うろこ新聞 2001年月日
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うろこ新聞 2001年9月7日号


入江にて---1

清水鱗造

 湾という地形は、そぞろ歩きにはもってこいである。
 つまり、入江は激しい外海からは、二つの岬によって守られていて、左右の比較的切り立った小高い丘から民家が点在し、さらに後ろの蜜柑畑へと続く。ここを通過する国道もバイパスがあるせいか、それほど車の通りも多くない。
 なにより、全体の入江と同じ形の小さい入江が、格好の「心の吹き寄せ場所」になって宿から全体的に見られるのが、安心できる。自分の心の構造の「ささくれ」を補修する意味でも、長い草や、短い海浜植物の配置などの把握が粘着液になる。
 風が吹いている。植物は細かく震えている。
 自分が震えている、というのはいささか心もとない気もするが、通常、誰でも振動しているのではないだろうか。この振動は、忘れ去られたように意識されるけれども、子宮を通じて子どもに伝わったものだ。子どもたちは、若い時代に大きな波動を経験する。自分もそれを経験したのだが、いつのまにか、馴れ親しみ、活発な馬をなだめて飼うことになる。
 ふと気づくと、小さく震えている心―神経といってもいいかもしれないが―が、生の始まりのときから続く波を持続させているのがわかる。
 遠くの波、入江には、ひとつの波として入っていくことにしよう。


【倉田良成の解酲子飲食 24】

塩の今昔

 青木正児先生の孫引きだが、例の「酒ハ百薬之長」には前段があって、「漢書」にいうそれは「塩ハ食肴之将」であるそうだ。先生によれば、この塩の味を能く知ることが古来中国では食通の条件とされてきた。私たちが普段口にする塩は、以前は専売制で千篇一律のごときものであったが、いまのように多種の塩がこうして出回ってくるようになると、食通でない私などにも味の違いがいろいろと分かってきて、これはよいことだと思う。輸入物のさまざまな塩など、はっきり言ってこれまで味わったことのないうまみを持つものが少なくないし、かつて専売公社が売った塩の、あの塩化ナトリウムそのもののひり辛さとは食味という点で比較にならない。それらには、何ともいえない甘さとニュアンスがあるとでも言えばよろしいか。うちでは三種の塩を用途や素材によって使い分けていて、赤穂の甘塩というやつは一般の鹹味の微調整に、また塩焼きなどにする魚類の下味付けにはドイツの岩塩を用い、肉類を焼くときや野菜の浅漬けなどにはブルターニュの塩を主に使っている。最後のブルターニュの塩は比較的結晶が大きくて、ときにこれだけで樽酒のアテたりうる味の濃さは、味噌と双璧をなすのではないかと思ったりもする。塩は人体に必須だが、昔から、化学記号一つだけでは表せない要素がわれわれの舌を喜ばすのである。

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