うろこ新聞 2003年8月11日号(新島への旅 その4-トピックス)
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うろこ新聞 2003年8月11日号(新島への旅 その4-トピックス)



 新島から大島が見える。大島は伊豆方面から見える。つまり、本州から見える島だ。
 その点、近世、流人の島だとはいうものの、歴史の一断片で、最近ならば、戦後経済発展期から夏になると観光客が人口を倍増近くまで多くする、というほうが大きな出来事だともいえそうに思う。学生のころはもっと低速の船のみだったが、今度は東京・竹芝桟橋から2時間ちょっとという速さである。高速船の就航で、どこまで年間に訪れる人が増えているのかは知らないが、確かに気軽にはなった。
 また、この島での生活文化は神社と寺に象徴され、大きな十三神社の鎮守の森は本州にいるのを錯覚させる。たぶん、風などの環境がいちばん優しい山裾に建てられるのも自然だった。より小さい祠は、もっと細かく分かれた神、より自然神に近い神を思わせる。憶測であるが。きれいな鎮守の森の歴史をさらにさかのぼって、という気分になる。
 いずれにせよ、東京都などからたぶん予算が入り、この島独自の文化+観光を開発しているのであろう。原生林の保護をしなければならないこと、自然を壊すことがマイナスであることは誰でもが気づくことだが。博物館では、ここの高校に赴任した教師が集めた昆虫標本などおもしろかった。クワガタムシなど、だいぶ小さめである。海流のなかの島、それを思い起こさせることがなつかしい。
 前浜の海に顔を出して浮かんでいるのを桐田さんが撮ってくれた。透明度は高くずっと海底が見えている。底が見えると泳ぐとき、どこか安心する。ぼくは、空を見ながら長時間浮いているのが好きである。



 7日号でもホルトノキについて書いたが、桐田さんが灰皿ネットの吸殻山日記でも写真を載せてくださったように、ホルトノキはクマゼミが好む。ホルトノキは湘南地方ではなんじゃもんじゃの木で括られる、変わった木ということになるらしい。
 桐田さんの写真のクマゼミは背中を撫でると、鳴きながら後ずさりしていった。全然逃げる気はない。



 携帯電話(ぼくのはTu-Ka)は圏外になってしまうが、宿で夜中にしばらく通じた。なぜだろう。突然、留守録通知の音が鳴って、つづいて通話ができた。カード電話があるから、なにも携帯電話を使う必要もないのだが。
 テレビは見なかった。2日目、やはり新聞が欲しくなるが、どうも売っているところがない。
 スーパーマーケットにも寄ったが、この島で捕れる魚・タカベが100グラム198円ぐらいで売っていた。スイカは世田谷区のスーパーと同じくらいの値段(ほかの野菜、果物はいつも値段を気にしていないのでわからない)。
 くさやと嶋じまん(焼酎)が特産品ということになるのだろうか。




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