コオロギ

まつおかずひろ(hiro)






◇病室◇


ホーロー容器を伏せたような暗い部屋

リンゴやバラは消えた


運動をやめれば

記憶の粒子は

遠くに拡散してしまうので

闇の中で光を起こす行為をつづける

ときにリンゴは割れて迫ってくるが

香りは乏しく

炸裂する輝きを導いてくれない


やがて疲れて

煙草を燻らせば

闇はいっそう深くなる

容器の外でコオロギの声

秋も深くなったというのに

コオロギの声


また疲れておもむろに身をよこたえ

スチールの柵に頬を寄せれば

血は

いまだ脈を打ち

はるか昔の音楽を

思い出させる



◇イブ◇



その年のイブは雪が降った

一度だけ思った通りにするのだと

決心したその日

言葉の首飾りを編んだ


ジーンズに

黒いセーター一枚

肩に羽織った新聞紙に

雪雫点々と


ネオンの下

現われたのは

ポスターから抜け出した娘

手に手をとって

イブの街を抜けた


黒いコートを取ると

素足が現われた

鳥肌が手のひらの下で

溶けて

潮を伝えてきた

編んだ言葉は解体して

宙に散った



◇ロンド◇



幾度となく繰り返された季節に

春の思い出がないのはなぜだろう


パンの耳の朝が

トーストとコーヒーになったころ

サテンに包まれて眠ったのを

覚えているだろうか

夏の風

夜のチェロ

海に赤いバラが

開いた





舞踏会は毎夜繰り返されて

息の切れるまで踊った

それでも脈がおさまれば

再び踊って

夏のリンゴをほおばった


ある日

君は狼顔の少年を連れてきた

髪は泥に汚れていたが

眼は瑠璃色に深く光り

手は細く長く

胃袋は臓物さえ食らおうとしていた


シャワーの飛沫の下で

少年と抱擁を交わす

君の裸の姿態を眺めながら

ぬるい湯に

じっと浸っているのがせいぜい

口笛を吹いていた


3人で踊るロンド

一人はガムを噛み

あとの二人はヘッドホンして

肌の姦計は

秋も冬も続いた



  ◇庭◇



枯れた

萩の葉裏が斜めになって

そよいでいる

月明かりが身を照らすたび

陰へ陰へ

足一本欠けたからだを

引きずって


草陰に

石のように身を伏せれば

足骨は無残に露出している

からだは硬く

舐めることもできない


星の海は胸のなかで

さんざめく

彷徨う卵を探してみる

やっと

音楽を思い出したが

すぐに消えて

闇の中


すでに

羽は奏でるものではなく

かぼそいわが身を覆うのみ

晩秋の風は

釘のように骨を打つ


最後のひと鳴き

夏のバラを思い出しながら












うろこシティアンソロジー 作品篇 No.1 目次前のページ次のページ
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