編集室/雑記帳(1999.6.5〜6.14)
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編集室/雑記帳(1999.6.5〜6.14)


edgerさんへ。 投稿者:田中宏輔
 投稿日:06月14日(月)14時04分42秒

。。。edgerさま。

   「ジャンヌとロリータの物語」、ごらんくださってありがとうございました。
      また、うれしいご感想もいただいて、感謝、感謝ですう。

    ぼくも、直解主義なので、書かれたとおりに読む
      書かれたとおりに見る方です。

    直解主義って、リテラリズムっていったと思うんですけど、
      たとえば、空からピアノが降ってくるっていえば

    マルグリット(でしたっけ?)のおじさん降るフルの絵が思いだされますが
      ピアノが空から落ちてくるところが目に浮かぶのです。

    きのう、ひさびさに昔の恋人の夢を見ました。
      夢も現実の一部だと思えば、ぼくもまだ、その子と付き合っていることに

    なるのでしょう。その子の意志とは無関係に。
      ぼくがまだ、その子のことを作品に書きつづけているあいだは

    その子の人生と、ぼくの人生が交わっているような気がします。
      その子の意志とは無関係に。
   
    リテラリズムからずいぶん離れてしまいましたが、何か共通するところが
      あるのかもしれません。にわかに、説明することなどできませんが。

    それにしても、あのロマンスという番組、どうにかならないでしょうか。

                             あっちゃんブリゲ。。。


ウマグマ。 投稿者:田中宏輔
 投稿日:06月14日(月)13時46分48秒

。。。清水さま。

   アドルノなかったので、予約しました。
     かわりに、ヴェイユと、メルロ=ポンティを買いました。

   心理学や哲学や批評も、何から読んでいいのか、わからないので
     手あたりしだいだったのですが、それがバレてしまう買い物ですね。

   ミッドナイト・プレスのうしろにある「拾ったときから片目でした」というところ
     ちょっと、痛かったです。

   フロイドのウマグマを買った帰りに本屋に行ったのですが、帰りの道で
     頭の中で、その言葉を反芻していました。

   ウマグマ、あまりよくなかったですが、聞き込みました。
     聞き込むと、良くなると思って。

   ヴェイユから読んでいるのですが、まだ、三分の一ぐらいですけど、
     彼女の思想には、共感できないところが多々あって

   でも、目を引くところも多くて、読みを中断できないって感じです。
     恣意的な語句の使い方を多くしているような気がして

   また、語義も多層的な意味合いを持たされていることが多いので、
     ときどき、いえ、しばしば、しんどくて、ため息をついてしまいます。

   メルロちゃんの方を後にしたのは、おいしいものをあとに残して食べるという
     ぼくの食習慣と類似した性癖によるのだと思います。

   春と夏、ぼくの苦手な季節がつづきます。

                                あっちゃんブリゲ。。。


あ、前の文章 投稿者:清水鱗造
 投稿日:06月14日(月)03時07分31秒

>昨日、由比ケ浜でボタン様のものをひろいました。でもボタ
>ンには似ていましたが、何か糸を留める感じのもの、凧に使
>うのかな、だから拾いませんでした。

拾うが、語義矛盾している。いったん、拾って確かめた上で
また浜においてきたということでした。


どうも、はじめまして。 投稿者:清水鱗造
 投稿日:06月14日(月)03時01分53秒

hiro-yさん、リンクありがとうございます。
ガーデン・コーディネーターという資格があるんですね。
ポーチュラカというスベリヒユの園芸種がこのへんにあるんですが、
ポーチュラカというのを辞書で引くと、つまりは「スベリヒユ」の
ことなのでおもしろかったことがあります。

昨日、由比ケ浜でボタン様のものをひろいました。でもボタンには
似ていましたが、何か糸を留める感じのもの、凧に使うのかな、だ
から拾いませんでした。

夜の浜辺をのんびりと歩いたりしたいものです。


はじめまして。 投稿者:hiro-y
 投稿日:06月13日(日)19時10分09秒

このペイジの存在は知っていましたが、初めて来ました。
リンクさせていただきます。>清水鱗造さま

中原中也の「月夜の浜辺」のことですけれど、
ぼくはずっと波打際に月が映っていて、
それがボタンなんだろうなー、と思っていました。
でもよく考えたら波打際には月は映りませんかね。海に行こう(笑)。
月のボタンを心の「穴」にかけたならどんな感じでしょう?
もしかしたら波の音がするかな。

http://park.millto.net/~hiro-y


きゃははの江戸我さん 投稿者:K.O. or kaoki
 投稿日:06月13日(日)12時19分47秒

芸術家も時には人間に戻りいたずらをしかけているかも知れません。
たとえば市立変態美術館などたまに行かないけどフランスの現代派画家の作品、
広いスペースを取りその真ん中に一本の縄をぐるりと巻いて置いてある。
題をみれば「束縛からの逃走」
フムフムと感心して帰り、
夕食のおかずをつまみながら、
ん? なんだあれはと思い出し噛む口が一瞬止まる。
そして少し噛んでまたとまる
そして少し噛んでまたとまる
噛む噛むで呑み込むときには諦めてお茶を飲む
飲むときにはもう忘れている縄のこと
忘れた方が良い。
だってフランス現代派は縄一本で儲けようと企んだだけだもの...
というシニカルだということはシニカルではないということではない(もうくどい)kaoki
(縄の美術作品はkaoki作、念のため)

最近悟った。NHKに俳句、短歌番組はあっても 詩番組のないわけ。
そのわけは寄り付くと詩は危険だから、危険番組はNHKに向かない。

窓から裸の男女を覗くのは危険危険何が飛んで来るかわからない。
とまあ、アル中気分。

http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Namiki/6256/index.html


” えど解釈 ” 投稿者:edger_
 投稿日:06月13日(日)10時28分33秒

 中也の詩、私は素直?!なので、月夜にボタンを拾ったとそのまま読んじゃった。
 確かに、別の物かもしれない、他の事かもしれない、それは書く自分も一番良く知っている。
 
 でも、月明かりは案外と明るい、大気の綺麗な昔はもっと明るかったかもしれない、海岸は
きっとさらさらの細かな砂、海岸で貝を拾ったのでは当たり前だし、そこはボタン、それ良い
かも、拾うのはやだけど、ポッケに入れるのももっとやだけど、捨てられないその気持ちは解
かりがちかも、詩人、詩人!

 昔のボタンは多分、少し小さめ、きっとまあるいボタンと まあるい月を心で掛け併せたに
違い無い、云々・・・。
 体温の無いボタンはきっと少し冷たくて、中也の心も少し冷たくて、心の投影しちゃったかも。
 詩人の孤独?さあ。

 私も想像の中で、海岸で月夜に中也とボタン拾った・・・。
 ちょーん。
 うむ、ありきたりな解釈過ぎるか、失礼しました。

 田中さんの
 ”ジャンヌとロリータの物語”、きゃはは、面白い、凄い!ですね。


RE:鎌倉フルコース 投稿者:K.O. or kaoki
 投稿日:06月12日(土)23時58分55秒

鎌倉いいですね
中華街いいですねまだありましたか
最近は中華街もデジタル化されてふかひれスープがデジタルスープに替わったそうですね
どんな味がするのか食べに行ってみたいです
一口飲むとうただひかる効果があるそうですね

ライオンの吠える声が夜中に聞こえてくる野毛山の近くに昔住んでました
近くにはまた広い広い公園があってヨコハマの街中が一望に見渡せました
まだあの公園は崩れずにあるのでしょうか
わたしの記憶はどんどん崩れていきます

生業はエンジニア、日夜新製品の開発促進。
翻訳も、詩(らしきもの)もバーチャルリアリティーの演技場で
もう一人の自分が演じている。
わたしのやっていることは意味論だと、どこぞの大学教授が教えてくれました。

英語で感じた詩とあとで立ち読みされる原詩との感想をお聞かせいただければ
面白そうです。なにしろ人間が「下劣だということは下劣ではないということではない昼の
わたし」なので即シニカルに向かう日本の私です。スミマセンでした。

わたしは読者を意識して書く、読者に伝える、詩はそういうものだと思ってます。
八重洲BCの清水CEOさんは詩は売れないとおっしゃってました。読者に伝える
気がないからなのかもしれません。(midnight pressを読んで)ところで、
かっこいい写真拝見しました。

http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Namiki/6256/index.html


鎌倉フルコース 投稿者:清水鱗造
 投稿日:06月12日(土)22時52分43秒

名月院(あじさい寺)、浄智寺、よかったです。山を少し歩いて
今度は海、その後石川町で降り、中華街へ。海では、イカの打ち
上げられてたのと、ハコフグ? なんかプラモデルみたいに堅い
のですが、これが死んだやつでした。どちらもデジカメで撮りま
した。運動不足、少し解消かな。

kaokiさんの訳した詩、なんか僕にはちょっといいんじゃないか
と思いました。この辺には「詩学」がないので、渋谷あたりで見
かけたら、立ち読みしてみます。

詩の翻訳というものは...よく、わかりま千円。
でも、kaokiさんはご自分がいいと思われたものを訳したほうが
楽しいのでは、と思います。僕はkaokiさんの訳はこの詩の場合
なかなかわかりやすいと思います。

>And my house is covered with something green.

たしかにこの部分のgreenというのはよくわかりませんが、
語彙が豊富ということ(kaokiさんの英語の)は羨ましい
かぎりです。
ところで、kaokiさん、この英訳をされて楽しかったです
か? 僕はkaokiさんの今日書きこんでくださった翻訳に
ついて感謝しますが、kaokiさんが楽しいほうが、さらに
うれしいです。
わからない、なんて倫理的になることはないです。翻訳
の生業のほうは、そういうのが要求されるのかもしれま
せんが、ぜひ詩というものを楽しんでください。英語の
詩でも。


あれ、 投稿者:清水鱗造
 投稿日:06月12日(土)09時45分26秒

kaokiさんの書きこみが、すぐ出てきたのでI'm surprised withです。
僕はこれから鎌倉に行きます。あじさい寺にも行くかも。女性(=妻)
と行ってまいります。



メモしまくりちえこ 投稿者:清水鱗造
 投稿日:06月12日(土)09時39分56秒

っておもしろいですね。kaokiさんも、さかがみじろう、を使っていましたが。
ここに、方言変換プログラムなどが、あります。
あ、Macだと、どうかな? でもMacでもたしかあったような感じです。
コギャル語とかあります。


詩を訳すそのとき詩が現れる 投稿者:K.O. or kaoki
 投稿日:06月12日(土)09時34分18秒

清水鱗造さま

詩の雑誌を見てそこに掲載されていた詩を英訳してみました。恐らく清水様は
どの詩であるか直ぐ察しがつくと存じます。

さて、何故わざわざ英訳する気になったかといいますと、

(1)原文の詩の意味が伝わって来ないこと。
(2)また日本語の使い方が曖昧なために生ずる曖昧表現をあたかも作者の計算によるが
ごとき批評を加えている解説記事を読んだこと。

この2点が理由です。英訳作業プロセスでは、先ず作者の意識を正確に理解せねばなりませんから
必然的に英訳の努力の中で原詩の意味が読み取れると見たわけです。

それで、結論として、英訳により意味が把握できたか?
No!
Why?
The transalation tells it.

コメント:原著者は「肉眼では見ることのできない風景の出現」(詩学、99年6月号、19頁)
だと述べている。また「「父を抱く」とか「股をひろげる」ことの突出した風景
は詩の意味の芯を重くする」とも述べている。
だが、英訳するに当たって「父を抱く」が、死に行く父を抱いたのか、病床にあった
寝たきりの父を抱いて半身起き上がらせ外の庭が眺められるようにしたのか、父と
一緒に寝て父に抱きついたのか(7月だから暑かろうぞ)、女を抱くように父を抱いた
のか(こんなことは有り得ない想像できない日本の私)、によって、embraced とする
のか、took him in my arms とするのか gave him my both arms to help him
see our garden outside なのか made love with なのかが決まる。意識が決まれば
訳が決まる。
父を抱いた時以外は現在のことを書いていると解釈した。だから、猫ん毛雨が降っている
のと土が舞うのは同時刻。じゃあ、雨が降って地面が濡れているのになぜ砂ほこり
が舞うの? 土が舞うって何かの比喩なの? なんの比喩だろう? 肉眼では見えない
風景なのだから文字どおり土が踊るのだろうか? それはそれとして緑が家を覆うのは
土が舞うのとどうつながりがあるのだろうか? なにか基本的なことを私が知らない
だけなのか?
股を広げている誰なのか英語の場合は、キチっと指示しなければならない。
陰部のシラミのことだろうから当然弟の股に決まっている。この評論家は可笑しな人
だと思う。弟のシラミを取るのに自分の股を広げる必要はあるまい。my loinsと
したら英語で読む人は?????となる。日本語表現のいってみれば稚拙さを、どちらとも
とれるところが良いと書くこの評論家の記述は ---視点の移動する攪拌された表出が、詩の
基盤を流動化するのだ---と難しく難しく説明し一般人のコンプリヘンドを妨げる。
ような気がする。

著作権法の問題をはらみつつあえてここに掲載させて頂きました。
************************************************************

Mirror in July

On the stone wall
A snake with dull eyes doesn't move.
Falling fine raindrops reminds me of myself, as a child, embracing my father.
Earthy dusts are blown up around me.
And my house is covered with something green.

Through under sycamore trees,
I sneaked into the garden of a house
And enjoyed myself in secret.
The garden was always dry and white.
Through the window from the garden,
I once saw in the mirror a naked man and a naked woman
And found the man's arm had a lost hand.

In the day the sky gives vague expression
The skyline is unnecessarily bold
My eyes feel itchy
Having my brother spread his loins wide open
I caught his lice
But he is no longer with us
So I don't need the mirror anymore

http://www.geocities.co.jp/HeartLand-namiki/6256/index.html


kaokiさま 投稿者:清水鱗造
 投稿日:06月12日(土)09時30分57秒

もう一回中原の詩を出しておきます。

月夜の濱邊
中原中也

月夜の晩に、ボタンが一つ
波打際に、落ちていた。

それを拾つて、役立てようと
僕は思つたわけでもないが
なぜだかそれを捨てるに忍びず
僕はそれを、袂にいれた。

月夜の晩に、ボタンが一つ
波打ち際に、落ちていた。

それを拾つて、役立てようと
僕は思つたわけでもないが
   月に向かつてそれは抛れず
   波に向かつてそれは抛れず
僕はそれを、袂に入れた。

月夜の晩に、拾つたボタンは
指先に沁み、心に沁みた。

月夜の晩に、拾つたボタンは
どうしてそれが、捨てられようか?


日本語で書かれた内容を、自分の体験と照らし合わせることは誰でも
やりますよね。「月夜の浜辺」は500バイトぐらいの情報量ですが、
アタマの中で、照合する作業は大量の情報を使います。

>中原中也は月夜のあかりでボタンなど実際は拾ったわけでは
>ないのではないかという気がしますがどうでしょうか?
>月夜の晩といえど相当暗い筈。ボタンなど目にはいったのかなと
>考えたりします。

>本当だとするとボタンはかなり大きなボタンかなという気がします。
>シャツの小さなボタンなら、指先ですぐ暖まるから。

そういう疑問は、自分の体験と照らし合わせて、類推されたわけです。
まず「月夜の浜辺」で舞台が設定される感じですね。それでkaokiさんの
ような思いが湧いてくるわけです。「ひとつのメルヘン」では、水のない
川が設定されていますが、これをそのまま読むと(これも傑作ですが)、
超現実みたいな感じです。中也はダダイズムを初期に打ち出していました
けど(ほんとうはそういうふうでもないのですが)、僕はこの不思議に流
れはじめる水にとても感動していました、ダダイズムとは何の関係もなく。
ところが、後で実際に水無川(季節によって水がなくなる川)を中也は見
ていることがわかりました(でも「ひとつのメルヘン」がそのまま、この
水無川に関係しているとはいちがいにいえません)。
いずれにしろ最初の感動は変わりません。

>ボタンは何かの象徴なのでしょうか?月夜というのは死の世界ですか?
>とか考えていると頭が痛くなってつまらない。あるいは恋人が残していった
>ボタンなのですか? それで心に沁みるとか。低俗なので良く分かりません。

それを書くと、詩論になっていきます(^^)。難しく考えることはないと思い
ます。ただ感じればいいのでは。


哀れなベルギー人。 投稿者:田中宏輔
 投稿日:06月11日(金)15時08分21秒
。。。清水さま。

   タイトルがすごくよかとです。seashore、ジャズ、アドルノ、このフレーズだけで
    詩のひびきを感じおりますたい。

   アドルノという名前は知っていましたが、まだ読んだことがなかったので
     あした(きょうは仕事が遅かですとよ)見に行きます。

   ダイナー・ショアーを友だちがよくかけてくれるんですけど(遊びに行くと)
     お酒がすすみすぎて、あっちょんグリゲです。

   マイルスとか、なんとかウィンストンとか、よく知らないものもかけてくれるんですが
     あっ、だからかもしれませんが、ジャズはついつい、買いそびれてしまいます。

   でも、ほんとうに、お酒がおいしいですよね。
     これからじゃんじゃん、暑くなりますから、よけいにおいしく感じられるでしょうね。

       では、では。飲みすぎに注意してください。

                              あっちゃんブリゲ。。。

。。。kaokiさま。

   むかし、ぼくは、英語の辞書を買うときに、beastとanimalの違いが明確に載って
     いるものを探しました。また、語源が原語で書かれてあるものを強く希望していた

   ので、およそ、6時間ぐらいかかって選びました。(三省堂のカレッジクラウン
     英和辞典です)本屋さんでメモしまくりちえこでしたので、店員に変な顔をされた

   記憶があります。マーガレットを辞書で調べると、ドイツ、フランス、日本、イギリス、
     アメリカで、その言葉がさす植物が異なりますが、これも、辞書によって、

   詳細さに差があります。on the shoreと、on the beachでニュアンスが異なる
     感じが、kaokiさんのご説明でわかり、勉強になったというわけです。

   ぼくの知識は偏狭で、浅いので、もっともっといっぱい教えて下さると
     うれしいのです。ほんとです。

       では、では。

                                あっちゃんブリゲ。。。


清水鱗造様 投稿者:K.O. or kaoki
 投稿日:06月11日(金)01時03分25秒

中原中也は月夜のあかりでボタンなど実際は拾ったわけでは
ないのではないかという気がしますがどうでしょうか?
月夜の晩といえど相当暗い筈。ボタンなど目にはいったのかなと
考えたりします。

本当だとするとボタンはかなり大きなボタンかなという気がします。
シャツの小さなボタンなら、指先ですぐ暖まるから。

ボタンは何かの象徴なのでしょうか?月夜というのは死の世界ですか?
とか考えていると頭が痛くなってつまらない。あるいは恋人が残していった
ボタンなのですか? それで心に沁みるとか。低俗なので良く分かりません。

普通ボタンなど落ちていても使い道がないしはじめから拾わないけれども、それよかきれいな
貝殻をひろうのが普通だけれどどうなんだろうかとか。低俗なので。

田中宏輔様 勉強になるところ何処ですか?


seashore、ジャズ、アドルノ 投稿者:清水鱗造
 投稿日:06月10日(木)19時52分29秒
kaokiさん、どうも。
なんか、下を見ている感じを出したいので、限定しましたが、このあたり
nativeの人に聞いてみましょう。やはり、「指先に沁み」「心に沁み」と
いうところが難しいけど、なんか、ばっと送ってみましょう(^^)。

あっちゃん、サラ・ボーンですか。実はちょっと聞いています。古いジャズ
もいいですね。じつはいま読んでいる本、アドルノの『プリズメン』に音楽
論があります。ジャズの部分はまだ読んでいないですが、カフカ論とか、有
名な「文化批判と社会」などとても僕にフィットします。ちくま学芸文庫で
すが、これは買ってよかったな。


あっ、あのCDR 投稿者:田中宏輔
 投稿日:06月09日(水)19時38分58秒
。。。清水さま。

   あの、友達にもらったCDRって、サラ・ボーンでした。
 
                                     。。。

歯磨チューブなど。 投稿者:田中宏輔
 投稿日:06月09日(水)19時36分14秒

。。。清水さま。

   白のアルバム。ぼく自身の青春(いちおう、あったと思うげな、てな感じです)
     を引きずってて、聞くとうれしいような、悲しいような、でも、やっぱり聞きたくて

   帰って聞きました。むかしの言い方ですと、ビニール盤の裏面が好きです。
     マザー・マイ・ディアから、ロッキー・ラックーンそして、ラスト(この

   面の)まで、ほんとに叙情的で好きです。
     ところで、何年も前の話なのですが、ちいさな雑草を

   歯磨チューブの蓋をさかさにして、それに土を入れて植木鉢にして
     たくさん並べたものを、知人が展覧会で見たと言っておりました。

   とても感心したとのたまわっておりました。
     ふううむ、たしかに、と、ぼくも思ったことを思い出しました。

    kaokiさんの記述も、勉強になります。
      勉強になりますし、読んでいて、ふむふむとうなずいている、ぼくでした。

    梅雨になりました。お身体、気をつけてくださいね。
      では、では。

                                 あっちゃんブリゲ。。。


清水様 投稿者:K.O. or kaoki
 投稿日:06月09日(水)00時17分17秒

急がせたようで済みません。
非バイリンガルであるということは
非バイリンガルではないとうことではないkaokiの昼です。
なんだか自分でも分かりませんが。

ところで「波打ち際で拾った」のイメージは浜辺(on the beach)
の広いイメージより狭い描写。浜辺に砕けた波が慣性力で砂の上を薄い層をなして滑る。
引いて行く波から残された水は静かに砂層に吸い込まれる。
この繰り返しの境界部分でボタンを見つけた。at the surf's edge(+) 的
感じですが一方で、(+)としてしまうと視野が狭くなる。でも、タイトルが浜辺
だからいいのかな? それで清水様は、seashoreとされたのですが、英英によると、

seashore:波と陸の境界:海岸、砂浜でも岩場でも良い、どちらとも特定しない。
beach:上だけど、浜は砂浜、多少大粒の砂でもいい。

波打ち際:上のいずれでもない。
カレッジライトハウスでは波打際:beach となってますが多分違う。

波がうち押せては返す、それに伴って砂の上を滑る水の層。

月明かりで歩いているのだから、ごつごつした岩場の波打際ではなかろうとか悩みは尽きない。

月夜の明かりで見つけた? ほんと? オーバーのボタンか?とか....また悩む。

http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Namiki/6256/poem-2.html


 投稿者:清水鱗造
 投稿日:06月08日(火)23時48分27秒
あっちゃん、

>白のアルバム、お買いになられたのですね。いま、特別盤が出ているでしょう?

それです。それです。シリアルナンバーの入っているやつ。ぼくもレコードでほと
んど聴きました、ビートルズ。

漢字の話はおもしろいのありますね、ときどき。発見という感じで。字体の話は、
パソコンで話題になりやすい、というか問題になってるから。

ビートルズの歌詞はいいですね。なにげないのがいいです。ブルースなんかは、
「死んじゃいたい」とか、きついですけど。
ホワイトアルバムの後ろのほうにある、Savoy Truffleっていうのはどんなお菓
子なんでしょうかね。こういう軽いのが好きですね。すごくおいしいものが、特
別だってことは全体が比喩にもなっているんでしょうが。

関さん、
ヒメジョオンの写真たのしみです。僕も近接撮影で、詩ではあんなのを書いたけ
ど、きれいな花も撮っています。ほんとに雑草の花が好きなんですけどね。
吉田さんは、一度お会いして飲んでからmailを出してないです。復活祭の後だっ
けお会いしました。
「月夜の浜辺」の翻訳はそのうちアメリカの詩人に見ていただきます。なんか
変なとこあるけど、初稿のままメールに入れてみてもらうつもりです。みなさん
のといっしょに。


白。 投稿者:田中宏輔
 投稿日:06月08日(火)09時50分22秒

。。。清水さまへ。

   白のアルバム、お買いになられたのですね。いま、特別盤が出ているでしょう?
     写真が4枚、大きいコラージュ写真のポスターが入ってるんですけれど、

   紙ジャケのころの小さいバージョンですね。
     バンド・オン・ザ・ランの特別盤もこのあいだ、買いました。

   ビートルズ大好き人間です。
     最近、友達にジャズ・ボーカルのCDをCDRに録音してもらったんですけれど

   いま、職場で、名前が思いだされません。
     黒人の、デブの、ハスキーなヴォイスの人です。

   ううん。おもいだせません。
     苑のご説明、勉強になりました。

   こうした機会で、あたらしい知識を知ることのできる喜びがありました。
     (あれっ、かたい言い方になってしまっています、ううん、変ですね)

   白のアルバム。北園克衛を思い浮かべて、聞くのも面白いかもしれませんね。
     きょう、帰ったら、そうしてみます。

                                 あっちゃんブリゲ。。。    


「月夜の浜辺」 投稿者:関 rain tree
 投稿日:06月07日(月)23時43分29秒
中学の頃とても好きで口ずさんでいました。
英語ぜんぜんわかりませんけれど、リフレインがあってリズムのある詩なので、
なんとなくおもしろい。
「tamoto」とあるので、なるほど洋服なら袖にボタンは入れられない。
中也は飛白の浴衣でも着ていたのかしら、、、と思いました。
ヒメジョオンの写真を撮ってきました。まだアップしていません。
ハルジオンもまだけっこう咲いていました。道端にまじりあってさいているので見分けがつきません。
色もヒメジョオンもかすかにピンクがあるし蕾は下がっているのもありましたね。
わかりやすいのは葉の形。ヒメジョオンのほうがぎざぎざが深くて尖っています。
それにハルジオンより丈が高い。
もっと分かるのは清水さんも書いてくれているように、中ほどから折ってみるとハルジオンは
茎が空洞ですが、ヒメジョオンは白い髄があります。
2本ずつ折り取って帰って壜に挿しました。
あとになりましたけど、吉田浩さんの拙詩の御感想、プロペラページに掲載してくださって
ありがとうございます。ひとつの詩についてあんなにたくさん書ける吉田さんってすごい!
吉田さんはパリでお元気でしょうか。メール届きますか?

http://home2.highway.ne.jp/ofuji/


音楽 投稿者:清水鱗造
 投稿日:06月07日(月)23時11分29秒
田中さん、音楽くわしそうですね。僕はここのところ、CDを
あまり聴かないのですが、たまたま先月、ヨー・ヨー・マの
CDを3枚買いました。

Soul Of The Tango -The Music Astor Piazzolla
Hush -Yo-Yo Ma, Bobby Mcferrin
Anything Goes -Stephane Grappelli and Yo-Yo Ma

です。いちばん上のはネスカフェの広告でやるやつが入って
います。
あと、BeatlesのWhite Alubumを買いました。テープのをもっ
ていたのですが、どっかにいっちゃったので。
ジャズは息子がやっているので、なにかと聴く機会はありま
す(要するに息子のCDはごっそりあって、聞こえてきたり)。
クラシックでは、マーラーが好きですね。シューベルトの交響
曲も好きです。あと、一時シベリウスに凝りました。でもここ
ずっと聴いていません。

ヒメジョオンで、「苑」という字が出てきて思いだしましたが
なんで、馬事公苑といって馬事公園ではないのかというと、苑
には「かこいを設けて鳥獣を飼う場所」という意味があるから
のようです。サラブレッドがいっぱいいますから。ではなぜ、
新宿御苑というのだろうと考えたら、今度の話題で、「苑」と
いう字([草かんむりに宛]も同じ)には、「草木を植えた庭園」
という意味があり納得しました。「さかんに繁るさま」という
意味もあり、ヒメジョオンの場合はこれですね。


やってみました。「月夜の浜辺」翻訳 投稿者:清水鱗造
 投稿日:06月07日(月)21時09分01秒

なんか恥ずかしいですね。たぶんバイリンガルのkaokiさんと違って
文法的間違いがあるかもしれません。kaokiさんの翻訳は見ないで、
居間で訳してきました。間違いがあったら指摘してください。

The beach on a moonlight night

I found a button at the seashore
On a moonlight night.

I did not think I would use it
But I picked it up and put into my tamoto*.
I did not know why I could not throw it away.

I found a button at the seashore
On a moonlighe night.

I did not think I would use it.
But I could not throw it toward the moon.
I could not throw it toward the waves.

The button which I picked up on a moonlight night.
I felt it at my fingertip.
I felt it deeply in my heart.

The button which I picked up on a moonlight night.
Why can I throw it away.


*tamoto:the pocket of the kimono(Japanese Robe)


” 御回答、有り難うございました ” 投稿者:edger_
 投稿日:06月07日(月)14時28分34秒

 清水 様
 田中 様

 御丁寧に、有り難うございました。

 盗用というより、印税の方を考えていました・・・。
 しかし、世間では余り知られていない盗用とかもあるのでしょうね、昔、新聞でプロに盗用
された素人の記事とか見たこともあります。

 ”老人力”には、確かに書評に命名者の名が記されていました。
 その辺は、まあ当人のことなのですが、もめてもいるかもしれませんね。
 60歳で老人で翁とは若過ぎると思いました、せめて70歳と思いたいです・・・。

 ”@極”とつい伏せ字にしましたが、御記憶にあると思いますが ”究極”という言葉でした。
 あの便乗商法が認められたのは不可解なことでした。

 自分の作品を守ることが先決なので、他国の100年に延長のお話は良かったと思います。
 有名な原爆詩人でも随分と昔に、もう何年も経ってからの盗作騒ぎの記事を読みました、
あれからどうなったか知りませんが、残念なことに私の眼でもやはり明らか的でした。
 
 盗作など語るに足りない忌まわしい行為なので、余り問題にしたくは無いですね。
 ただ、言葉やクセというのは結構移ったりすることがあるので、私は投稿していた頃にも
なるべく他者の作品は読まないようにしていました。
 某所では、誰もがとある同じ言葉を詩に登場させていたことも、面白い現象でした。
 やはり、いろいろ気を付けなければ、ならないようですね。

 誰も自分をしっかり見詰めていれば、自ずと自分の心の言葉が出て来る筈なので、のんびり
やってゆきたいものです。


田中宏輔
 投稿日:06月07日(月)14時12分11秒

。。。清水さま。

   ヒメジョオン、ヒメショウなど、教えていただいて、思いだしたんですけれど、
     たしか、かわいいものには、姫、いかついものには鬼ってつくんでしたよね。

   ヒメユリ、オニユリって感じで。
     じゃあ、ちっさい消しゴムは、ヒメ消しゴムとか、でっかいおにぎりは、オニオニギリとか

   と、呼んだりなんかして。
     

   学生時代に、よく授業をさぼって、繁華街に出て、ジャズ喫茶にたむろってました。
     ビッグ・ボーイという、いまはなき、ジャズ喫茶なのですけれど、

   フュージョン系のものも、けっこうかかっていて、ウェザーリポートなんかも
     しょっちゅうかかってました。ぼくは、自分がベースをちょっくらやってたもんで

   ジャコのソロなんかも聞いてました。スタンリー・クラークが、一番好きだったんですけど
     いまは、あんまり、聞くことなくなりましたね。

   このあいだ、アメリカのプログレ・バンド「スター・キャッスル」のファーストが
     中古CDショップに売っていて、しかも、たった300円だったので、

   ぎょえーって、感じで、すぐ買って帰りました。前から、方々手分けして
     さがしてたもんなんですけど、自分の目で偶然に遭遇するなんて思ってもなかったものですから。

   こんなことって、あるのだなーって思いました。
     最近、気に入ってるのは、クラッシュ・なんとか・ダミーズってバンドの

   新譜です。コラージュっぽい曲の作り方に、共鳴します。
     むかし、フューズ・ワンってグループのシルクって曲がすきだったんですけれど、

   これもまた、ビッグ・ボーイによくかかってました。
     日本のバンドでは、スペース・サーカスというのが好きでした。

   このCDもまた、手に入れそこなったもののひとつなんですけれど
     なかなか再発してくれそうにありません。本もいっしょですね。

   ジュネの花のノートルダムを文庫で再発してほしいと願うのは
     ぼくだけじゃないと思うのですけれど・・・・・・。

   ううん。       
               
                                 あっちゃんブリゲ。。。                        
         


盗用と引用について。 投稿者:田中宏輔
 投稿日:06月07日(月)11時02分12秒

。。。Edgerさんへ。

   盗用とは、元がだれだれのであるかを明記しない場合のものであると思います。
     元がだれだれのものであると明記しておけば、一応、引用ということになると思います。

   えげつない引用の場合、たとえば、本一冊まるまる引用して、後にちょこっと
     感想などを付けたりしたものなんかは、引用の範囲を逸脱してしまうことになると思います。

   まあ、ことわりがあれば、いいんじゃないかとおもいます。
     何年か前に、引用に関する本が(文章を書く人用の)出てましたが、

   それをごらんになれば、もっと詳しくお知りになれると思います。
     そういえば、老人力って、赤瀬川さんの言葉じゃないけど、まるで

   赤瀬川さんの言葉のように流布していますね。
     それで、お金を儲けちゃってるなんて、なんだか、ずるいって、感じですけど

   有名人のためか、あんまり、人は言いませんよね。元の人が、なんだか可哀相・・・。
     バルザックの有名な盗作問題を思いだしました。

   笑っちゃうようなお話ですけどね。
     まあ、盗作された本人は、たまったもんじゃないでしょうけれど。

                                では、では。。。  


さらに 投稿者:清水鱗造
 投稿日:06月06日(日)15時30分45秒

下にすごく真面目なことを書きましたが、たとえば高村光太郎
が「千恵子抄」というのを書いてまさか同じ題の詩集をつくる
人はいませんね。グッチ裕三という人が芸人にいますが、高知
東生(のぼる)は高知東急(のぼる)から、提訴されて直しま
したよね。
ひとつひとつの言葉の場合、それは流通する言葉にはもちろん
流通している一般性があります。あまり堅く考えないほうがい
いと思います。


で、盗用、盗作のこと 投稿者:清水鱗造
 投稿日:06月06日(日)15時20分32秒

盗用、盗作はもの書きは徹底的に糾弾するべきでしょう。
盗作問題も戦後詩のなかで起きています。盗作の場合、
もしやったら、その人の書き手生命が終わりと思ってい
いです。

盗用は、そのひとつひとつの内容が問題になります。
盗用と認める、という基準がありますが、実は、だいた
い盗用と「見られる」ケースで、さかんにその「ケース」
をやっていたらこれも、書き手としての倫理はもう終わり
といっていいです。盗用された方はまず、個人的に積極的
言うべきですし、盗用をさかんにした方はクリエーターと
して、もうおわりです。

edgerさん、詩と絵についての感想、ありがとうございま
した。また、そのうちアップロードします。(^^)


著作権 投稿者:清水鱗造
 投稿日:06月06日(日)15時08分28秒

>私が良く解からないのが、某tv.局が ”@極”という流行語
>を創った、言葉の著作権に関してです。

この”@極”って何でしょうか。ぼくはわからないんですけど。
タイトルに使ったということですか?
「お笑い」の人がほかの「お笑い」の人のギャグをパクるとか
そういう感じなのでしょうか。
こないだ、某国(大国)で著作権を死後100年に延ばす、という
改正の動きがある、というのを知人から聞いて知りました。
著作権が商業権にあからさまに結びついていいのが、死後50年
ということで、テレビを録画しますよね、それを個人的楽しむ
分にはかまわないわけです。ただ、それ(録画したもの)を売
ると犯罪となります。でないとみんな逮捕されますからね(^^)。


” 著作権について質問など ” 投稿者:edger_
 投稿日:06月06日(日)14時18分39秒

 ども、いつもムロってるばかりの私です、いろいろお勉強させて頂いています。

 質問というか、現在の著作権法は明治後半に制定されたものらしく? 死後50年ですよね。
 私に言わせれば、昔々は人生50年と言っていたのだから、そう制定されたのかどうか、現代では
平均寿命に合わせて80年に変更して欲しいと思ったりするのでした。
 つまりは、子供の時代にも託したい、という感じかもしれません。
 次の世代の眼の前で、作品に関していろいろあってはという危惧もあります。
 もっとも私は素人なので、何の心配も必要は無いのですが。

 私が良く解からないのが、某tv.局が ”@極”という流行語を創った、言葉の著作権に関
してです。
 他局の明らかな便乗商法は、当然、訴えられた訳ですが、法廷では”言葉は皆のもの”という
論理によって、逆に認められたというのを私は前に読んだことがあります。

 この場合の言葉自体は間単ではあります、しかし、物書きにとっては非常に理不尽だと思うの
ですが、どうでしょう。
 仮にですが、同じ言葉を活字で私が流行らせたとして、誰かが許可無く便乗したとしたら、
私は企業では無いので訴えないにしても、良い気はしないでしょう、或いは訴えるかもしれま
せん。
 しかし、それ以上の文字数とすると、オリジナリティーや場合によっては確固として訴える
かもしれません。
 一番問題なのは、便乗する人が悪意が善意かということかもしれません???
 曖昧です。
 同時期の使用で、善意というのも無いような気がします。

 ところで、一般的には、よく有名な曲名や海外の著作名が、好きだからという理由で好意的に?
そのまま使われることがままあるみたいですが、あれはやはり著作権の切れたものばかりなの
でしょうか、それともやはり勝手に使われているのでしょうか、気になるところです。

 ところで、どれも読み応えがあるのですが、詩と画が素晴らしくマッチして良かったので、
感嘆してしまいました。
 詩の文字と画のお互いの創造力が、これほど増幅し合うことを初めて知った気がします。


プロペラページの掲示板に 投稿者:清水鱗造
 投稿日:06月06日(日)12時45分33秒

新着テキストと前から吉田裕さんにいただいていた、関さんの詩についての
感想エッセイを載せました。ごらんください。

まだこの掲示板はカスタマイズ中です。表示は変わる可能性がありますが、
内容は変わりません。



編集室/雑記帳 過去書き込み 目次前頁(編集室/雑記帳(1999.6.15〜6.22))次頁(編集室/雑記帳(1999.5.28〜6.5))

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