うろこ新聞 2001年月日
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うろこ新聞 2001年11月5日号(安芸の海景)



 みーさん(高田信雄さん)からメールでいただいた写真。みーさんの付けた題は「安芸(秋)の夕暮れ」。

 東京で、街中にくすぶっているとこういう場所は遠いのでなかなか見られない。今日は、朝方すばらしい天気だったがだんだん曇ってきている。ちょっと出かけようと思っているのだが。(鱗造記)


【倉田良成の解酲子飲食 48】

蛸好み

 蛸というのは、西欧では「devil fish」といって忌み嫌われて食することはあまりないようだが、われわれ日本人にとってはお馴染みの魚介で、とくに関西圏では好んで食べられるようだ。あそこでは明石の蛸が名高いが、東京近県では三浦のものが上質とされる。新橋の烏森神社にほど近い店は、活け作りを身上とするかなり格式高いところで、そこで出す蛸は三浦の産で、なんという意識もなく頼んだところ、半透明の肉質とあるかなきかの身の甘さに驚いたことがある。処理の仕方も大いにあるのだろうが、素材自体が駄目だったら処理のしようもなにもあったものではない。大阪といえば蛸焼きだが、あんな、小麦粉のなかでころんと丸まった硬い蛸などはお話にならなくて、大阪人の、蛸にこれぞという執着心を実感したのは、たしかお初天神の境内にあった活け蛸専門店であった。カウンター席に友人二人と一緒に頼んだ蛸の、なんというかいわばゲソなのだが、皿いっぱいに盛られたそれはまだ生きていて、うじゃうじゃとのたうつそれを醤油につけて口に運ぶと吸盤が舌に吸い付いてきて、咀嚼に眼を白黒させなければならなかった。「devil fish」の実感と日本における大阪のまぎれもない異邦性を痛感した次第だが、そういえば以前、村松友視先生の釜山における食体験記をテレビで観たことがあって、なんだか海岸っぺりの砂浜のはずれにある屋台で飯蛸を出していたが、先生「これは凄い」と言ったその無慮無数の脚の蠕動には驚いた。何か辛い醤のようなものをつけて食べるのではあろうが。

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