メニークリスマス (二〇〇一年イブバージョン)

まつおかずひろ(hiro)


昭和二九年、今から四七年前のことである
五歳のぼくはメリークリスマスを知らなかった
メリークリスマスと言われると
メニークリスマスと答えたそうである
メニークリスマス!
メニークリスマス!
と叫んで、路地を走り回ったそうである
隣のおばさんがハーシーのチョコレートひとかけらくれた
まだ森永のミルクキャラメルさえ贅沢だった時代
口の中いっぱいにとろけた甘さを大事に大事に飲んでいった

メニークリスマス!
メニークリスマス!
おばさんと連呼した
おばさんのうちには背の高いアメリカ人がときどき来ていた

   昭和二九年は
   二月マリリンモンロー、ジョーディマジオ夫妻来日
   三月ビキニ水爆実験で第五福竜丸被災
   九月「七人の侍」ベニスで受賞
   一一月「ゴジラ」封切り
   流行り歌は「お富さん」



昭和三四年、今から四二年前のことである
小学校四年のぼくはクリスマスの夕方
クラブ「クイーン」にいた
隣のおばさんは、そこでホステスとして勤めていて
「カー坊遊びにおいで」、と招いてくれたのだ
二四インチの赤い中古自転車を漕いで店につくと
おばさんは入り口で待っていてくれていて
ホールの隅のカウンターに連れていった
開店前で部屋はまだ薄暗かったが
おばさんがスイッチを押したとたん
クリスマスツリーのイルミネーションがぱっと光り出した
聞いたことがないダンス音楽が聞こえてきた
(そのときはタンゴもルンバも知らなかった)
しばらくして
ほら、とカウンターの上におばさんがさしだしのは
大皿にもった山盛りのサラダ
当時サラダはまだ珍しかった
「石原裕次郎の背が伸びたのはキャベツが好きだったからだよ。野菜もいっぱい食べなさい」
目の前の皿にはセロリやパセリ、レタスもあった
飲み物は、粉ジュースではなく、ほんまもののオレンジジュース
おばさんは白ワインだった
二人で乾杯、そしてメリークリスマスを言った
セロリはその日初めて食べるもので
匂いがきつかったが、我慢して食べた

   昭和三四年は
   四月皇太子、正田美智子さんと結婚
   一一月水俣病問題で、漁民一五〇〇人新日本窒素工場に突入
   一二月三池争議開始
   流行り歌は「黒い花びら」「南国土佐をあとにして」
   「黄色いさくらんぼ」



昭和三九年、今から三七年前のことである
ぼくは中学三年生で、クリスマスの夜を納戸で迎えた
急ごしらえの勉強部屋だった
ガラクタを片付けて父の勤め先からもらった古い木製の机を置いた
真っ暗な部屋で、机の上に小さな蛍光灯一つ
家族の寝息も聞こえてきたが
壁一つ隔てて隣家の炊事場の音も聞こえてきた
夜の二時だったか、隣のおばさんが帰ってきたのだ
そして、いつものようにオエーッとゲロをはいた
おばさんはもう四〇歳を越えていた
いい加減に勤めをやめればいいのに
と思ったがやめなかった

   昭和三九年は
   六月小林旭、美空ひばり離婚
   七月警視庁通達「トップレス水着はだめ」
   一〇月東海道新幹線営業開始、東京オリンピック開催
   流行り歌は、都はるみ「アンコ椿は恋の花」
   青山和子「愛と死をみつめて」
   ビートルズ「抱きしめたい」「オープリーズ」



昭和四四年、今から三二年前のことである
その年の四月大学に入ったものの
封鎖が続いて、ずっと授業はなかった
代わりにバイトと恋に明け暮れた
一一月、封鎖解除のための機動隊突入は、アルバイト先のテレビで見た
秋には、彼女にふられた
理由は、彼女がぼくとつきあう以前の彼とよりをもどしたからである
未練があったが、それを断ち切らせたものは
彼女の一言だった
「あなたとより、彼とのセックスが合うの」
ぼくはひどいショックだった
男はやっぱりたくましくてうまくならなきゃいけないのか、と思った
しかし、すぐに新しい恋人が見つかるわけでなく
クリスマスの日は寂しく実家に帰った
すると何気ない話の拍子で母が
「隣のおばさんは、結婚したよ」
というではないか?
「四〇も半ばで結婚かぁ、おばさんもやるなあ」
と今なら言うであろうが、当時のぼくは動揺して何もいえなかった
自分が動揺するのを感じて初めて、ぼくがそのおばさんを好きだったのだと自覚した
まずいクリスマスケーキを食べた

   昭和四四年、一月、東大安田講堂陥落
   五月東名高速道路全線開通
   八月大阪城公園で全国べ平連、反戦のための万国博開催
   流行り言葉「はっぱふみふみ」「あっと驚くタメゴロウ」
   「ニャロメ」「オー、モーレツ」
   流行り歌は、「長崎は今日も雨だった」「恋の季節」
   「時には母のない子のように」「黒猫のタンゴ」
   「ブルーライトヨコハマ」



世は平成となって一三年
いままで何十回のクリスマスをすごしたことだろう?
その間に結婚もした、離婚もした
しかし、不思議にクリスマスの思い出はない
ただ一度、西宮・夙川の教会のミサを見にいったことがあった
とても厳かだったが、ぼくのクリスマスではなかった
異教徒のぼくにとってクリスマスは
ツリーとサンタとケーキ。そしてチョコレート
小学校四年、クラブで見たクリスマスツリーが最高の思い出だ
電飾ツリーを見ると、我慢して食べたセロリの味がよみがえる

今年の流行り歌、ぼくは知らない、歌えない
いつの間にかその年の流行り歌が歌えなくなった
けれど流行り言葉は少しは知っている
構造改革、米百俵、塩爺
ドメスティックヴァイオレンス、ブロードバンド、狂牛病、ビン・ラディン
いろいろあったが、一番好きなのはヤクルトスワローズ若松監督が
リーグ優勝のとき言った
「ファンの皆様、本当に日本一、おめでとうございます」
もし
「ファンの皆様、ありがとうございます」だったら当たり前
おめでとうが、意表をついた
あの おめでとうは、何か一体感があって素敵だ
グランドにいる人たちとスタンドの境を
一つの言葉が取っ払った

ぼくは四七年前のメニークリスマスを思い出す
あのとき、何でおばさんがあんなに喜んで相手をしてくれたのか
少し分かってきた気がする
たった一つの言葉が垣根を取り払うこともある
幸せにすることもあるのだ
あのとき、おばさんは幸せだったのだろうか……
小学校四年のとき、なんでぼくをバーに招いたのか?
離婚して一人暮らしをするようになって
少し分かってきた気がする

あのおばさんは、今年寒さのきつい二月に亡くなった。
八〇歳だった。
結婚相手の田舎の社長は(実はおばさんはその社長の後妻に迎えられたのだが)
ずっと前になくなっている
二年ほど前、おばさんのアパートに行ったとき
タンスの上の小さな額を見た
おばさんと社長が温泉の湯気をバッグに
二人が映っているのがほほえましかった

メニークリスマス!
ぼくは遠くのおばさんに向かって言おう

メニークリスマス!
去っていった友人たちにも言おう

メニークリスマス!
夜景の向こうのカップルたちにも言おう

メニークリスマ〜ス!
メニークリスマ〜ス!
いっぱいいっぱい言おう


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