うろこ新聞 2001年月日
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うろこ新聞 2001年10月11日号(須永さんちの猫・ルドルフ)



 外に出さないので、獲物の取り方を知りません。
 わたしのスリッパをくわえて得意そうに歩いています。(須永紀子)


【倉田良成の解酲子飲食 40】

大須暮色

 東京での生活にいよいよ窮して名古屋で隠遁めいた暮らしをしていたとき、よく行ったのが大須の焼鳥屋である。さながら浅草に浅草寺があるごとく、大須にも観音様がおわしまして、一連の門前町を成しているのだが、かつての繁栄を偲ばせる街の規模とそのさびれ具合も浅草とは酷似して、自分もこの街の賑やかい頃に遊びに来たかったものだという、まあ当時の行き暮れた心象にはきわめてふさわしい雰囲気を持つ場末ではあった。そんななかで、中日新聞のコラムに紹介されていたこの焼鳥屋を見たとき、いっぺんで心惹かれたのはその外観で、増築に増築を繰り返して出来上がったようなつぎはぎのトタン壁で囲まれた店内はいびつでも意外に広く、座席は舗道まではみ出して、そこに蝟集した大勢の客が笑うでも騒ぐでもなく黙々とひたすら酒と焼き鳥をやっている。何か強烈な懐かしさのようなものを覚えたのはあながち感傷とばかりは言い切れまい。思ったとおりメニューも個性的で、普通の焼き物のほか、ナマキモは串に刺したレバサシで塩を混ぜた胡麻油で食い、テバは余分な骨を除き三センチほどの大きさに揃えたうえで蒸したものの串焼きで、この両方ともよく頼んだが、いちばん気に入っていたのは冬場の雀と鶉であって、肉ももちろんだがとりわけバリバリと齧る頭の部分の味の濃やかさはちょっと比類がなかった。がらんとしたアーケードを通って駅に戻る時分には束の間の微醺も醒め果ててはいたが。

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