うろこ新聞 2001年月日
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うろこ新聞 2001年10月7日号



 昨日は作家の浦野興治さんの本『諫早少年記』(風媒社)についての対談を千歳烏山の蕎麦屋さんでやるために出かけていった。漫画家の松尾龍之介さんとのお話である。
 前に「週刊読書人」に書評を書いたのが縁で、上の写真の浦野さんとお会いすることができた。浦野さんは端正な構成の小説を書かれている。浦野さんのきっちりした構成とディテール、風物など、経験を交えてお話をした。


 松尾龍之介さんは「サンデー毎日」のサンデー俳句王(ハイキング)で、「ヒッチ俳句」という欄を担当されている。対談の後、漫画のこともいろいろお話ししてくれた。松尾さんのホームページにも行ってみてください。


 編集者の林桂吾さん。とはいってもこの対話稿が収録される「テクネ」という雑誌の編集者ではなく、青弓社という出版社の方。以前かかわりがあったとわかって驚いた。
 対話が終わっての酒と蕎麦がとてもおいしかった。


【倉田良成の解酲子飲食 38】

土佐献立

 酒好きが飲み屋をやると往々にして店を潰してしまう例が多いが、魚好きが小体の料理屋で勝手に腕を振るえるとなると、これは店に客がつく場合がままある。店の権利が消失して十年前になくなってしまった東横線・大倉山駅そばの「土佐」もそんな飲み屋のひとつで、ここには私も二十代の初め頃から通っていたものだ。毎晩毎晩、三合の酒を飲みにやって来る、口をへの字に曲げた白面の若造を親爺はどう思っていたのか知らないが、「おなじつらなる細基手」(炭俵)の頑固な奈良通いならぬ土佐通いは満で三十近くなるまで続いて、あれから二十年以上経ったいまでも賀状の遣り取りがある。ある夏の夕方に初めて暖簾をくぐって、まず出された突出しの小肌の、赤みの残る締め具合と軽い脂の乗り具合に感動した。店の売りの鰹タタキについては以前書いたが、そのほかにも殻付きの生牡蠣や帆立焼き、その頃はまだ珍しかった太刀魚の塩焼きなど、懐の寒い若者に三合の酒で王者の気分とまではゆかないけれど、駘蕩とは何たるかを分からせてくれた功績は大きい。ちりとは酢のことだと、鱈ちりに生酢を用いて譲らないのには難儀したが、一人前から出す寄せ鍋は金目で取ったダシが絶後だったし、ときどき番外で油で焼いてくれる豆腐の味わいは濃くて甘かった。近くに独身寮があったから東急の青年らがよく来たが、彼らは「塩と蜜蜂の匂いがする」(田村隆一)遠征中の若いローマ兵みたいな風韻を伝えたものだ。

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