うろこ新聞 2002年9月24日号(また芝生の上で昼寝)
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うろこ新聞 2002年9月24日号(また芝生の上で昼寝)



 先週、金曜またしても御苑で昼寝をした。その後は、西新宿「ユニテ」に桐田さん、足立さん、と同じ面子で飲む(ちなみに今週は金曜は飲みません。日曜午後8:00ぐらいから特別にrain tree プラス Booby Trapの飲み会があるので、その時刻--その前は開いてません--に会費2000円ですのでどなたでもどうぞ)。
 ポプラ並木がシンメトリに配置されていて、その片側。芝生はよく手入れされている。
 桐田さんの折り紙で作る「ゴミ箱」、ぼくも作ったので、次の新聞に紹介いたします。机の上のちょっとしたゴミに、きれい好きな人には便利です。


 睡蓮がはびこっている池。


 橋の下を見ると亀がたくさん泳いでいる。

新編 倉田良成の解酲子飲食 4

ハレとケ
 一杯九百八十円という値札をつけた堂々たる花咲蟹をまえに、考え込んでしまったことがある。木曜の夕方、今日は私が食事当番という日の、行きつけのスーパーでのことである。このスーパーはときおりこんなことがあって、本マグロの中トロが一サク五百円だったり、生きている毛蟹が一杯七百八十円だったり、めちゃくちゃをするのだ。むろん、安かろう悪かろうということではなく、勇を奮って買ってみるとちゃんとその味がするのだから始末に悪い。問題は、ウイークデー、疲れて帰ってきてそんなご馳走をまえにして、素直に喜べるかどうか、ということだ。そんな、特別な日にしか食卓に出ないようなものを、毎日出されたりしたら、まるで永遠につづくお正月、終わりなき宴という気がして空恐ろしくならないか。空恐ろしいというのは、必ずしもそんな贅沢をして、ということではなく、終わりなき宴というのがわれわれにとって悪夢に類することだからである。日曜日ででもない限り、千円という値がついた目の下三十センチの大鯛を、三枚にして刺身に蒸し物に焼き物にということはしたくはないのである。ふりさけみれば、肉がご馳走でなくなったのはいつのころよりか。手巻き寿司に心ときめかなくなったのはいつからか。すべてハレとケの境目が曖昧になってきているからである。成人戒(イニシエーション)の本来の意味が失われて、大人みたいな子供や子供みたいな大人が世を席巻するようになってきたのもこのことと関連があるだろう。そのいっぽうで、ほんものの野菜や魚の味わいに驚嘆するようなことがあるが、これは本来われわれが拠って立つべきケの領域が文明という名の野蛮さに侵食されつつあることを意味している。日々の辛苦の果てに爆発的に訪れるのがハレであり、毎日ディズニーランドへ行っていたらおかしくならないほうがおかしい。

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