ほっけの唄

はやかわあやね



魚が食べたいと思い
一枚百円のほっけの開きを買って来たが
ふと気がついてみると
魚焼き器が汚れている

魚なんぞ長い間食べてもいないのに
どうして魚焼き器が汚れているかと云えば
それはきっと
前回魚を食べたままで放置してあったからに違いない

黒くひかった水平の器の中に
油染みが浮いている
魚の姿はもう何処にもないのだが
それでもそこに
魚が居たことだけは確かな事実となって
その油染みが語っているのだ

ほっけの前にそこにいたのは
もしかしたら虹鱒だったのか
それとも北欧から泳いで来た鮭だったのか
そんなことはもう対した問題ではない
仮に私が赤目鯛が何より好きだったとしても
今私の食べたいものはほっけの開き以外の何ものでもなく
焼き立てのじゅうじゅう油が滴り落ちてゆく上に
醤油をさっとかけて
真っ白なご飯と一緒に食べるのはどんなに美味しいだろうかと思うが
残念なことに
近年私は玄米を愛食しており
真っ白に光る銀しゃりなどは
望もうにも望めない代物であったに違いない


違いない

などと云うわけのわからぬ言葉を引用したのは
それが自分でも何ひとつ定かではないからなのだ


真っ白なご飯が食べたい食べたいと念じつつも
何故私は玄米から離れようとはしないのか
玄米のぼそぼそした食感が
たまらなく好きであった時もあるが
先月末にそれを食した後で体調を崩してからと云うもの
玄米のぼそぼそさ加減と
それが咽を越えて飛び出してゆく時のあのせつなさを思い出し
どうにもこうにも炊飯器に手をかける気にはなれないのだ


それでもほっけはただ黙って私を待っているのだ
冷蔵庫の中で2枚のほっけは
今日私がアンテノールで買ってきた抹茶ケーキに対向出来るとは
よもや思ってなどいないはずだが
それでもケーキの向こうに
いつもほっけの姿がちらちらとその幻影を現わし
新しいケーキの箱に手をやるのさえ
何処か微妙に躊躇してしまうのだ


頼むから
抹茶風味のケーキを食べるのを許しておくれ
なんと云ってみた所で
ケーキの方が魚よりお洒落に決まっている
醤油のかかったほっけなんぞ食べた後で
誰と逢い引き出来ると言うのだ
接吻をした時に
魚の味がする舌が絡まってくるなんて
考えただけでまっぴらごめんだ



今夜はもう
誰にも逢う約束などしていないにも関わらず
ほっけはいつだって冷蔵庫の中で
白いご飯と交わることなく冷たく堅く
半分凍ったままで引き出されるのを
ただ黙って
いつまでも
待っているつもりであるのだろう






うろこシティアンソロジー 作品篇 No.1 目次前のページ次のページ
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