うろこ新聞 2001年月日
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うろこ新聞 2001年10月5日号



 こないだ予約した『吉本隆明全講演ライブ集』の第1巻が届いた。CD6枚と小冊子である(詳しくは弓立社参照)
 吉本さんのファンなのだが、一度も講演は聞きに行ったことはなかった。書物で十分に出会えていたからである。しかし、ありったけの吉本さんの講演記録をCDにするという壮大な計画には読者としても興奮する。さっそく全部聞いていこうということになった。この第1巻のみで6〜7時間あるので、相当な量である。内容の感想はまた機会があったら書いてみようと思う。


 散歩中に摘んできたムラサキシキブの一枝。数年前から、この植物は何という名前だろう、と思っていてちょうどきれいな実が成っているこのごろ、ホームページのBBSで話題になった。あ、これだ、と思ってインターネットで検索すると確認できた。


【倉田良成の解酲子飲食 37】

半七の酒

 先頃物故した田村隆一氏が読んで飲みたくなる本に石川淳の「白頭吟」を挙げておられたが、私のそれに当たるのは、これは田村先達のご趣味でもあるが、岡本綺堂の「半七捕物帳」ということになろうか。飲みたくなるというのは正確ではなくて、自身は下戸の半七が手先の庄太や湯屋熊と立ち回る先々の江戸の町の風情に、実際そこの場所へ行って自分も飲み食いしたくなるというのが実情だ。「春の雪解」の、雪がちらつく入谷田圃の蕎麦屋で、銚子半分ほどを空けて顔が赤くなった半七をまえにして「顔じゅうを口にして」あられ蕎麦をほおばる按摩の徳寿とか、「大森の鶏」における、初大師参詣の帰るさ、飲み助の庄太が寒さに悲鳴をあげて半七に酒を付き合わせた挙句、酔っ払うと置いてゆくぞと言う半七に対し「まあ、もう少し飲ませておくんなせえ。信心まいりに来て、風邪なんぞ引いて帰っちゃあ、先祖の助六に申し訳がねえ」と管を巻く場面など、作者綺堂もそうなのだが、概して下戸が酒に寛容なのも江戸の文化を偲ばせて慕わしいところだ。寛容どころか、下戸も鰻屋等では猪口の献酬を行うのが市井の礼儀だったりするそこが、続く明治の野暮天さ加減とは明白に異なった点だ。半七捕物帳がそのプロットや登場人物に言わせる科白に歌舞伎の下地があるのは顕著なところで、「勘平の死」で半七がわざと酔って切る啖呵なんか、和魂から荒魂への変貌ぶりが鮮やかな、まるであの魚屋宗五郎である。

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