〈信仰〉

〈信仰〉



清水 〈信仰〉ですが、渡辺さんは「石原吉郎の晩年」という文章で、「石原吉郎の晩年の歩みには、鎌倉武士的な心性及びその風土や宗教性への接近と、キリスト教との対峙とが同時進行的に行なわれていたことを、共に見据えなければならないだろう」と書いています。彼がよく言っているんですけど、自分の生涯のポイントとして「受洗」があったということですね。この事実が強制収容所にいるときにも支えになった、と言うわけです。
渡辺 宗教が直接の支えにはならなかったけれど、受洗したという事実は動かせないと言ってますね。……この点が結局、石原吉郎の晩年の重要な問題であると同時に生涯の一番の問題点にもなりますね。同時進行というのはおかしな表現ですが、要するにどちらか一つではなかったということを、僕は言いたかったんです。最後まで石原さんのなかで葛藤があったと思う。あるところで漏らしているんですが、〈信仰〉と詩とは直接は関係ないと言っています。〈信仰〉とは苦しみだと言っています。詩は楽しみに繋がるという、そのへんがひとつポイントだと思うんです。でも、苦しみであっても、そこから離れることは最後までできなかったわけで、実際に死ぬ直前には教会に脱退届けを出す用意をしていたそうですが、仮に教会から離れたとしても、それで宗教から縁が切れたということにはならないし、そのへんが難しいところなんですね。逆にいえば、そういう矛盾葛藤が続いたからこそ、作品のうえでもふくらみとか、ある種の緊張感とかがあったと思うんです。たとえば、信心堅固で敬虔なクリスチャンとか、あるいは完全に教会を捨てたアンチ・クリスチャンになっていたとすれば、それは明確な立場で強いものにはなったろうけど、一面的なものにしかならないですよね。本人は最後まで苦しかったろうと思うんですよ。だからこそ読むに値するものをずっと書き続けられたという見方もできると思います。どちらか片方から見て、クリスチャンとしては信仰が浅かったとか、詩人としては宗教に引っぱられすぎたとか、そういう見方では、全体像は捉えられないですね。
清水 石原さんが繰り返し読んだというキェルケゴールの『死に至る病』ですが、前に話したように難解な文章は石原さんの文体にも影を落としていると同時に、石原さんの思想にも大きな影響を及ぼしていると思います。たとえば、「絶望の詩的表現が詩的な価値をもつべきであるとするならば、それはその表現の彩色のうちに弁証法的対立の反映を含んでいなければならない」(斎藤信治訳・以下同じ)という言葉があって、これは石原さんの詩法に反映していると思います。キェルケゴールの、自己をあくまでも見凝めていく思想、自己への思想というものを石原さんはキェルケゴールから継承しているところがあると思います。この本を読んでいると、石原さんがキリスト教を信仰するのはしんどい、不安にさせられるというのがわかる感じがしますね。石原さんにとってキリスト教〈信仰〉というのは、自己というものを掘り返すときのひとつの梃子となっていると思います。
『死に至る病』は帰還直後に読んでいますが、この書と関連のある先ほど出てきたシェストフやドストエフスキーを戦前に読んでいたということは、石原さんの表現の大きな基盤になっていますね。つまり、自己を見凝める見凝め方の端緒を持って収容所生活に入っていったと思うのです。『死に至る病』でいえば、むしろ〈信仰〉というものを無限の自己凝視を必要不可欠なものとしておいていて、たとえば「認識の上昇の度が自己認識の度に対応すること、したがって自己はその認識が増せば増す程それだけ多く自己自身を認識すること」などと書いている。〈信仰〉ということから逆にこういう思想がでてくる。もうひとつ、『死に至る病』から引いてみます。「ただここに絶望と罪との間の極度に弁証法的な限界領域として、宗教的なるものを目指す詩人的実存とでも名づけられうるものの特質を叙(の)べておきたい。これは諦めという絶望と或る共通なものを有する実存であるが、ただ神の観念が現存している点が違っている」。「絶望」という言葉が非常に難しいのですが、ここにいう「諦めという絶望」は、石原さんの〈断念〉に近いところがあると思います、非常に精神的な概念として。ただキェルケゴールには歴史への視線をところどころ感じますが、石原さんはこういうところは性格的に一致しないのかもしれない。
渡辺 誰にとってもそうであるように、思想形成や文学的方法の確立の過程では、いろいろな外的影響を受けますね。それが石原吉郎の場合は、かなりドラマティックに見えることと、どの切り口をとってみても生涯と関わる問題になっているということですね。その中でも、青春前期から一生涯の関わりとなったのがクリスチャニズムですね。それと並行していたのがキェルケゴールの影響で、これは大きかったと思います。キェルケゴールとの対応関係の面からだけでも、石原吉郎論は立派に成立するとさえ僕は思っています。
 いま『死に至る病』からの引用がありましたが、たしかにその辺りの影響があると思うし、特に生前最後の稿となった「絶望への自由とその概念」という文章など、バルトの『教会教義学』のある部分と対応する点もあるけれど、より多く『死に至る病』と通底するものがありますね。『死に至る病』のモティーフを押しつめていけば、キリスト教の真理を否定することも可能だったはずだけれど、キェルケゴールはそれをしなかった。逆に『キリスト教の修練』等のモティーフを強めれば、使徒や殉教者のポーズをとることもできたはずだけど、それもキェルケゴールはしなかった。人間が人間に対して作った強制収容所の被収容体験者の立場からすれば、石原吉郎も同じように殉教者になりすますことも可能であり、キリスト教の真理を否定することも可能だったはずだけれど、どちらもしなかった。そのあたりも、体質的に両者は近いものがあった感じがしますね。〈単独者〉という概念も〈断念〉という構えも、キェルケゴールのものでしょ。キェルケゴールから見れば、石原吉郎は美的実存の段階にとどまっていたということになるだろうけれど。

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石原吉郎 没後四年 目次| 前頁(〈儀式〉)| 次頁(北條民雄)|
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