うろこ新聞 2001年月日
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うろこ新聞 2001年9月1日号



 テレビ雑誌を見ていたら、明日のイチロー出場試合が朝5時からになっている。今日青木さんからメールでいただいた、山本陽子の文献目録をHTMLファイル化するつもりだったが、ビデオの予約に時間がかかってしまって明日に回す。というのもビデオ録画をするのはしばらくぶりで、その間にCATVがウチに来たからである。なんか予約操作がややこしい。やっと録画予約した。8月8日号の足立さんのミステリ解説の『テロリストのパラソル』なんかも読もうと思っていて、時間がない。
 上下は、だいぶ前つくったアニメgif。アニメgifなんかもしばらくつくってないと作り方をわすれてしまう。



【倉田良成の解酲子飲食 19】

アスパラガス今昔

 アスパラガスがグリーンアスパラガスに特定され始めてきたのは、あれはいつの頃からだったろうか。やはり、いろんな意味で今日につながる食生活その他の変化の境目となった一九七〇年あたりが出始めであったろうか。それが出たときはとにかく新鮮で、飲み屋のお品書きに載ったその値段もけっして安くはなかったはずである。当時からゆでたものにマヨネーズをかけるのが一般的で、その苦いようなえぐいような、あるいは生鮮野菜特有のほのかな甘さが、若造だったわれわれの、生意気にもビールの肴として確固たる地位を一時期築いた。初夏の夜の始まり、まだ空が暮れなずんでいるようなときにこれで飲る冷たいビールは格別で、肉体労働のバイト帰りの仲間と飲み屋の卓を囲んでいると、何となく鼓腹撃攘の感をさそったものである。いまでは当たり前のこのグリーンアスパラガスが単にアスパラガスと呼ばれていたさてそれ以前はとなると、これは子供の頃から家へのお歳暮などでお馴染みでいまでもコンビニなどの棚に置いてある、缶詰のあの白いやつであるが、普段の食卓などには載らない贅沢品であったことはグリーンアスパラガスの比ではなかった。親父が客を呼んだときなど冷製のハムや鮭缶などと一緒にこれがテーブルに出て、昼間っから酒を飲んでオダをあげる宴会に、お袋はよく顔をしかめていたっけ。

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