うろこ新聞 2001年月日
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うろこ新聞 2001年9月6日号



 このあいだ、秋葉原でコンパクトフラッシュメモリを買ってきた。それからせっかくだからカードリーダーを買おうということに気になっていて、渋谷で買ってしまった。USBに対応したドライブである。いままで、最初に買ったデジタルカメラと一緒に買ったソフトウェアでハードディスクにとりこんでいたのだが、パソコンから直接カードの中を見るといくつかのディレクトリにあらかじめ分かれていて、動画とか、パノラマなどのディレクトリがある。目次のHTMLファイルまである。写したときからすでにこういうふうに分かれているとは思いもよらなかった。
 ハードディスクに移すときには、たんにドラッグアンドドロップで、あっというまにできるので便利である。パソコン本体は陳腐化が速い。でも周辺機器はけっこう長持ちしている。レーザープリンタなどはもう10年近く使っている。


【倉田良成の解酲子飲食 23】

年末年始の食

 年末年始の食事といえば誰もが特別なものと感じているはずである。年末の慌ただしさのなかでとる食事は日常とさほど変わってはいなくても、大晦日の夜ともなると話は違ってくる。年末のすべての仕事に片がつき、さて歌番組でも観ようかというときに一家で囲む食卓には、正月のような御馳走が並ぶわけでは必ずしもないが、鍋物などをつっついているうちに除夜の鐘が鳴って、さあ年越し蕎麦だというときには、幼い頃からこころに刷り込まれた感情の連続がある。若い頃に独り暮らしをしていた折、大晦日にも正月にも普段と変わりない食事をしていたが、その変わりないこと自体が何か特別のことのような気がしていたものである。元旦になって、朝起きておめでとうを言い、最初にいただく屠蘇というものが餓鬼の頃から楽しみで、その屠蘇のせいで次にいただく雑煮が腹のなかで熱くなるのが快感だった。ここにすべての正月の意味が集約され尽くしていて、後に来る日も来る日もだいたいはおせちと餅だけというのは正直言ってつらいものがあるのはいまに変わりない。病気で田舎に引っ込んでいた十数年まえ、正月に東京に出てきて渋谷の繁華街を友達と歩いたことがあるが、おせちと餅だけではない御馳走責めの毎日に、営業していた街のラーメン屋から流れてくる味噌ラーメンの匂いがしんそこ飢餓を誘ったものだ。

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