うろこ新聞 2001年月日
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うろこ新聞 2001年8月17日号



剣山くん(CG:Qanta)




 猫は草を食べる。というわけで、道端の草を抜いてきてあげて、よく洗ってこんなふうに空き瓶などに挿しておく。ベルが食べ始めるとこんなふうに草を押さえておく。


【倉田良成の解酲子飲食 6】

酒の本情

 春の酒というものには独特の風情があって、宵の内から始まる飲むという行為は翌日の二日酔いに至るまで味わいがあると思うがいかが。二日酔いに味わいがあるというといかにも変だが、例えば芭蕉翁の「不性さやかき起されし春の雨」など、下戸ではあるがけっして酒を厭わなかった俳聖の、宿酔の朝の一ポートレートとして読むと、所謂「季節の本情」が遺憾なく立ち現れてくるようではないか。そのほか、「呑明て花生にせん二升樽」「扇にて酒くむかげやちる櫻」とか、その初期のものだが「二日酔ものかは花のあるあい(ひ)だ」などと端的なものも詠まれていて、春の風情と酒とは蕉翁にとって切り離せないものであった形跡が認められる。これは何も花見のどんちゃん騒ぎの酒とは限らなくて、翁にとって酒の駘蕩としたところは花が過ぎてからがむしろ本領と思われるのは、ちょっと古典中国人の酒席のやり方と似た性格があるのかもしれない。春の句ではないが、晩年には「夕顔や酔てかほ出す窓の穴」なんというのもあって、これは夕顔に酔顔を掛けているのだが、彼が若年の折切磋した中国文人の面影がこんなところに何となく顔を出している気がする。数年まえ、葉桜の候に谷中の鮨屋で呑んだことがあるが、明るいうちから宵の八時頃までいてすっかり出来上がって店を出たとき、霊園のほうから異様に濃艶な春の本情が漂ってきているのを嗅いだ覚えがあるのは、酔余の幻とばかりはいいきれない。
春宵は刻一刻と滾り落ちつひのこころのいづち滅せむ 解酲子

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