北條民雄

北條民雄



清水 応召の三年前、昭和十一年石原さん二十一歳の年、北條民雄の「いのちの初夜」を読んで衝撃をうけた、と年譜にありますね。「北條民雄との出会い」という文章で、この時期について「マルクス主義の全面的な退潮と、戦争前夜の不気味な真空状態」というふうに言っていますが、北條民雄と出会ったうえで、翌々年応召の前年にカール・バルトの『ロマ書』や、シェストフやドストエフスキーを読んでいる。北條民雄もドストエフスキーを愛読していたというし、作品は癩院という限定された空間を舞台として、さらに自分の生きる時間も限定されているというせっぱつまったところで、極限まで自己を見凝めている。自殺まであと一歩のところで徹底的に思考する姿勢がある。絶望的な空間と時間のなかで自己を見凝めつづけるということは、すっぽり収容所生活に当てはまったのではないかと思うのです。ハバロフスクでは「癩院受胎」を素人劇団のために脚本に書きおろしたりしているし、北條民雄への注目は戦後までつづいている。「いのちの初夜」にこんな文章があります。「尾田さん、あなたは今死んでゐるのです。死んでゐますとも、あなたは人間ぢやあないんです。あなたの苦悩や絶望、それが何処から来るか、考へて見て下さい。一たび死んだ過去の人間を捜し求めてゐるからではないでせうか」。ここで説明され促されることは、人間が身体を抜け出したところから人間を眺めるということだと思います。一般的な生理的肉体的存在であることから離れて純粋に精神的な存在になることだと思います。石原さんは戦前にこういう思想の影響を受けて収容所体験をくぐり抜けることによって肉付けしていったという部分があるのではないかと思います。「癩院受胎」には『悲劇の哲学』を久留米という男が看護婦に貸したという件りがあります。北條民雄の読書体験のラインに、シェストフやカール・バルトの読書体験はあるのですね。石原さんの戦前に影響を受けた思想というのは、北條民雄を基点として捉えることができると思います。
渡辺 それ以前にはない強い衝撃を与えたのは「いのちの初夜」のようですね。そして「癩院受胎」や日記も読み、自分の平凡な日常をふり返って愕然としていますね。最初に衝撃を受けたのが北條民雄であったということの意味は大きいと思います。「いのちの初夜」の終りに近い部分で、佐柄木が尾田に向かって言う会話の中に、応召するときの切迫した時間を背にした者の心理と通ずるものがあるように思えるし、〈死〉に対する考え方の点でも、後の石原吉郎のそれに繋がるものがあると言えると思います。生きる時間が限定されている状況の中で自己凝視の姿勢をとるとき、「いのちの初夜」や「癩院受胎」の作品世界は、最も身近なものと受けとれたと思いますね。北條民雄を通じてシェストフを読みドストエフスキーに及ぶというのも、じゅうぶん考えられることですね。そして民雄と同じようにキリスト教思想に触れていったというのが、無理のない見方だと思うし、そう見れば、石原吉郎が生涯にわたって関わる問題は、ここで既に出会っていたことになり、北條民雄の著作に執着するのが戦中・戦後にまで及んでいることも納得できますね。その間にラーゲリの体験があり、納得しがたいことを納得せざるを得ない〈事実〉の強制力と対面し続ける生活を経て、その思考は深められたと言えると思う。

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石原吉郎 没後四年 目次| 前頁(〈信仰〉)| 次頁(清水昶、内村剛介、安西均の「石原吉郎論」)|
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