編集室/雑記帳(1999.7.8〜7.14)
編集室/雑記帳 過去書き込み 目次前頁(編集室/雑記帳(1999.7.14〜7.20))次頁(編集室/雑記帳(1999.6.30〜7.8))
Shimirin's HomePageUrokocity灰皿町SiteMap

編集室/雑記帳(1999.7.8〜7.14)


イデオロギーではなく。 投稿者:田中庸介
 投稿日:07月14日(水)18時59分36秒

ぼくが言っているのは、単純に言語表現という人間活動のことです。
自転車こぐのは言語表現ではない。
これは当たり前です。
だけど、それが笑えなくなることも、あるのですよ。


文学部という場。 投稿者:hiro-y
 投稿日:07月14日(水)18時35分57秒

ぼくが詩を書くときには、ちょっと意識的になります。
日常語をなるべく反省的に使おうとしてしまうのですね。
けれども絶対に、意識せずに書けた方が気持ちいいし、
そうやってできた詩の方が長く頭に残ります。
書き直しなしでスッと書けてしまうのが目標ですね。
なるべく意識的な部分をなくそうとはしていますが、
まだなくしきれません。難しいです。
「文学」という1つのイデオロギーを刷り込みのようにして
持ってしまっているということは、ちょっとつらいです。
捨てた方が絶対にいい。そういう部分が、
「文学」という枠のなかにあることは確かだと思います。
それに意識しないで書かれるのが、本当の詩だという思いもあります。
正直言って。「文学」の外としての場処。
そこから文学を撃ち抜ける矢をさがし出すこと。
とりあえず、夏休み中かけて考えてみたいと思います。

『詩と思想』の問題の批評、読みました。立ち読みですが。
読めば読むほどつまらない人(筆者)だなあと思って、
こういう勝手な文章は無視するのが一番いいと思いました。
批評、っていうのは実際とても難しいものです。
ぼくはあんまり批評を信用しませんが、
でも信頼できることを書く批評家さんがおられることも確かです。
そういう批評を選べるようになりたいですね。
友人で批評をやりたいという女の子がいるんですが、
なかなか苦労しているみたいです。まあ、ぼくも苦労していますが(笑)。
でも結構そんな苦労って好きですね。

http://park.millto.net/~hiro-y


あれはね、 投稿者:田中庸介
 投稿日:07月14日(水)15時12分46秒

寺山修司だったんですよ。
ごめんなさい。


り は る です。 投稿者:田中宏輔
 投稿日:07月14日(水)14時37分06秒

。。。庸介さま。

   り は る です。
 
                         。。。宏輔。


庸介さん、むろんそうです。 投稿者:田中宏輔
 投稿日:07月14日(水)14時34分36秒

。。。庸介さま。


   霧だったかしら、靄だったかしら、その美しさをたたえた詩が出現したとき
     はじめて、わたしたちは霧の、靄の美しさに気づくことができりと、ワイルドが

   芸術家としての批評家(ううん、批評家としての芸術家だったかしら、題名を失念)
     で書いてたと思うんですけど、また、ディラン・トマスが、この世界は、あたらしい詩が

   出現するたびに作り直されると述べていたと思うんですけど、また、プルーストや、
     ジイドなんかも、同様のことを言っていたと思うんですけど、たしかに

   庸介さんがおっしゃるように、

      「その作品がまだなかった世界」を、
  「その作品が存在する世界」に変えていくことができる。

   というのは、ぼくも事実だと思います。

   庸介さんの詩のいくつかも、そのような力を持った作品であったと、ぼくは確信しています。

   (あなたに以前、妃の後書きで侮辱的な言辞を賜ったわたくしですが、あなたの詩の美しさはたたえます。)

   
   結局のところは、作品の力なのですね。

   それが詩であっても、小説であっても、批評であっても。

   そして、その力とは、庸介さんが書かれた

      
「その作品がまだなかった世界」を、
「その作品が存在する世界」に変えていくことができる。

   
   力なのでしょう。

   
   庸介さんの言葉、適切だと思いました。

                              宏輔。。。



宏輔さん、むろんそうです。 投稿者:田中庸介
 投稿日:07月14日(水)12時10分43秒

でも、私たちは作品を書くことによって、
「その作品がまだなかった世界」を、
「その作品が存在する世界」に変えていくことができる。
そういう意味の時間性/歴史性/順序性というものは
評論を書く上でニグレクトできないのではないでしょうか。


うんこ踏んだとき 投稿者:
 投稿日:07月14日(水)11時32分26秒

kaokiさん。拙詩読んでくださったようでありがとうございます。
うんこ踏んじゃったときは
kaokiさんの好きな詩人のこんな詩で足の裏を洗うといいです。




そっと家をぬけだすと
少年は夜の海岸にでた
(もうお母様はいらっしゃらないのだ)
波がよせては
かえしていた
…………
そのとき
沖で大きな声がしたのだ
「わかった
 もう泣くな」
(中上哲夫「スウエーデン美人の金髪が緑色になる理由」より)


http://home2.highway.ne.jp/ofuji/


作品しかないわけです。 投稿者:田中宏輔
 投稿日:07月14日(水)10時38分28秒

。。。


   いまの文学とか、かつての文学とか、時間的な経緯で語られる作品論や
     論は、うんざりです。ただの作品論しかないわけです。歴史的認識うんぬんも

   恣意的なものですから。

   
   その上で、読み手の想像力を励起する批評が求められている(わたしは求める)
     ということだと思います。

   

   ただし、ぼくにとってくだらない作品が、ほかの人にとってはすばらしいということが
     あるのは、いうまでもないことです。

   kaokiさん、言う というところですとか、不適切なことば遣いがあります。チェック
     なさってください。あなたの論の適切さを減じます。


                                     。。。 


” こちらも批評についてですね ” 投稿者:edger_
 投稿日:07月14日(水)05時26分30秒

 おはようございます。
 某所でも批評について、それは素人の方ですが少ししてました。
 言いたい時は誰でも何でも言っちゃうものかも、なんて思っていたりします。
 ところで私の掲示板、荒れクセが付いたというか、私が蒸し返したというか、きっちりしよう
としたというか、ナガシの犯行か・・・、こちらは穏やかで良いですね。
 つんく、大@銀行証券犯、同じくあのm.!、そして近所のお兄さん似の、つまりは男の子似の
えどでした、誰も聞いて無いって・・・。
 この前は素晴らしく人名漢字を間違えて、おほほでした、書ける方だったのに・・・。


そう、その通りです。 投稿者:田中庸介
 投稿日:07月14日(水)02時42分51秒

なぜって、清水鱗造さんの「手帖時評」は当時きわめて希有な
うんこまき散らし型でない建設的な批評だったんだもの。
私はずいぶん勇気づけられましたよ。清水さん、ありがとうございました。
だからこれはたぶん清水さんとの間では認識はかなり共通していることだと
思いますよ。その上でつけ加えておくと、私の「アウトオブ文学」
というのは「アウトドア文学」とは似て非なる、そんなようなもの、
とこのあいだからあいまいに説明していますが、それは「今の文学」
に対するものではなくもっと広い「文学」そのものに対する「外部」なので、
特におっしゃるようなベクトルを考えているわけではないんです。
たとえばそれは現代詩に対するポエムのようなものではありません。
むしろ、文学とは同じ平面を張れないほど、圧倒的に違うものです。
つまり文学にねじふせることはできるかもしれないけど
文学にはとりあえずなってない活動、はいろいろあるでしょう実際。
「一に足腰、二に文体」(村上春樹)とかいうこともあるし。
山歩きしてると、後ろから文学が追いかけてくるのがわくわくしますね。
それでも逃げきれる、と思いつつ、紀行文を書くと
そのせめぎあい感が何とも言えずいいですよう。
そういうものを、ただ生きていく。文学を「オフ、」にすることによって、
おっしゃるような心のゼロ地点をとり戻すことができるのではないか、
というあたりまえの点を一つ明確にしておきたかったのです。
文学は人生の一部分にすぎない、ということは当然のお約束だったはずが、
人生が文学の一部分に過ぎなくなってくると、カルト化して出られなく
なってきます。そして、精神のカルト化は冗談じゃなくすぐそばまで
やって来てますよ、ほんとに。これには切実に危機感を感じています。
たわいない「うんこ」は無視しましょう、とりあえず疲れるから。
そんなのはほんとにどうでもいいことなんです。
でもカルトは相当意識的にならないと入り込んできます。
こちらですね、ほんとに問題なのは。
からみついてくる文学をあっさりあしらいながら、
それでも現代詩を書こうとするのは、かなり体力を要する困難です。
現在、詩を書くことの困難は主にそれですが、でもあえてその困難に
挑んでいきましょうね。ゆっくりと、着実に。


ゼロという定点 投稿者:清水鱗造  投稿日:07月14日(水)01時51分02秒

庸介さんの、アウトオブ文学、という言葉を読んで、オンラインでちょっと
書き込みたくなりました。それは、ゼロという定点をもって、アウトオブ
文学の外側の皮から、現在の文学を串刺しにするということです。
アウトオブ文学はいいコンセプトだと思いますが、それは今の文学に対する
アウトオブ文学ですから、ベクトルを持っています。方向ですから、とりあ
えずそれでいいとしても、中心から、外側まで、全部串刺しにしなければな
りません。希望も絶望もしない、ニヒリズムでもオプティミズムでもない、
定点をもつことが、「うんこ」を無化できることになることになると思いま
すけど。



「批判」はやたらに成立しないということかも 投稿者:清水鱗造
 投稿日:07月14日(水)01時38分08秒

書き込もうと思って開いたら、庸介さんの「うんこ踏むな。」が出てき
て(^^)、庸介さんの論の現代詩の見方についてもなんか言ってみたいな、
と思いましたが、庸介さんとまたすこし違う角度でkaokiさんの書き込み
について書きました。以下です。

桐田さん、書き込み、どうも。桐田さんのサイトでは桐田さんの絵とか、
いろいろと楽しんでおります。
庸介さん、あの田中さんという人はフジテレビアナの木佐さんという人に
似てないこともないですね。あのとき、右に布村さんがいたのですが、う
っかりして撮るのを忘れてしまいました。
中国人の女性には「でかい」は「おおきい」こと、「かわゆい」は「小さ
い」ことと、教えると、かわゆい口調になるのではないかと。

kaokiさん、「詩と思想」はまだ立ち読みしていません。別に名前を挙げて
批判することは勇気のいることということでもなく、批判する契機がその
人にあれば批判するのではないでしょうか。批判はなんか、それなりに思
考が膨らんでいくものでないとおもしろくないと思います。批判は、比喩
的にいえば、言葉はいろいろ考えているうちの氷山の一角ということに似
ていますので、ほんとうは「言葉が書かれた紙と言葉が書かれた紙との、
平面的な妥当性の評価」ではなく、「立体と立体との妥当性の評価」に似
ています。だから、なぜkaokiさんが内藤正敏さんという人のあまり本屋さんに
置いてない雑誌の一文を批判するのか、という考えが湧くというわけです。
このことは、批判者も意識するべきことなわけです。これが比喩的にいえ
ば立体的な妥当性の評価の一部です。で、kaokiさんの前の書き込みの批判
で、(内容は立ち読みしてないのでわかりませんが)「詩と思想」という
雑誌には「内藤正敏さんのつまらない文章が載っている」、「つまらない
文章には苛立ちますね」ということを言っていると受け止めてかまわない
と思います。いっぽうで、kaokiさんの今までの書き込みの中に、kaokiさ
んの感情の感情の構造やら、思考のやり方を、受け止めているわけですか
ら、今度はなぜ、前の書き込みをしたのかを批判とは全然別の面から考え
ることになります。このやりとりが、思考の受け渡しの通路です。
kaokiさんの文章を読んで感じることは、「こういういい詩があります」
とか「こういう美を発見した」とかいうことではなく、詩を読み始めて、
現在流通している詩の雑誌はいらだちますね、ということをいま前面に出
したいということでしょうか。
僕の考えを言いますと、そういったいらだちは朝日新聞を読んでも、岩波
の「文学」という雑誌を読んでも、あるわけですから、テレビの野村沙知
代さんのワイドショーの報道でもいいですけど、そういういらだちは、既
知のものとして、いいものを見つけたい、ということですね、とりあえず
は(^^)。いま挙げたメディアにもいいものはあるわけですから、「詩と思
想」にもきっといいものが少しはあるのではないでしょうか。それより先
に美食家になって、kaokiさんのおもしろい詩(中上哲夫さんの詩でもいい
し)をのんびり読むのがいいのではないでしょうか。
内藤正敏さんという人がここを読んでいれば、批判を受けてたつというこ
とになりましょうが、その可能性はたぶんないでしょうね。



うんこ踏むな。 投稿者:田中庸介
 投稿日:07月14日(水)01時24分18秒

現代詩手帳ではなく、現代詩手帖ですけど一応。
ちょっと言わせていただくと、昔から詩の評論というもののなかには
挑発という名前のうんこが満ち満ちてました。
そのうんこをあえて踏みつけることで、詩人は怒りをかきたて、
ネガティブな詩を書き続ける原動力を得てきたのだな。
他人の詩や詩論を読んで怒る。
怒りにまかせて他人を怒らせる詩や詩論を書く。
この「怒りの連鎖」の文化が「戦後詩」と呼ばれるもののなかには
脈々と受け継がれてきたような気がする。
しかし、それはもうout of dateです。もううんざり。
現代詩の状況なんかをけなして詩人を奮い立たせるような挑発は古い。
底が見え見えであります。
そういううんこを踏んだところでストレスは解消できず、
内にいらいらがこもってしまうばかりか、
健康によくない、
ということはもう80年代の詩のメディアでいやというほど経験しましたし。
足をひっぱられるような気がして元気がうせます。
サラダスパゲッティのように水っぽいぐにゃぐにゃの気分ですよそんなのは。
だから、うんこまき散らすやつはまだその辺から
ひょこひょこ出てくるかもしれないけど、
もう、うんこ踏むなよ。
文学はうんこの踏みあいにしてしまってはいけないプロの仕事なのであります。
だから文学のストレスは文学の中ではなく、
アウトオブ文学によってのみいやされるべきものなのであります。
違うかな?


川の三叉路迷う水 投稿者:K.O. or kaoki
 投稿日:07月14日(水)00時31分59秒

私の7月11日(日)10時08分12秒び掲載の文中、下記の誤りがありました。訂正します。
「ところで現代詩手帳の中で「二軍上がり」(ひどい表現だ)の作品で、
「いわしてもらう」は「いわせてもらう」だ、と指摘しているが、....」の太字部
は「詩と思想」の書き誤りです。それと記載頁は58頁です。

ところでこういう公開の場で、はっきりと相手の名前を出して批評(判)するのは勇気の
いることなのでしょうネ。日本は(多分)批判を受けて立つという習慣がなく、批判に
対して論理的に反論する(感情的にならずに)という訓練を受けていないようです。
だから、ネチケットという曖昧なもので、批判的な意見を締め出すと言う風潮が出てきた
ように感じてます。批判=人物・行為・判断・学説・作品などの価値・能力・正当性・妥当性
などを評価すること。否定的内容のものをいう場合が多い。哲学では、特に認識能力の吟味を
意味することがある。(広辞苑)・・・なんか面白くない抽象的な論議なのでもう止めます。

わたしの家の前を川が流れている。流れとともにしばらく歩めば川は二手に分かれて
右側を流れる水は右のえだ川へ左側を流れる水は左のえだ川へと向きを変えて行く。
その川の三叉路を眺める土手に立って、いつも思うことがある。真ん中を流れる水は
右へ行くか左へ行くか何時決断するのだろうかと。川を二つに割る突堤の辺りで決断でき
ずに渦を巻く水もきっといるだろうかとも。渦を巻いている間に満潮が近づき川上に向
かって引き返すことになるのだろうかとも。でも、大半の水は何処かで決断するのだろう。
お前はあっちだ俺はこっちだと均等配分で、でないと、片方が溢れるし。

清水様:早速リンクします、ありがとうございます。

http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Namiki/6256/index.html


はじめまして 投稿者:桐田真輔
 投稿日:07月13日(火)05時26分28秒

清水さん、みなさん、こんばんわ。桐田です。
掲示板、書き込みが苦手で、ずっと読む側にいて楽しませてもらっていました。
でも、関さんや、田中さんに、名前で呼びかけていただいて、
やはりお返事しなくては、とのこのこでてきました。
拙文に嬉しい感想ありがとうございます。
感謝。。






清水さんありがとうございます。 投稿者:田中庸介
 投稿日:07月13日(火)01時09分01秒

今度ぜひリンクさせていただきます。
思潮社のやはり田中さんという編集の女性とのツーショット、うれしいな。
よろしくお願いしますね。
でもこのごろ一緒に働いている中国人の女性が「でかい」という言葉を
覚えてしまって少し困っているとこです。

桐田さん、批評拝見しました。よかったです。
ぼくは「倫理性」というところでぐっと来てしまいました。
この夏もご健筆を。

http://www.asahi-net.or.jp/~fd6y-tnk/


書くこと 投稿者:
 投稿日:07月12日(月)21時57分50秒

ええと・・・
このごろらーめん食べていなくて・・・

桐田さん、
いっしょに詩を書いてきた友人が、遺書も残さず死んでしまって
(彼は書くことにそれほど絶望したのか)
あまりの無力さに打ちのめされていました。
桐田さんはそんなわたしのそばにすっと寄り添って、
なにもかもあまさず受け止めてくれました。
ほんとうに桐田さんの読みの通りです。
わたしは詩を書くことでなんとか彼に別れを告げたのですが、
今読者に出会えのだと思います。
書いていればそんなことがあるのだということを彼に知ってもらいたかったです。
ありがとうございます。

http://home2.highway.ne.jp/ofuji/


そうそう 投稿者:清水鱗造
 投稿日:07月12日(月)12時06分45秒

>「好きならーめん屋をあげよ」
いい問題ですね。馬事公苑の近くに「百麺」というトンコツ風味の
おいしいラーメン屋さんがあります。ちょっと味があとできつい感
じがしますが、いつも並んでいます。
そうそう庸介さん、6/6のロフトプラスワンで撮った写真ですが、
小さいのは前のURLに置いてあるので、リンクして使っていいです
よ。それから、でかいのは写っている方の了解をとって、田中さ
んのHomePageに置くか、普通の大きさにしたうえでどこかに置いて
田中さんがそこからimg srcタグでリンクするかです。小さいの
は、事後承諾的にしてしまいましたが、大きいのは承諾をとったほ
うがいいです。
あと、思潮社の編集の女性の方との写真はちかぢかメールでお送り
します。


桐田さんの批評 投稿者:須永紀子
 投稿日:07月12日(月)10時54分10秒

桐田さんの批評,読みました。
すばらしい。深いです。
詩を読むということは,こういうことなんだと思い知らされました。
みなさんもぜひ熟読してください。

「他人の詩について語るということは,自分の詩論を語ることである」
というようなことを北川透さんが,著作のなかで書いてらして(うろおぼえ
ですみません),若いときに読んで,感動しました,
それ以後は,自分の作品を棚上げして他人の作品を批判する詩人は信じない
ことにしています。

こんなこと,みなさんわかっていらっしゃると思うけど,全国版の詩誌に堂々と
掲載されているもののなかにも,ろくでもないものはいっぱいあります。

そんなもの一蹴するくらいのいい詩を書きたいですねえ。


「詩に関する談話室(仮題)」のこと。 投稿者:清水鱗造
 投稿日:07月12日(月)08時54分08秒

プロペラページの「詩に関する談
話室」(仮題)に、桐田真輔さんに関さんの詩に関する批評を投稿していただきまし
た。投稿のフォーマットが心配だ、とのことでメールで原稿をいただいたので、僕がア
ップロードしました。桐田さん、ありがとうございます。
 これからアップロードされる方に「詩に関する談話室」について少し書いておきま
す。投稿される方は下の切取り線にはさまれた部分をコピーアンドペーストして、ひと
つのテキストファイルにしておくと、ガイドになるかもしれません。

----------切取り線------------------------------------------------------------

    【「詩に関する談話室(仮題)に投稿される方へのお願い】

■本文はここの掲示板のように適当に改行をいれなくても、デフォルトでは自動改行さ
れるようになっています。つまり、テキストファイルをご自分のパソコンで開き、それ
を投稿されるとき「詩に関する談話室」の本文欄にコピーして貼り付ければいいわけで
す。
■このBBSはタグを使えないように設定してあります。今後使えるように直す可能性は
ありますが、何か文章関連のリンク、ご自分のHomePageへのリンクのURLは、投稿フォー
マットのいちばん下の欄にリンクを書き込めるところがありますので、そこに書き込ん
でください。
■本文は原稿用紙20枚ぐらいまで、書き込めます。それ以上だと、その旨表示されます
がたとえば30枚ぐらいの原稿は15枚、15枚に分けて投稿してください。
■本文の書き方は、「題名」(一行あき)「作者名」(一行あき)「本文」という具合
にしてください。
■題名の書き方は、別に自由ですが、
  【批評】……関富士子「本流へ」を読む……桐田真輔
 という書き方の習慣がありますので、自由ですが、これに倣ってもいいです。【】は
普通の日本語変換プログラムでは「かっこ」と入力して変換すると出てきます。ちなみ
に【】は「すみつきパーレン」といいます。「……」は「きごう」と入力して変換する
と出てきます。【】のなかには、作品のカテゴリを書いてください、詩、批評、エッセ
イ、小説、短歌、俳句、漢詩、ナンセンス詩、等です。

----------切取り線------------------------------------------------------------

早稲田は、ぼくも 投稿者:田中庸介
 投稿日:07月12日(月)00時53分46秒

大学じゃないんだけど、西早稲田の専門学校で
結構長い間先生をやっていたので、思い出深い土地になってしまいました。
タイ国らーめんその他、例のらーめん屋戦争が勃発している近辺です。
そういえば、
「好きならーめん屋をあげよ」
とかいうテストを出したことも。学生のゲタ用に。
(わかる人にはすぐにどこだかわかってしまうか…)
でも早稲田は高田馬場までずっと、街が充実していて何かいいんだなあ。
神楽坂もあるしね。ぜひ一度、ツアーを組んであのあたりをご案内くださいよ。


ご近所話 投稿者:hiro-y
 投稿日:07月11日(日)20時57分15秒

戸山公園は、中学高校の時から学校の近所だったりします。
といっても中高一貫校でしたが。
でもけっこう好きな場所のひとつです。ベンチにぼーっと座って
たまには短編小説なんか読んだりして。
以上ごく身近な場所の話題でした。

http://park.millto.net/~hiro-y


二日酔い 投稿者:清水鱗造
 投稿日:07月11日(日)13時45分15秒

昨日、ジョッキ3杯のビールを飲んだために、「遅く起きた朝に」も見られ
ませんでした。
edgerさん、夏樹静子、山村美紗、梅沢富美男です。全部間違えてるのが
おもしろいです(^^)。ヘプバーンはヘヴィスモーカーだという話を読んだ
ことがあります。マイケル・J・フォックスも。以外と美形は、煙草を吸う
という印象があります。これは偏見かもしれませんけど。

あっちゃん、昨日、フライパンの話をしていたら、いろいろあっちゃん
には京菓子などいただいたこともあるし、プレゼントしたら、というこ
とで、妻がどっかで購入してきました。そのうち、宅配便に送りますの
で、お受け取りください。これで、くるくるフライパンを思い出す詩を
書けます(^^)。

hiro-yさん、戸山の箱根山では三角測量をして、測量の単位を取ったこ
とがあります(hiro-yさんの掲示板の話より)。

kaokiさん、リンクよろしくお願いします。ここはシミリンクフリーですが、
コミュニケーションのなかでリンクが増えていくのがいちばんですよね。
「詩と思想」というと、これもまた渋谷の紀伊国屋書店で立ち読みです。
「現代詩手帖」はありますので、読んでみますが。

関さん、吉田裕さんのアドレスはMSNではだめだと思います(たぶん脱退
した、パリのアクセスポイントが廃止!されたと聞いた覚えがあります)
waseda.ac.jpのかAOLのアドレスは知らないわけですよね。hiroyosh@aol.com
です。BT27号分の原稿について了解しました。駿河さんは吉田さんの
関係から知り合ったんです。

神父的にぼーっとしている(というとほんものの神父さんに失礼ですが)と
いう感じです。***神父という煩悩が深い神父がなりたたない矛盾した存
在(自分でも何を書いているのかわからなくなってしまった)。




” 似てる人だったらー ” 投稿者:edger_
 投稿日:07月11日(日)10時35分29秒

 お邪魔しまーす。
 私は余りいないかもかも。
 推理作家の夏木静子さんと山村美沙さんの中間かもで(少し苦しい)、某胡散臭い売れない
漫画家は私にウリ三つだったような・・・。
 o.ヘプバーン似です、大嘘、きゃはは。
 梅沢富美夫(字、合ってるかな)さんと、ヨーヨー・マて似てません?きゃは、なんちって。
 ああ私、皆様のお顔未だ存知上げないのでした、見たいみたいー、・・・失礼おば。

http://www.enjoy.ne.jp/~edger.miho/


おをこに訂正。 投稿者:K.O. or kaoki
 投稿日:07月11日(日)10時11分30秒

おの場を、この場に訂正します。


斎藤正敏「現代詩の状況」を読んで 投稿者:K.O. or kaoki
 投稿日:07月11日(日)10時08分12秒

詩のことは前も後ろも右も左も分からないので、詩と名の付く雑誌があると
うわー高いなと思いつつ目をつむってレジまで運ぶ。昨日見つけたのは「詩と
思想」7月号。この雑誌の54頁に掲載された題記の一文に、私は納得の行かない
ものを感じました。前後左右が分からない私ですから斎藤正敏氏がどんな方な
のか知りませんし、それにどなたかのお師匠さんであったり、懇意にされてい
る方だったり、また、清水(神父さまの神聖でやさしいこ)の場でこんなことを
書いてご迷惑になるやもしれず、最初からお詫びしておきます。

「詩的志不在の時代」だと嘆いていらっしゃる斎藤正敏氏の一文からは、大変失礼ながら、
ご本人が不毛なのでは?というイメージしか伝わって来ないのです。彼によれば、昔は骨
のある詩の大家達がいて、その大家達を中心に、周辺の詩人希望者を巻き込み詩への情熱の
竜巻が巻きあがっていたと言う。いまは、それがなくなって期毎に計画された詩専門屋的
不健康と、生きる内実に基づかない日常の妥協の産物を提供するだけの人々とが漂っている
と言う。---途中、端折って---- 要するに詩壇は不毛で期待できないから同人誌の興隆に
期待するしかないと言う。(ちなみに、midngiht pressのことは全く触れてない)昔の大家
に教えを乞うた方なら何故、今度は「自分の書くべき詩が見えてこない」などと不毛な言い訳
をせずに、詩竜巻の核になろうとご決心されないのかなと感じます。 単なるクリティークは
誰にでも出来るし、いまの若いものは....と不毛な繰り返しをするのは老化の印。中上哲夫
さんなど、読むとああ、いいものを作りたいという気がしてくる。

ところで現代詩手帳の中で「二軍上がり」(ひどい表現だ)の作品で、「いわしてもらう」
は「いわせてもらう」だ、と指摘しているが、御自分の書かれた文章には、「....をしたかと
いうと、.....に居たのである」(54頁)とか、同じ頁の「これについで、....」の部分とか、
の日本語の文章のの閉じかたの不思議さ。あるいは、J文学というのが
あるらしい。
と書きながら、彼らは生きる内実などということに無縁な場所から作品を
書いている(55頁)、と断定するのだろう。「J文学に全部目を通してみたが」なら分かるけど。
立派な先達とは、若い人にはッとする啓示みたいなものを与える筈である。もっとも、わたしも、
「現代詩手帳」の6月号「特集記事手紙」の中にはくだらない文があると不毛なことを書いた。

おの場を借りて、詩は詩ろうとのkaoki

清水様は多分、こんな掲示はおきらいだろうと思います、でも、あえて掲示しました。
そうじゃないよ!kaoki小学生!、とかご教示くださいませ。

http://www.geicities.co.jp/HeartLand-Namiki/6256/index.html


ご無沙汰しております 投稿者:田畑益弘
 投稿日:07月10日(土)20時44分25秒

ご無沙汰致しております。リンクさせていただいている田畑です。お元気でしょうか。
きょうは、BBSを覗きに参りました。盛況ですね。
大人の会話が交わされていて落着きます。
今度わたしもBBSを開設しました。是非一度お暇なときにお越し下さい。
お待ちしております。

http://www.miyavision.ne.jp/user/masuhiro/


みなさんにひとことずつ 投稿者:須永紀子
 投稿日:07月10日(土)19時06分15秒

kaokiさん,教えてくださって,ありがとう。
あの本はわりと話題になりましたよね。
そういうものにはそっぽを向いてしまう,頑ななタイプで。

真紀子さんって,バーブラ・ストライザンドにそっくりだと思います。
でも,真紀子さんの声っていいなあ。

清水さんは,確かに神父さんみたいなとこ,ありますね。
かたいこと言わない神父さん。

土日は詩を書かないことにしています。
ひたすら家事。夜にはビールを飲みながら,ビデオを見ます。
楽しんで観られる恋愛ものが好み。
『シティ・オブ・エンジェル』は全然よくなくてがっかりでした。

田中さん,読んでくださって,ありがと。
突然お邪魔して,いろんな方とつながることができて,
うれしいです。

関さん,わたしは恐怖のB型,根が明るいんです。
感情移入をしやすい質ではありますね。

駿河さんをrain tree のゲストに迎えて,
たくさん詩とエッセイを書かせた関さんは
やはりすごいと思います。
清水さんもね。



よいお天気 投稿者:
 投稿日:07月10日(土)18時10分32秒

kaokiさん、
気持ちの良いお天気でしたね。
M青年に似ている人が神父さまのようでもある、というのは興味深いことです。

清水さん。
吉田さんのメールアドレスはMSNのは知っていますがまだメールを
出したことはありません。
思い切って出してみようかしら。
パリにいらしてすぐに air mail で rain tree を送ったのですが、
戻ってきてしまってからそれっきりになっています。
BT27のための原稿、来週中になんとか書きます。

須永さん。
駿河さんはわたしが発見したのではなくて、BTではわたしより先輩です。
わたしは11号から参加しましたが、その前から
清水さんが短歌や短い詩などをNFから転載していました。

シャーリー須永さんも田中あっちゃんも受苦のこころをお持ちです。
自分の苦しみが他者の苦しみと響き合ってより強く共鳴する音叉のような。
現代の受難者といえるのかも・・・
あっちゃん、夏の小説楽しみにしています。

えーと、
わたしの言葉遊びは、余裕でやっているように見えるのでしょうが、
わたしとしてはかなりスリリングな体験です。
どんな感情も言葉の前ではただの材料に過ぎないことを
思い知らせてくれます。
ところが、できあがったものは、ふつうの詩でも書かないような
わたしだけの個人的な感情に満ちています。
でもそれは自分だけがわかればいいことなのですけれど・・・
それでは・・・

http://home2.highway.ne.jp/ofuji/


夏の夜に 投稿者:K.O. or kaoki
 投稿日:07月10日(土)04時00分29秒

須永さま:
Out on a Limb は、"If someone goes out on a limb, they do something
they strongly believe in even though it is risky or extreme, and
is likely to fail or be criticized by other people.(Collins Cobuild E-dict)"
がその意味、つまり、身の危険を冒してまでも自分が心から信じることを進める、という
ことです。ちなみに地湧社から山川こうや&あきこ、による訳本がでてます。その本の、
裏表紙に「実りのない恋が、思わぬ体験に彼女を導いた。行動派で知られるハリウッドの
女優が、数々の神秘的な体験をきっかけとして、本当の自分、神、宇宙について学びながら、
富や名声、友情や恋愛さえも越えた大いなる世界に目覚め行く過程を綴る」とあります。
もっとも、わたしは、原本を左手に訳本を右手に、ん?ここがおかしいとかん?これおかしい
とかそんな他愛のないことをやっただけなので、感動も何もしてません。マクレ-ンは神秘体験
をしたみたいです。私が身の危険を犯したと言えば食べ過ぎたことぐらいでしょうか。食べる
ことの喜びを極めるには翌日うなることぐらい我慢するとか。

清水さま:
わたしもわたしのリンク(英知ある人々:英語が出来て知恵のある友達)に、こちらを
リンクちゃんしていいでしょうか? 写真を拝見して、何か、「凛」としたものを感じま
した。そして神父の「遠いやさしさ」みたいなもの。

落ち葉さま:
先日近くの公園で赤と緑が配色された魅力ある一枚の落ち葉(なんで日本語には単数複数が
ないんだ!、あッ、失礼)に出会い、身をかがめて拾い上げ、 うちに持って帰りました。
それを眺めながら詩を一つ作ろうかと考えてでもその日は寝ました。 翌朝起きて机の上の
その落ち葉を見てあッと思いました。公園の地面で私の気を引いたあの配色は消え失せて、
すっかりセピア色。この世では何ひとつ変わらないものはない、そう思いました。全てが
時々刻々変わって行く。真夜中は(午前3時50分)こういう文章を作ってもまあ、自然。
朝読むと がはは!と分かりつつ筆を置くなり寝不足のkaoki。
一句:夏の夜の一句は見事朝は駄句

http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Namiki/6256/index.html


さんくす。 投稿者:hiro-y  投稿日:07月09日(金)19時05分15秒

リンクありがとうございました!
学校の前期が終わってゴキゲンです。
レポートは後回しにして、本を読もう。詩を書こう。
ただしい選択でしょ? (@_v)

http://park.millto.net/~hiro-y


お皿をフライパンのところへ持って行きます。 投稿者:田中宏輔
 投稿日:07月09日(金)13時03分52秒

。。。清水さま。


   そうなんです。つらいものがあります。せっかくつくった食べ物を
     なんども流しに、べちゃっと落としました。

   ですから、いまでは、お皿をフライパンの下に持っていって
     フライパンをすこしずつ、すこしずつ傾けていれるようにしています。

   でも、フライパンの中の水を、洗ったあとでハね落とすときには
     くるくると回すほうが、はやいような気がします。(負け惜しみっぽいですね)

   きょうは、しょうふくていつるべに似たデブの友人と夜にお好み焼きを食べに行きます。
     糖尿だと言ってるのに、お酒を飲もうと言われて、ことわりきれませんでした。

   ううん、やっぱり、タイプによわい、ぼくでした。
     

   あ、須永さんが書かれていることで、ちょっと思ったことがあります。

   
   ぼくも苦しいときがありました。いまも苦しくないわけではありません。
     けど、生きていることは、だれにとっても、苦しくないわけではないことにも

   気がつきました。だから、苦しいと思う自分のこころに、こう言い聞かすことに
     しました。苦しくてあたりまえだぞって。

   苦しいけれど、楽しいこともあるだろって。

   だから、楽しみなさい。苦しいときも、苦しいと思うときにも、自分を鍛える
     恵みのときなのだと。そう自分に言い聞かせることができるようになりました。 

   いわば、苦しみとは、恩寵のごときものなのだと。


   いま、ぼくは、詩は、喜びであり、楽しみであり、真剣な遊びのようなものだと
     考えています。

   かつてのぼくの姿をふりかえって、はずかしいときがあります。

   しかし、もしかしたら、ぼくが変わったのかも。あるいは、ぼくが何かを失ったのかもしれませんね。

   
   ぐだぐだと、すいません。

   
   ぼくも、なにか、つらかったのかもしれません。つらかったのでしょう。

                      
   よい週末を、お過ごしください。

                         あっちゃんブリゲ。。。 

   
      


雑誌「毒草」、etc. 投稿者:清水鱗造
 投稿日:07月09日(金)10時22分01秒

hiro-yさん、どうもリンクバナーアイコンを使っていただきありがとう
ございました。LARAさんのところ(詩関連のホームページへのリンク集
にあります)に出入りしているうちに、僕もアニメGIFというのを作って
みようかな、と思ってLARAさんの助言にしたがって作ってみたわけです。
こちらのリンク集にもhiro-yさんのバナー、入れました。

須永さん、「毒草」という僕の長編詩と同じ題の雑誌は2号出しまして、
1号の文(渡辺石夫さんと僕との対話)はいずれ、ここに公開してみたい
と思っています。渡辺さんも了承していますので。
鮎川さんへの瀬尾さん、成田さんのインタビューは、鮎川全集にも収録さ
れない貴重文献です(?)。鮎川さんの著作権継承者に連絡すればWEB上で、
公開可能だとは思いますが、まだ余裕がなくて(^^)。この「毒草」という
雑誌はたくさん作ったのですが、中綴じの厚い紙でつくったため、綴じた
とこの金属が錆びてしまいました。前に住んでいたマンションは湿っぽか
ったので。その錆びの部分から染みができてしまい、大量に捨てました。
でも、まだ少しは手元に残してあります。

あっちゃん、青木さんの詩はなかなか元気ですよね。あれは、イルカ言葉
で、イルカの泳ぎをイメージしますね。フライパンは、ぐるぐる回っては
きついものがあるでしょう。

ぐるぐる回るフライパン そこから魚が落っこちる(マザー・グースふう)

関さん、駿河さんの件、了解しました。桐田さんはあんなにリリックな絵
をお描きになってセンスいい人で、村上龍ならばなんか似てそうですね。
関さん、吉田さんのメールアドレス、知らないですか?

kaokiさん、田舎の神父、ある意味で似ているというのと違い、いいとこつ
いています。僕には信仰している宗教がありませんけど。無意識のうちに
はありますが。kaokiさんのところ、リンクしておきました。



めげずに書きましょう 投稿者:須永紀子
 投稿日:07月09日(金)10時16分04秒

kaokiさん,ありがとう。
Out on a Limb,まだ読んでいないのですが,おもしろいですか。

桐田さんが村上龍似という説,だから断簡風信によく村上龍の小説を
とりあげていらっしゃるのでしょうか。
シルバーバッグというの,見てみたいですね。
夕日を眺める動物,哀愁漂いますね。

詩を書いていて,わたしはいったい何をやっているんだろう
と思うことがあって,そこに入ってしまうとつらいですね。
つねにテンションを高くしておくこと。

先日,福間さんに『雨期』をお送りしたときにも,「めげずに
書いていこうと思います」という一筆を添えました。
関さん,元気出してね!



約束のだれに誰似 投稿者:K.O. or kaoki
 投稿日:07月09日(金)05時36分43秒

清水さま:結局こういうことです。

NN県XX郡YY大字村
山の上教会 清水神父
夏の日の日曜の昼鐘響き

ちなみに私の祖父はニコライ堂でなんかやってました。

須永さま:若いころの真紀子さんって違うかな?違うとしてもしゃきっとしてませんか?
取り消します。 わたしも、Out on a Limb の Shirley MacLanie に投票。

以上素人kaoki小学生

http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Namiki/6256/index.html


うれしいですう 投稿者:
 投稿日:07月08日(木)22時47分03秒

須永さん、ありがとう・・・・・


好きですよ 投稿者:須永紀子
 投稿日:07月08日(木)21時42分16秒

シャーリー須永です(関さんのまね)。

「なかよしごっこはしたくない」久々に胸のすくような,我が身にも
突きたてられているような,鋭いおことば。
同感です。

詩集をいただいても,見ず知らずの方で,ほとんど感じるものがないと
いう場合は,礼状も書かないこともあるので,反省してます。
でも,読んでいないわけではないんですよ,みなさん。

rain tree 11号の関さんの「発熱」,わたしは大好き
(メールに書きましたね)。
全身で感じてしまいました。
風を書いた詩で,ドラマが起こるわけではない。
じゃあなぜ惹かれるのか。

『詩学』の合評をやっていたときも,風の動きだけ
を書いた詩に感じてしまって,3点も入れたことが
あります(他の人は入れなかった)。
でも,同じ「風」だからというわけでは,ありません。

荒れる風とむきだしの庭のことを書く関さんの,どうしよう
ない孤独が響いてくるからです。
家族がいても恋人でもその哀しみを埋めることができない,
属性のような深い孤独。

rain tree1号から,ずっと関さんの詩に惹かれています。
わたしはことば遊びには興味がない,というかそんな
余裕がありません。
まだ自分がいかに生きるべきか迷いながら進んでいて,その
あたりのことを書くのが精一杯という状態です。

母性と知性とエロチシズムのないまぜになった,関さんの詩が
わたしは好きですよ。

駿河さんの才能を見抜いた関さんはすごい!
では,また明日。


編集室/雑記帳 過去書き込み 目次前頁(編集室/雑記帳(1999.7.14〜7.20))次頁(編集室/雑記帳(1999.6.30〜7.8))

Shimirin's HomePageUrokocity灰皿町SiteMap