけど。

   清水さんに、という伝言のところで、庸介さんのことを書いてしまいました。
     
   
   別立てにしなくてはいけなかったかもしれませんね。


   すいません。

                            あっちゃんブリゲ。。。 

   

   


そして書棚を探りました。 投稿者:田中庸介
 投稿日:07月15日(木)01時46分22秒

寺山修司、暴力としての言語、思潮社版18ページ「走りながら読む詩」。
でもその節はいろいろと失礼をしました。そしてありがとう。

この本を探していたら、中上哲夫のブローティガンの翻訳が出てきました。
「突然訪れた天使の日」思潮社、1991年。
やはり絶品ですね。日本語の詩集として完璧。
これだったら詩のボクシングで谷川さんに勝てたかもね。
残念なことです。


梅雨も晩期 投稿者:清水鱗造
 投稿日:07月14日(水)23時10分12秒

書き込もうとすると、ひとつ新しい書き込みがあるのはうれしい
ことです。kaokiさんのは書き込んでから読むことにします。

------------------------------------

梅雨が明ける前の、蒸し暑く断続的に雨の降る夜に、話が伸びてき
ましたね。
いちおう、では、作品で話しましょう、というかイメージを提出す
ることで、話しましょう、ということになったのかもしれません。
(そういうことでしょうか^^)
詩を書く人がどんな世界を見せてくれるか、ということへの興味が
何より大事ですから。

青木栄瞳さんから、「パゾリーニ映画祭 その詩と映像」を見て触
発された連作をファックスでいただいています。ちかぢか、プロペ
ラページの掲示板のほうで公開します。パゾリーニは僕にも「アポ
ロンの地獄」をはじめとして学生時代から親しみを覚えていた監督
です。まあ、強烈ですけど。

この掲示板の記録はさきほど更新しときました。ここまでは記録さ
れています。過去ログを読みたい方はどうぞ。ホームページにもど
って、「編集室/雑記帳」の「過去書き込み」をクリックすると、
目次が出てきます。

早く梅雨が明けて、かんかん照りの中で夏木立でも見たいです。


kaokiです。 投稿者:K.O. or kaoki
 投稿日:07月14日(水)22時41分50秒

田中庸介様、清水鱗造様、田中宏輔様(字間違えてない、間違えてない)、
私の掲示に対して早速コメントを頂きありがとうございます。
また、関様のやさしいお言葉ありがとうございます。あっというまに頁がはたはたと
めくれ、掲示板をプリントして跡を辿りながら書いてます。現代の状況が生々しく理解
できました。そして、「詩と思想」とか「現代詩手帖(よしよし)」とか、日本の詩の
タワーズだと思っていた詩誌に、実は役目を終えた岬の灯台に近い人の文も含まれている
のだと(言い過ぎか)分かりました。時々犬が片足を上げに行くだけかなと。(また、
こんなこと書く。懺悔)

田中庸介様:
御参考まで:big hit, cack, cacky, capoop, dead soldier, doodly squat,
number two, quaker (う*こ:PDICより) これらを踏む猫にならないこと、
省エネに徹する(無駄なエネルギーは費やさない)こと、肝に銘じます。

田中宏輔様:
実はそうなんです。まだ、国語が出来ないのに、英語をやったりして。

清水鱗造様へ:(少し長くなって済みません。★:新作)

☆ビール飲むラサ、チヨ、ママの夏の陣 (野村 沙知代:ちょっと苦しい)
(屋上で女性3人がビールで気炎を上げる)
★海の村 幸よ多かれ 夜船出
朝の光に 鱗(うろこ)輝け (野村 沙知代)
(海の幸を求めて漁村の船は朝まだき暗闇を船出する)
★The satch, yo, know(s) moola
To be the only thing
She can believes in.
(例のおしゃべりは、よう、信じられるのは金だけと分かっとる)
★忘るとも 盛り栄光 夢の中 (ともさかりえ)
(アルツハイマーと言えど夢の中では昔の栄華を忘れず)
★そうだとも 盛り枝豆 夏ビール (ともさかりえ)
(そういう季節はもうそこまで来ている)
★んだともさ 狩りへ向かえば 露に濡れ (ともさかりえ)
(朝早く起きて草を分け分け何かの(カブトムシ?)狩りに向かうと
青葉の露で袖が濡れるだんべさ)
☆つゆだとも盛り演じて紫陽花の花 (ともさかりえ)
☆ふじわらの李下に集いていい人ら (藤原紀香)
(藤原という地に桃の木々が植わっておりそこにいいひとら(ここの)
詩人ら見たいな人々が集まる)
★薩摩富士 原の理科かと 入道雲 (藤原紀香)
(鹿児島県薩摩半島には開聞岳、俗称薩摩富士がある。理科の課外授業があり、
教室から出て富士の原に出れば、入道雲が理科の時間かと富士の上から見下ろす)

という具合に話題性のある人については句に組み込んで某所掲示板で遊びましたが、詩の本に
あらわれたる斎藤正敏様についてはこういうわけにも行きません。

カップ酒の酔いが回り自分でも何をいいたいのか何を書いているのかさっぱり分からなくなり
ませんが、どうせ書くなら楽しい事を….とのシグナルを受け取りました。そして英知溢れる
人々の詩の世界は外乱にもびくともしないという志を学びました。中上哲夫氏については
清水哲男(これでいい)氏の「詩に踏まれた猫」の「時間の王様は猫」で知りました。詩集
「木と水と家族と」を手に入れて読んでます。今日、詩誌 ”えきまえ” の 田中 勲様から
「夜の蜃気楼」を送っていただきました。これから目を通します。わたしの「JR某駅裏出品作」
などはまるでビルの下の人の粒に見えてしまう、「夏の駅」など開いて、横になる、これが本物
の詩かと。
長すぎた! 出入り禁止になるかな? (@!^)

http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Namiki/6256/index.html


編集室/雑記帳 過去書き込み 目次前頁(編集室/雑記帳(1999.7.21〜7.25))次頁(編集室/雑記帳(1999.7.8〜7.14))

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