フレンチパフューム

まつおかずひろ(hiro)







まつお かずひろ


セントマリアホームの庭先に咲く花は、マダム・ローズが咲かせたものだった。
駅の行き帰りにそのホームの前をぼくは毎日通った。
あるとき、花壇の横のベンチに座って、
バラの花を眺めている老婦人に気がついた。
髪の毛はすっかり白髪になっているが、
肌は光るように艶がある老婦人である。

向こうもぼくに気がついて、微笑んだ。

「こんにちわ」

「こんにちは」
ぼくはそのときまだ二〇歳前で、
老婦人に声をかけられ、どう対応していいか分からなかった。
相手の顔を見ることができず、ぼくはバラのほうをじっと見ていた。

その花はクリーム色でピンクの縁取りがあった。

「いい香りがするでしょう?」

老婦人は優しい声で聞いてきた。そう言えば――。
「ええ、確かにいい香りが・・・」
「フレンチ・パフュームっていうの。
そんなに珍しくはない種類だわ。
バラを知っている人ならみんな知っている。
でも、私がこの花が好きなのはね・・・・・・」

と、老婦人は聞きもしないのに、話し出した。
「色が変るところなのよ。
はじめはクリーム色。
それが日が立つにつれて縁からピンク色になって、
最後は一輪の花全体がぽっと赤っぽくなるのよ。
ほら、その端の方の、もうだいぶん赤くなっているでしょう。
酔っ払っているみたいで可愛いわ」

その老婦人と話をしたのはそのときだけだったが、
ホームの前を通れば目が合うことがあるので、そんなときは会釈ですませた。
夏になって、秋になって、冬になった。
冬になったころから、その老婦人と顔を合わせることはなくなった。
寒いので出て来ないのだろうと気にしなかった。


春になって、またあのバラが咲く季節になったが、あの老婦人は出てこない。
ある日、別の老婦人が
フレンチ・パヒュームが咲く花壇の前でじっと座っているのに気づいた。
ぼくは立ち止まった。と、むこうから「こんにちは」と挨拶してきた。
ぼくも挨拶して、思わずことばが出た。

「今年もきれいにさきましたね、フレンチ・パヒューム」

「あら、よくご存知ですね。若いのにどうして?」
と老婦人が聞いてきた。
それで、ぼくは一年前にここで会った老婦人の話をした。すると、

「マダム・ローズさんですわ」

と教えてくれた。

「彼女はいないのですか?」

「この冬亡くなりました・・・・・・」
その老婦人はマダム・ローズと同室で、しかも若いときからずっと友人だったと話した。
そして彼女も話し好きで、昔語りをはじめた。

二人は若いときは、ある地方都市でいっしょにクラブに勤めしていた仲だという。
マダム・ローズは、店ではほんとうにローズと呼ばれていたらしい。
黙っていればどこかの深窓の令嬢かと思わせる風貌だが、
けっこうおしゃべりで世話好きで人気があったと言う。

「若いころは、本当きれいだったですよ。ほらー、」
と、そう言って膝の上に伏せていた小さな写真立てをとってぼくの方に向けた。
ぼくは柵越しに身を乗り出して、そのセピア色の写真を覗きこんだ。
その顔に既視感があって、アッと驚いた。


彼女は、その前夜、夢のなかで抱きあった女性だ。
ぼくは若いマダム・ローズと口づけを交わしていた。
夢ははじめクリーム色。
ピンクに縁取られ、
花びらのような雲のようなふわふわとしたしとねでぼくたちは抱擁していた。
舌と舌がからまり、全身心地よい感覚が広がった。
周囲のピンク色がしだいに赤く染まって、
最後は花びらにわが身が一挙に絡めとられるようなしびれがあって夢精した。

セントマリアホームは今はもうない。

それどころか、あったのかどうかさえ分からないほどの遠い昔の話。

しかし、フレンチ・パピュームは咲く。

ぼくの頭の中で咲く。















うろこシティアンソロジー 作品篇 No.1 目次前のページ次のページ
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