うろこ新聞 2001年月日
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うろこ新聞 2001年9月3日号


 今日は御殿場に行ったついでに、妻とともに最近流行っているアウトレットショップに行ってきた。小雨模様で、田んぼにはだいぶ大きくなった稲が見える。御殿場駅から無料のバスに乗ると、やがて東名高速の脇に東京の真ん中にあるようなブランドの店が集合したところに出る。よく女性誌などで話題のブランド、エルメス、プラダ、ルイ・ヴィトンなどはない。ちなみに僕はルイ・ヴィトンしか見分けがつかない。なにかブランドの灰皿と、スニーカーを買おうかとちょっと迷ったが、結局、妻が600円の写真立てを買っただけだった。ただ、ちょっと話の種に見てみたかっただけ、という。東京では秋物がどんどん出ているが、ここは遅いね、という話だった。帰りに渋谷の地下のワゴンセールで、1000円のカバンを買って悦に入っていた。
 でもブランドが好きな女性には、男での秋葉原みたいな場所なんでしょう。雨模様なのにずいぶんにぎわっていた。


 アウトレットの庭のようなところに、見事な萩の列があった。萩というと花札を思い出す。


【倉田良成の解酲子飲食 21】

酎論

 いまでは考えられもしないが、二十数年ほどまえまでは東京の物堅い居酒屋では、焼酎なんか置いていなかったものだ。私なども若いときには家で仲間と酒を飲む場合、酔っ払うまでの量の清酒を買うことができず、酒席の途中から焼酎に切り替えたりした。焼酎を飲むのはおなじ居酒屋でも下町や場末の焼鳥屋と決まっていて、それでも生でやるのはよっぽどアル中っぽく見えるので憚られ、たいてい酎ハイかホッピーという形に落ち着いた(ビールも高かったのである)。まあ、われわれの先輩たちの世代ともなるともっと過激というかお金がなくて、酔っ払うために燗をした焼酎の生のやつに唐辛子を振りかけ、それをストローで一気に吸い上げたうえで一キロのマラソンをしたそうだ。たしかにフラフラになるにちがいない。ところで梅割りというと、いまのたいがいの人は湯で割った焼酎に入れる梅干しを思い浮かべるだろうが、かつては皿付きの小ぶりのコップになみなみと注がれた生の焼酎に、梅エキスと呼ばれる液体を垂らした飲み物を指していた。飲み口がよくなるそうだが強いことには変わりがなくて、誰かが洋酒について書いていた例の、ギムレットを作るときにはジンを満たしたカクテルグラスにむかって「ライム…」と囁くだけでよい、という話に似ている。とまれ、これを飲んでいるとあまり尊敬はされなかった。

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