うろこ新聞 2001年月日
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うろこ新聞 2001年8月20日号(kokoさんちのヨウム・セバスチャン



kokoさんのペット、ヨウム(洋鵡)のセブ。昨日、桐田真輔さんとkokoさんと3人でルッキング・スルーへ行き、その後、桜新町駅近くで飲んだ。
前に桐田さんとkokoさんの家におじゃましたとき、セブには会っている。たしかヒマワリの種を食べさせていた。『大辞林』で洋鵡を引いたら、「インコ類中で物まねがもっとも巧みといわれ」と書いてある。この写真を見ていると、kokoさんがセブの世話をしていたところを思い出す。




室内のカラジウム。今年はカラジウムの葉の柄が鮮やか。


【倉田良成の解酲子飲食 8】

ワイン遍歴

 ワインとの付き合いはいつの頃からだったか、いちばん古い記憶というのは赤玉ポートワインというやつで、あの頃日本ではワインとは呼ばず葡萄酒という認識でしかなかったと思うが、毎晩、というわけではもちろんなく、ときおりお袋に飲ませてもらうショットグラス半分ほどの赤い液体が妙に楽しみだったのを覚えている。次のワインとの出合いはそれから幾星霜経った二十歳前後で、詩の会に出されて一杯ずつ飲むことの出来る白ワインだったが、少し舌がなめらかになりいまちょっと飲みたいもう一歩というところで尽きてしまう一杯ではあるけれど、会が終わり、さてあらためて飲み直そうというときには焼酎や清酒やジンであり、あの白ワインを飲もうという気には不思議とならなかった。考えてみれば、三十年近くまえでもまあ飲めるワインというのは赤白とも一本千円くらいでいまとそう違わない値段だったと思うが、物価や収入の面から換算しても貧乏で血気盛んな若者の飲む酒ではない。現在飲んでいる感じで初めてワインと向き合ったのは、恥ずかしながら三十近くなってからのボージョレヌーボーである。とはいえ、フレンチレストランで飲むという芸当はまだ知らず、購入はもっぱら渋谷東急の地下であり、どこかで「最高の贅沢は田園で都会の生活を営むことである」という言葉の切れっ端と、泰西名画の画題の「草上の昼食」でのパンとチーズでワインを飲む図、というのがいつのまにかごっちゃになって、あのワインにはこのチーズで野外へ、てなのが粋だと信じたが、パンやチーズが手作りの料理に変わっただけで、いまでも割合スノッブにバローロなどをときたま頂く。

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