うろこ新聞 2001年月日
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うろこ新聞 2001年10月13日号



 昨日(13日)はポパイがオリーブを連れてきたので、ついビールを飲んで更新できなかった。この写真は、散歩中に見つけた近所の庭にある犬の置物を貝殻などと並べてあるところを撮った。散歩のコースを変えると、最近では菊の鉢物を塀の前に並べてある家など、いろいろ見つかる。


【倉田良成の解酲子飲食 41】

海老蟹

 海老や蟹をそれと認識して食べたのがいくつくらいの頃まで遡るのかはよく覚えてはいないが、それがなかなか食卓には上らない高級食材であったことは確かなようで、三歳か四歳のとき、家に急にお客が来るというので、当時だいぶ道のりのあった魚屋におふくろと一緒に行って、買った毛蟹の夜目にもみごとな大きさを記憶している。それにつけて思い出すのは、蟹といえば家の歳暮・中元の時期にもたらされる蟹缶のことで、その美味なることは蟹肉を包む硫酸紙までしゃぶり尽くすのがわれわれ子供に与えられた権利、というほどのものであり、生の蟹などあまりお目にかかったことはなかったが、いま考えればあの蟹缶はよっぽどの贅沢品ではあった。いっぽう、蟹と並ぶ海鮮の双璧たる海老はといえば、長じて酒を飲むようになるまで淡い印象しかない。もう四十年近い昔、姉の高校合格のお祝いに横浜中華街で食事をしたが、そのとき必ず出たであろうカンシャオシャーレン等の記憶はまったく欠落して、突然ジュウジュウと音を立てて卓に登場した鯉の丸揚げの鮮烈な映像しか残っていない。ただ小学生であった私がその頃熱中した遊びに「原始生活」というのがあって、そのなかでは当然食い物も自然のうちから調達しなくてはならず、田圃などで当時そう呼び慣わしていたエビカニ、つまりアメリカザリガニを獲ってきて、不穏にも携えていたマッチで火を熾し、空缶で茹でて食ったのが自分でもびっくりするほどの海老の歯応えと甘みであった。茹でたからいいようなものの、いま思うとあれが生ではジストマがいて少し怖い。

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