思い出の絵日記

まつおかずひろ(hiro)


夏休みの宿題を何にしようか困っていたら、父はもうろう取りはどうか、とアドバイスした。何のことか分からず、口をぽかんと開けていたら、「俺にについてこい」と 自信たっぷりに言った。その顔は がんこ寿司のマークみたいだった。

「夏のこんなくっきりとした空の下にも、もうろうはいる。暑くて多少は弱っているから、今が取るチャンスだ」。父は そういって ひまわり畑を抜けた。

古い公園があって 父は 対角線の方向にある隅の大きな木の前で止まる。ああ、もうろうは蝉のことなんだ! と思って 木の上を見上げたら、父は
「もうろうはそんなところにいない」という。
「ほら、木の根元に両膝を抱きかかえている女の子がいるだろう。もうろうは、あんなところにいるんだ」
「父さん、もうろうは見えないよ。どこにいるの。どんなかたちをしているの」

「ここで見えないのなら、違う場所に連れて行ってやろう」
父は小川をじゃぶじゃぶ越えて森のなかに入っていった。昼なお暗い森の中、顔に何かべたっとはりついて払った。
「父さん、ぼくの顔に何かついてない? もうろうじゃない?」
「違うよ、それはただの蜘蛛の巣だ」
森の中をどんどん進んで、父は立ち止まってはあたりを見回して、それを繰り返した。そして首を何度も傾げた。
「おかしいな、きょうはまだもうろうはいないようだ。時間が早いのかもしれない。町に行ってみよう」

「おい、ほら見ろ。あの青年にも、あのお婆さんにももうろうがくっついているのが見えないか?」
父は町の大通りに入った途端、ぼくの耳元で囁いた。結構うれしそうだ。クックックックって、喉がなっている。
「父さん、ぼくには見えないよ、やっぱり。父さん、見えるなら父さんがつかまえてよ。もうろう」
「よし、分かった。捕まえてやろう。もうろう」
そう言って、父は三〇歳くらいのちょうど通りかかった女に声をかけた。

「あのう、すみません。もうろう 取らせていただけませんか?」
女は一瞬びっくりして目をまるくしたようだが、すぐに何のことか分かったらしい。
「あら、わたしの大事なペットなのよ。だめ」
女はそう言って、頭を撫でた。父は少しがっかりした顔をした。

次に、父はゲームセンターから出てきたカップルに声をかけた。キャッキャ、キャッキャ、楽しそうな顔をしているカップルである。
「すみません。きょうは、子どもの宿題で、もうろう取りにきているんです。あなたがたのもうろう 見せていただけませんか? いえ、もし何なら多少ならお金を払ったっていいんです。デパートの夏休みの宿題コーナーで売っているもうろうと同じ値段で買いますよ。いえ、もしあなたがたのもうろうが珍しいものならうんと弾んでいい」

すると、カップルは組んでいた手をほどいた。男の方が父に言う。
「見せてあげてもいいんですけれど、彼女にはぼくのもうろう見せたくないんです。そっとあの隅でなら・・・」
「あら、私もよ、あなたには私のもうろうは見せたくないわ」

それで、父は代わる代わる男と女を隅のコーナーに連れて行った。
男は、下腹からもうろうを出して見せたようである。父はなんだかつまらなそうな顔をした。いっぽう、おんなはバッグをあけて小さなノートを父に渡した。そこに、もうろうをくっつけているらしい。父はノートをぺらぺらめくって、すぐに女に返した。
「どうもありがとう。いや、もうちょっと探してみます」
父はそういって、もうろうを買わずにカップルから離れた。
「どうして?」
と父にその訳を聞くと、
「陳腐なもうろうだ。あんなの、集める価値もない」

その日、町をうろつき、父とずっともうろう探しをした。そして一匹のもうろうも取れなかったし、買うこともなかった。みんな蚊みたいなもうろうしか持ってない、と父はぶつぶつ言った。
だが、一日中、父と歩き回ったおかげで、大きな収穫があった。ぼくにも、もうろうがだんだん見えるようになったのだ。

ぼくはその日のことを絵日記を書いた。
中でも一番丁寧に書いたのは、父の剥げた頭のうえに乗ったもうろうだ。
ぼくは、随分大人になった気がして眠った。


うろこシティアンソロジー 作品篇 No.1 目次前のページ次のページ
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