うろこ新聞 2001年月日
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うろこ新聞 2001年10月3日号



 昨日は妻と「千と千尋の神隠し」を見てきた。午前中には前に書いた怪奇映画ビデオコレクターの方から借りたガイアナの人民寺院について物語化したのを見たので(懐かしいジーン・ケリーが出ている)、落差が激しい。
「となりのトトロ」はとても好きなアニメだったが、宮崎駿の作品は説教臭さがないところがいい。グロテスクな怪物も出てくるが、それぞれみんなユーモアがある。雑誌なんかでさんざんこの映画については読んでいたが、旅館の窓の手すりなど、どこか僕の無意識にも触れてくる。ビデオやDVD(機械をまだもっていないが)になったら、保存して何回か見たいと思う。


 映画館を出て、タバコを吸っていたら、道玄坂の標識?があったので撮った。映画にも動物の頭のような標識がはじめのほうに出てくる。


 たまに行くレストラン(7階)から、道玄坂を見下ろしてみる。このビルの地下1階と2階は本屋さんで、文庫本はよく買う。


【倉田良成の解酲子飲食 36】

王朝の食

 王朝の頃の日本人が何を食っていたかということについては文学作品ではあまり触れられていなくて、和歌や歌物語のなかのせいぜい「ひじきも」のヒジキとか「かれいひ」という米の保存食ぐらいしか、あるいは遡って大伴家持の「むなぎとりめせ」の鰻ぐらいしか寡聞にして知らない。源氏物語なんかでも光源氏が朝飯に粥を召しただの夏には水菓子を所望しただのが書かれているぐらいで、もっとこう実のある何か、王朝人のあの色好みを支えた実質的な食に関してはほとんど知ることが出来ない。もっとも作者の紫式部が鰯好きだったのはよく知られていて、彼女は鰯を食べると「目が赤くなって痒くなる」と書いているほどだから、鰯程度でこの騒ぎなら鰻なんかではどうなることやらと思うが、このことは翻って王朝の貴公子が米と干物ぐらいでせっせと政争と生殖に励んでいた事実を窺わせるのではないか。下々の場合はどうかというと、今昔物語集にやや具体的な例があって、毎朝焼いて食っていた大根の精が「食べてくれたお礼」として武者の形で出てきて主人の危難を救ってくれたとか、鮓売りの女が二日酔いでもどしたものを味が同じだから分かりゃしないだろうと売り物に混ぜちゃった話とかが見えて、芥川の「芋粥」の出典となる話では、売出しの貴公子が芋粥を食いたい一心の下級官人を都からはるか若狭まで引っ張るのだが、貴公子のなかなかにソフィスティケートされた性格に王朝の爛熟を思う。

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