うろこ新聞 2001年月日
うろこ新聞 目次前頁(うろこ新聞 2001年9月20日号)次頁(うろこ新聞 2001年9月15日号)
Shimirin's HomePageUrokocitySiteMap


うろこ新聞 2001年9月18日号



 アメリカ同時多発テロの映像とこれからの行方のテレビ番組を見だして以来、どうも気分が浮かない。蝋燭、蝋燭、と思っているうちに、たまたましゃれた蝋燭の炎を撮る機会があった。



かがまりて見つつかなしもしみじみと水湧き居(を)れば砂うごくかも
萱ざうの小さき萌(もえ)を見てをれば胸のあたりがうれしくなりぬ
細みづにながるる砂の片寄りに静まるほどのうれひなりけり
ふた本(もと)の松立てりけり下かげに曼珠沙華赤し秋かぜが吹き  (茂吉)

 そろそろ野辺の雑草の間から、彼岸花の花茎が伸び始めているだろうか。

 赤い花がちらちらして
 学生かばんが並んでいく
 お墓の近く
 ふと見上げると40年前の雲



【倉田良成の解酲子飲食 29】

南蛮渡来 其ノ二

 辛いといえば忘れてならないのはタイ料理の存在だ。韓国料理に特徴的なのは辛みと醤の塩気、それに魚介と一緒に熟れさせたキムチのアミノ酸の風味であるが、タイ料理となるとここに酸味と甘味が加わり、魚醤のアミノ酸の風味が取って代わる。その辛さがただごとではないのはいかにも熱帯の蒸し暑い夜を思わせるが、慣れとは恐ろしいもので、これを食べつけていると、しばらく辛さから遠ざかっていたりする夜中など、苛烈な辛さを求めて体の芯がうずいたりすることがある。あるときファミリーレストランのタイ料理フェアでトムヤムクンを頼んだことがあるが、最高の唐辛子印四つがついていたにもかかわらず、その辛さはこっちが到底納得し満足できる程度のものではなかった。つまり私を泣き悶えさせてはくれなかったのである。人間とは因果なものだ。十年ほどまえになるが、虎ノ門で仕事をしていたとき、仕事仲間の誰が言い出したのか、昼飯に内幸町まで日比谷公園を越えてタイ・カレーを食いに行ったことがある。行きの足取りは軽く、無事にテーブルを囲んだまではよかったが、そのうち仲間の一人がカレーを匙ですくいながら、「ああ、ああ」と何ともいえない声を立て始め、金を払ってまた日比谷公園を通って帰る間中、ふらついた足で声を上げ通しだった。あれは辛さに泥酔したのだとみんなで言い合った。

うろこ新聞 目次前頁(うろこ新聞 2001年9月20日号)次頁(うろこ新聞 2001年9月15日号)

Shimirin's HomePageUrokocitySiteMap