うろこ新聞 2001年月日
うろこ新聞 目次前頁(うろこ新聞 2001年9月11日号)次頁(うろこ新聞 2001年9月7日号)
Shimirin's HomePageUrokocitySiteMap


うろこ新聞 2001年9月9日号



 今日は嵐になったり晴れたり、せわしない天気だ。こういう日の晴れ間の雲は、気流のせいか力動感がある。野武士が、蓬髪、襤褸でまぶしそうに見上げたことのあるような雲だ。



NEWS! 昨日は開扇堂から、田中宏輔さんの詩集『みんな、きみのことが好きだった。』が届いた。ちょうど、斎藤茂吉の歌を読んでいて「蝿の王」という茂吉論的詩を読み返した。この詩集のカバー写真は僕の撮ったイカの死骸の写真。ぼくにとってもいい記念になる。(鱗造)


【倉田良成の解酲子飲食 25】

葱考

 葱と日本人との付き合いは、古く葱と呼ばれ、言語として浮遊して接頭語的なコやアサと結び付いてコナギやアサギともなった、奈良朝以前からの言葉の事情にもその久しさが窺われる。もちろん元は山野に自生していたのであることは、幼い頃に野遊びなどでノビルなんかを摘んだ体験とともにわれわれ日本人の共同の、はるかな記憶に属している。歴史的な経緯をつまびらかにしないが、作物としては、関東の白い部分だけを食べるような習慣は新しいことと思うが、これは江戸風の蕎麦の薬味とかすき焼きの具とかの例を徴してみても明らかと考える。関西というか名古屋以西はやはり古風を遺していて、九条葱とか博多コウトウ葱、ワケギなんかは青いところまで柔らかくて、うどんやちり鍋の薬味とかタネなど、これでなくては食べた気がしない向きは、関西人に限らず多いのではないだろうか。河豚にアサツキ鴨に葱というが、薬味としては生臭ものにこの葷類は絶妙で、洋食でも、下仁田葱に似たポワロー葱などはミルクとは非常に合い口で甘く、フランスや北イタリア料理でしばしば白身の魚介と取り合わされるアサツキは特に、食べたときに何かきわめて淡く親しい想い出のようなものをわれわれの口腔の奥に蘇らせることがある。あんがいバタ臭いものを好んでいたわが朝の奈良人の感覚に、それは近いのかもしれない。

うろこ新聞 目次前頁(うろこ新聞 2001年9月11日号)次頁(うろこ新聞 2001年9月7日号)

Shimirin's HomePageUrokocitySiteMap