うろこ新聞 2001年月日
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うろこ新聞 2001年10月15日号(海埜さんちの猫・ベベ)



 海埜今日子さんコメント:名前のべべは、ブリジット・バルドーが中国で「猫女」と呼ばれていたと聞いたことがあるので、彼女の愛称からつけました。15歳、唯一の同居人、年の割に元気です。
 ベルちゃんは私が以前飼っていたクワトロという子に似ています。

 (鱗造記)洒落た布の上に寝てますね。


【倉田良成の解酲子飲食 42】

宴会作法

 中酒、という語がある。ありていに言えば食事とともに出される酒のことでいま考えればなんでもないが、こうした言葉が残っているところにかえって昔の宴会というものの残像があるのではないかと思う。かつて、公の場で酒を飲むということはすなわち自分より上の地位に当たる者、貴人とか親方から下される盃という意味合いがあった。それがまず、ものを食うより先に一巡りは宴席に集まった衆の間を回るのである。「駆け付け三杯」という言葉に遺っているように、最初は空きっ腹でご酒をいただかなければならない。ご馳走のまえに飲む酒は、下戸にはたまったものではないが、上戸にとってこれほど痛快にはらわたを痺れさせるものはない。結果、落花狼藉となるのは現在に至るまで変わらぬ光景だが、明日を考えない上戸の男にはその間ツマミめいたものをぽつぽつとでもよろしくとも、通常の家庭の薫陶を受けた現代女性は上戸でも挙句に必ず「お腹が空いた」という悲鳴を上げることになる。この点でも茶の湯は合理的に出来ていて、食べ物とともに出される二献目を中酒と言っているが、悪酔いしないための智慧はこうして中世から存在したのである。ところで店などで女性が客に酒を注ぐというのは、例えば巫女が白拍子に転じたごとく神事に由来する(東)アジア独特の風俗だと考えるが、藤原定家五十六歳の詠に「おのづから秋のあはれを身につけて帰る小坂の夕暮の歌」とあるのは、妓楼だかどこからか知らないが、一杯機嫌で帰ってきた中世の小父さんの鼻唄、という気がしてならない。

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