リンス

けんじゅう





リンスがない
リンスを切らしたままで
もう一週間にもなるというのに
そういえば洗濯物もたまったままだし
そろそろ床屋にもいかなければならないし
ゴミは先週分 出し損ねたままだし
ぼくは ずぼらで面倒くさがり屋なのだ
どくだみ荘のマンガを読みながら
ぼくは 笑いがひきつってきたのを覚えている
一年分の洗濯物が貯まった押入
ぼくほどのずぼらなら ありうることじゃないのか
「ぼくのパンツを洗ってくれるかい?」
というのが 最近流行のプロポーズの言葉というが
それが一年分のパンツの山と知ったら
彼女は血の気が失せて卒倒することだろう

布団の中で日記を付けていた男がいた
彼は病気であったわけではない
ともかく人に会うことや外に出ることが
億劫なだけだったようだ
一ヶ月近く絶食したままで 彼は餓死した
そんな新聞記事を読みながら
ぼくは 背筋が寒くなってきた
風呂にも入らず 着替えもせず 髪も髭も伸び放題で 
垂れ流しのままであっても 
とりあえず 命に別状はない
しかし 食べることまで億劫になり出したら
ぼくは 死ぬほかはないだろう
空腹も過度になればハイになる 快楽になる
ぼくなら その男のように餓死できるかも知れない
日記だけは残したままで

たぶん ぼくのような男には
世話女房が必要なのだろう
そしたら ぼくは「メシ」「フロ」「ネル」だけを
口にしているだけでよい 亭主関白というやつだ
しかし そんなうまくいくものか
寝たきり老人になったとき 手のひらを返して 
家族が冷たくなっていくという話を聞くではないか
保険屋からの打ち明け話では 
老人の死因の第一は実質的には自殺なのだそうだ
いつなんどき 世話女房にも見捨てられるかも知れない
愛を信じていた人の愛が見えず 
下の世話までしてもらうなど やりきれぬ
いっそ介護人に任せた方が どれほど気楽なことか
うっかり 現代では寝たきり老人にもなれないのだ
自分の墓には自分で入るくらいの気概がないと
いけないということなのだろう
世知辛い限りだ 

あれこれ考え過ぎるというのが ぼくの悪い癖だ
海を見たいなら右の道を
無ければ 引き返して左の道を行けばよい
とりあえず ぼくに必要なのはリンスだ
リンスをしないでいるので髪がぱさつく 
シャンプーだけでは 整髪オイルを多めにつけても
翌朝は乾いた髪がカラスの巣のように逆立つ
朝の鏡は正直過ぎる
顔全体が水ぶくれて 脂ぎっている
目は熱ばんで 黄色がかっている 
夜中にたまった唾液が 口中でべとつく
雑菌がうようよ繁殖していると思うと たまらなくなる
そして 寝くずれしたよれよれのパジャマで
もし こんな姿で人前でも平気になればどうなるだろう
朝の鏡は正直過ぎる 顔を背けたくなるほど正直だ 

まず リンスをコンビニまで買いに行く意志
それが ぼくには必要なのだ
それさえあれば ぼくの身だしなみは整う
リンスが必要なうちはぼくは生きていける そうに違いない
リンスを使わなくなれば 黄信号
シャンプーを使わなくなれば 赤信号
ぼくは そう人生で心得ておくつもりだ
だから リンスは今のぼくにとって
最大の生命線 なのかもしれぬ





うろこシティアンソロジー 作品篇 No.1 目次前のページ次のページ
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