[6]マリッジ・リング

[6]マリッジ・リング



 それから2ケ月が経ち、季節は暑い夏の盛りを迎えた。亮一が真美のマンションで暮らし始めて1ケ月半になる。亮一は三村が大曾根からせしめたという1千万円の中から4百万円を分け前として貰っていた。三村の話では、あの夜の写真と例のインサイダー取引に関する資料があるのだがと、大曾根の秘書に持ちかけたところ、若い者はあまり阿漕な真似はしない方が身のためだが、今回は身の潔白も立ったし、祝儀でくれてやるということで、こちらからは写真も資料も提示しないまま、その金を受け取れたと言う。三村は大曾根は大した人物だと言った。亮一も言葉ひとつで1千万円もの大金を右から左へ動かす大曾根に何となく不気味さも感じながら、やはり大曾根は真美を犯したのではないかと、いまさらながら思った。しかし、もう過ぎたことは過ぎたことである。亮一は世田谷で生花店を営んでいる実家に何年かぶりで行くことにしていた。真美という女と暮らしているという報告と、結婚式の日程の相談である。夜には帰ると言って正午過ぎに家を出た。亮一はまず新宿のデパートに寄り、注文してあったダイヤの結婚指輪を受け取った。〈R TO M〉と刻まれているはずだった。
 そのマリッジ・リングの小箱をダッシュボードの上に置いた。亮一は少し前ソープランド「マーメイド」のフロント係をしているおカマの和夫から3百万円ほどの借金を申し込まれていた。何でも和夫が前にいたオカマバーでのトラブルがこの程やっと示談になり、その慰謝料として相手にそれだけの金額を支払わなければならなくなったのだそうだ。亮一は3百万円の現金を持って、和夫のアパートを訪れた。アパートは百人町裏のラブホテル街の一角にある。
「亮一さん、ごめんなさいね。お金がかかる時だっていうのに」
 和夫は六畳一間の部屋を小綺麗に使っていて、古びた茶ダンスの上に博多人形が三体も飾ってあった。小さなベッドがひとつある。「お茶、入れるわね」
 聞くと、和夫は博多の出身だという。中学を出て大阪で板前の見習いのようなことをやっていたが、そこの主人と抜き差しならない関係になってしまい、17歳の春に上京したのだという。「あたい、バカだから、すぐ男の人に惚れちゃって、捨てられて、その繰り返し」
「そのうち、いいことあるよ」
「うん。でも、亮ちゃん、ごめんなさいね。必ずお返しするから、お金。月々3万円位しか、できないけど」
「あんまり無理しないでいいよ。和夫がオカマバーの一軒でも持って、稼いでからだって」
「まぁ、亮ちゃん。優しいのね」
「ところで、店に理佐はまだいるの?」
「ええ、週に一度ね、いまは」
「そっか。よろしく伝えてよ。俺、ほら、もうそんなにちょくちょく行けないか
ら」
「そうよね。真美さんっていう奥さんがいるものね、亮ちゃんには」
 そう言って和夫は少し元気になり、亮一に抱いて貰いたかったのにと恨めしそうな顔をした。そして「お元気でね」
 と亮一の股間を握ってきた。
 三村から貰った4百万円はまだ百万円残っていた。亮一はこの金を自分のためにも、また真美とのことでも使いたくないと思っていた。どの金も金には変わりはないだろうが
、大曾根から渡された金かと思うと、「こんな泡銭」と思えた。そしてマリリンのことを思い浮かべた。亮一は一度だけ、事故で電車が止まった時に、彼女を川崎のアパートに送ったことがあった。そこも狭い部屋で、フィリピンから一緒に来たという若い女が三人、それと五反田のクラブでボーイをしているというマリリンの弟の五人が一間で寝起きしていた。亮一は川崎に車を向けた。
 途中で、三村が振込んでくれた金の残りを銀行のATM支払機を使って引き出した。古い家並みの続く細い通りの奥にマリリンたちの住む木造二階建のアパートはある。そこまでは車が入らないので、亮一は近くの駐車場にクラウン・マジェスタを入れた。そして錆びた鋼の外階段を上り、一番奥の部屋のドアの前に立つ。茶色いドアのニスが剥げ、ノブも錆びついてる。そのドアを叩くと奥で声がした。日本人の言葉のアクセントではなくて、亮一はほっとした。出て来たのはマリリンではなかった。「あのぉ、マリリンさんは?」
「イマスデス。チョト待ッテクダサイ」
 その薄いブラウスにジーパン姿の若い女と入れ違うようにマリリンの顔が覗いた。「アッ、リョーイチ久シブリ。ドシタデスカ?」
「ああ、そこまで仕事で来たので、ちょっと顔が見たいって思ってね」
「ホント? 汚イダカラ、恥ズカシイデスケレドモ、ドウゾ」
 と言ってマリリンは亮一を招じ入れた。マリリンの弟と、あと一人の女はオーバーステイが発覚して二週間前に強制送還されたのだという。もう一人の女は亮一の来訪で起こされたというようにネグリジェ姿で目を擦っていた。「元気か?」
「ワタシ、ゲンキ。ダイジョブネ」
「そうか。でも大変だな、帰されたんだ」
「ソウ、弟タチ、オ店デ、ニホンノポリス、アア、テイレ?」
「うん、手入れね」
「ココイタ女ノコモ、踊ッテテ捕マッタヨ」
「それでいまは三人か」
「ソウ。ワタシ、ベス、ジョイ、三人ダケ」
 そう言ってマリリンはフィリピンセブ島の家族の話を亮一に聞かせ涙ぐんだ。
「ア、リョーイチサン、コレ食ベナイカ?」
 そう言って初めに玄関のドアを開けたベスという女が亮一に一個の卵を差し出した。「何? ゆで卵?」
「ユデタマゴ? ナニ、エッグ、ボイルシテル」
 それは一見すると日本のゆで卵と変わりないが、殻を取り中身を割ると羽の生え
て湿った鳥のヒナが入っていた。目も口もあるのだ。「何だ?これ、食えないよ、俺、こんなの」
「リョーイチ、コレ、フィリピンデハ高級デス。精力ツクダカラ、ミンナ食ベルデス」
 女たちはなぜ亮一がこんな美味い物を食べないのかが不思議だといったように口に入れた。寝ぼけ眼だったネグリジェ姿のジョイも手を伸ばしてくる。フィリピン人はその殆どがキリスト教徒である。女たちは三人とも、十字架のペンダントをつけている。

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