「渋谷〜新宿・歩行」

殿下




「渋谷〜新宿・歩行」


海を想って呼吸を止めた。歴史や死の論理に身をまかせても
三分でさえ我慢ができず、また浮き上がってきてしまう。
砂浜には泳ぎつかれた観光客が海を他人ごとのように眺めていて
しだいに太陽に焼かれてカラカラになっていく。
彼らは浮んでは沈むぼくの頭を勝手に人生や職場の事に例えて
お互いに慰めあったり抱き合ったりしている。
時には性的な事や宗教めいた事を言い出す輩もいたが
要するに、ぼくは目立ちたかっただけだ。

ある午前、日記を読み返していて思い出した。
ぼくはとある有能な暗殺者に狙われていたのだ。
巨大な口径の銃をもって、都庁よりもラフォーレよりも高い身長で
ぼくを殺そうとしている殺人者の事を。
もしかしたら奴は富士山よりもエベレストよりも大きいのかもしれない。
とにかくぼくはいつも奴のつまさきとか左より右の方が長い腕とかを
意識して歩いている。というよりいつだって目の端に映っているのだから
最近は一つの風景として受け入れるようにしている。つまり何事も慣れと訓練だ。

ある晩、ベッドでTシャツを脱いだら
体に見た事のないかすり傷がついていることに気づいた。
隣の女の体にも傷がついていたみたいだけど
彼女の場合、いつも尖ったほうを自分に向けて生きているから
ちょっとつまずくとすぐそうなるだけの話だ。
だが、ぼくの場合は違う。奴に隙を見せてしまった証拠なのだ。
あいつの銃は口径が大きすぎて、ブッ放そうとすると
他の連中まで巻き添えにしてしまう。他に犠牲者を出すのは、
奴の暗殺者としてのプライドが許さないのだろう。
ぼくがひとりになる隙を狙っているのだ。
人殺しの癖に、実にくだらない戒律をもって生きている。
つまらないことだ。だけどつまらないことのおかげで生きていられる。

何処を見回しても誰かがいる。相変わらず奴の体も目に映る。
だが、広い場所でひとりになるのはとても危険なのだ。
だからぼくはひとりにならない。ぼくは荒野へはいかない。
宇宙の事を考えたり、愛のことを考えて孤独になったりするのはもっての他だ。
時には訳の分からない行動をしてやるのもいいかもしれない。
街中で息を止めたり、夜と朝の取引に殴り込んだり、何かを生き返らせたり。
でも、とりあえずぼくはとんでもない奇声をあげてみる。
目の前で、世界が何事かと手すりに掴まり身を乗り出している。
こいつを突き落とすのは簡単だ。すべてはぼくの手のなかにある。
ぼくは全てをコントロールしている。だがまだ殺さない。
もっと大きな声を出してみたい。
ただ単純に、ぼくは意外と寂しがりやなのだ。



うろこシティアンソロジー 作品篇 No.1 目次前のページ次のページ
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