うろこ新聞 2002年9月9日号(ユニテ開店)
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うろこ新聞 2002年9月9日号(ユニテ開店)



 まったくこの夏はひどいものだった。今日の残暑でさえまだ身にこたえる感じである。冬眠ならぬ夏眠におちいるしかなかったところだ。
 夏も終わりごろ、亡くなった木嶋孝法さんの奥さんから一通の手紙が届いた。木嶋さんのものを読んで、何回か家を訪ねたり訪ねられたり行き来したのだが、僕には木嶋さんの存在が不思議に心の琴線に触れるようなところがある。「無意識」とよくいうが、まさに「無意識」がそれほど頻繁に会っていたわけでもない人物との交流で、言葉だけではない何かを残すことがある。ぼくにとって木嶋さんとはそんな人だった。
 封書には印刷された店の開店日が記され、ぜひ来るように促されていた。開店日には伺わずに、9月7日土曜日、伺って撮った写真である。通夜でも感じたのだが、木嶋さんの家庭は明るいものだったのだなあと思ったのだった。
 不思議なことがあった。僕はそれほど酒を飲まないので馴染みの店はほとんどないのだが、西新宿の火の子という店には年に数回ずつ行っていた。火の子はちょうど閉店されて、木嶋さんの奥さんはそのまま同じところに飲み屋を出したのだ。
 前と同じような座席のレイアウトに、とても親しい詩人の魂が宿ったような気がした。 ぼくは酔って、次のようなコピーを言ってみた。これはもう少し練ってみようと思う。

 詩人の魂に触れたかったら
 ユニテに行こう
 
 というわけで押し付けにわか営業係を僕は自任しようと思ったわけだ。
 いろいろ考えれば場所も集まるのに適しているし、なにかと利用させていただくことになると思われる。


DATA
新宿区西新宿7-12-23 松沢ビル3F
「ユニテ」
電話:3365-1642


新編 倉田良成の解酲子飲食 2

三ちゃん盛衰記

 JR鶴見駅の西口、京浜東北線と鶴見線の軌道が分岐するあたりに、かつて「杯一」という、昭和三十年代から続くようなキャバレーがあった。どう見ても「ぱいいち」としか読めない名のこの店には入ったことがなかったが、仕事からの帰り、夜目にもしるく黄緑のネオンがその文字を妖しく浮かび上がらせて、ああどんなおばさんたちがこの店で媚を売っているのだろうかと、女房と笑い合っていたものだ。二三年前にそれが突如姿を消し、一年前に私たちも引っ越してこの鶴見の住人になったのだが、店のあったあたりを観察してみると、案の定、ガード下で何十年も営業しているような店ばかりの、ごちゃごちゃとしていてうら悲しい場末だった。何十年もといったが、杯一のように潰れたりまた出来たりといった消長はめまぐるしく、そのなかで「あんちゃん」「坂ちゃん」「やぎちゃん」という、みなちゃんのつく店の盛衰は興味深い。このうち、やぎちゃんが最も後発で、店の規模(という言い方が許されるなら)も小さく、しかも立ち呑みで、西口に手書きの(しかも汚い)メニュー表を出すなどの営業努力もむなしく、最初に店を畳むかに見えた。そのうち、あんちゃんの看板が消え、そうこうするうち坂ちゃんもいなくなって、ちゃんのつく店はどこにもなくなったのかと、胸の内をすきま風が吹き過ぎる思いだったが、ある夕方、店の装いも新たにやぎちゃんが営業しているではないか。立ち呑みはそのままで、客もぽつりぽつりと入っている。また別の夕、五六人も客がいて店がいっぱいのこともある。ジャンパー姿の赤ら顔のおやじや、競輪帰りのじいさんなどが燗をしたコップ酒を呷っていてなかなか迫力があるが、いつかこの仲間に交じってコップ酒をやってやろうかと考えている。むろん女房は一緒に連れてゆけない。(のちに坂ちゃんは営業を再開した)

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