ため息

けんじゅう





「ああ」

並び歩いていた ほんの傍らから
不意に あなたは
「ため息なんかつくもんじゃない」
と 言い放ったのでした
はちきれんばかりの体育系
悪意のカケラさえ
持ち合わせないはずのあなたの口から
そんな氷菓のような
冷めた言葉が発されたことに
ぼくは かすかに凍りついたのでしたっけ

問い返そうとしたのでしたが
ひたすら ぼくはあなたの健康に
愛し憧れ 欲していましたので
それに抗うことが
ぼくの悪意の証明のようで
何よりも あなたの眼はすでに
青空の一点に凝らされていましたので
口をつむんでしまったのです

以来
ため息のつけない人となってしまったぼくは
人と人との小指ほどかすかな
触れあいにさえ 怯え
赤子の手のように いとしいものを
小鳥の死ほど 痛ましいものを
最愛の者への 涙の祝福を
見ては見ず 聴いては聴かずして
遠ざけてきたのでした 

「ああ」

それは余りに
人と人の自然にふさわしい
許容された湿性であり
それなしにどんな円滑も
ありえぬほどの暗号なのでした
人が人に対して不問とした
究極の救いの形式
そして
人と人との透明なる自明性を
ぼくが見知ったのは
あまりに あまたの 愛を
愛と悲しみの犠牲羊を
星に捧げ終わってからのことでありました


少しだけ あなたを恨みながら
ぼくは たった一人の夜に

「ああ」

と 乾いたため息を
あの日のあなたの横顔に

輪郭を崩しながらも
年を経るほどにかえって
蒼白となって浮かぶ
あなたの白い横顔に
そっと 浴びせるのでした





うろこシティアンソロジー 作品篇 No.1 目次前のページ次のページ
UrokocityShimirin's HomePageSiteMap