うろこ新聞 2001年月日
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うろこ新聞 2001年9月15日号



 アメリカの同時多発テロ犠牲者の追悼式典がテレビに映し出された。
 イスラーム教やユダヤ教の追悼式典でも死者に対する思いは変わらない。ぼくも、ついこないだは浄土真宗の葬式に出席してきた。
 そこでは皆、居ずまいを正している。ぼくなども1年に1度ぐらいしか着ない背広を着る。アメリカの追悼式典を見ていると、きれいな建物にきれいな儀式で、日本でも同じようであるがその追悼の思いから結集してくる。
 そこから少し宗教について思いを馳せるのだが、もし、ぼくの出席した後ろのほうから、牢獄から出所した者がこの葬式に入ってきたのなら、如何か、という想像をした。親鸞の思想からいえば誰でも悪者と呼ばれた者こそ往生を遂ぐ、ということになる。この式典を主宰する僧はどうか。ふだんは誰でも、遊んだりふて腐れたりしている。卑近な例でいえばゴルフ(ぼくはやらないが)などを檀家の人たちと一緒にやってたっていいし、世俗的な苦労も絶え間ないだろう、檀家の人たちとなんら違いはない。違いは、信仰の契機だけである。とすると、いろいろな状況における式典、豪華な国を挙げての式典、貧しい1本の蝋燭だけの式典(ぼくの見るかぎり、少しの「火」は欠かせないように思う)、さらに「南無阿弥陀仏」と唱えるだけで、それでいいのだ、というまるで心理を癒すような式典と違いはない。
 というわけで、蝋燭の火をともして写真に撮ろうと思ったのだが、あいにく妻が寝ていて蝋燭の場所がわからない。でもたしかに昨日の夜から、ぼくの頭には蝋燭の炎の映像が灯っていた。
 朝、秋へ向かうが、気流は激しいなかにある雲である。


 昨日、仲よしのカオスとベルを撮る。


【倉田良成の解酲子飲食 28】

南蛮渡来 其ノ一

 においのあるものもそうだが、人が病みつきになる味に辛いということが挙げられるのではなかろうか。それで私などがまず思い浮かぶのは韓国料理だが、一説によるとあの味付けは、名前のとおり南蛮経由で日本にもたらされた唐辛子が秀吉の朝鮮侵攻でかの地に伝わったということで、真偽のほどは定かでないが、チリペッパーの原産地が新大陸であることを思い合わせると、なかなかうがった話ではあると考える。韓国の、それだけで何種類に及ぶのか想像もつかぬ唐辛子は、しかし蕎麦や饂飩に散らすぐらいの地位しか与えられていない日本のそれと比べてみてもはるかに奥深いものがある。辛さに厚みがあり、幅があり、甘さがあるとでもいえばいいのだろうか。だから本格的な韓国料理店で出される冷麺や温麺をいちめんに赤くする唐辛子に顔をしかめる向きも多いだろうが、実際に食べてみると想像していたひり辛さの予想を裏切って、深く馥郁たる熱さに身を委ねることになる。まだ行ったことのない韓国で一度見てみたいのは、仏閣や禁裏のほかには市場で、そこに並べられた鱈や飯蛸やガザミの味をつけるさまざまな粉唐辛子、糸唐辛子、青唐辛子のことを思うと、アジアの果ての殷賑という印象でとてもゆたかな気持ちになる。日本経由か直接の南蛮渡来か知らないが、唐辛子はやはり海を渡ってきたのである。

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