[3]マーメード

[3]マーメード



 俺はやはり似たような雑居ビルの一階にあるマーメードのドアを開けた。「いらっしゃいませ」そう言ってカウンターの中から和夫が顔を上げる。「亮ちゃん!」
 人懐っこい笑顔だ。「あ、理佐さんね。すぐご用意できるわよ」
 急にお姐言葉になる。和夫は立派な体格の男だが男が好きな男だ。どこのオカマバーに勤めても客や従業員とトラブルになる。原因はどこのオカマバーでも男の取り合いである。和夫の面倒を見ているあるオカマバーのママが、ここならいいだろうと勤めさせたのがマーメード、つまりソープランドだった。
「ちょっと、待っててね」
 そう言って和夫はカウンターから出て俺を待合室になっているカーテンの中のソファに導く。「あんまり抜いちゃイヤよ」
 しなを作って俺の股間を握ってくる。「止せよ、俺のは男用には出来てないんだ」
「亮ちゃんにその気があったら、あたい、いつだって処女あげるのに」
「処女じゃないだろ?」
「今日は、処女」
 また一人客が来た。「いらっしゃいませ。ご指名はございますか」
 和夫は急に男言葉で客に対応する。尤も、和夫は男だが。俺は待合室のテーブルの上のグラスの中からタバコを一本抜き取り火をつけた。
 先客は二人いた。一人は学生風の若い男で、もう一人は中年の鞄を持ってメガネを掛けたサラリーマンだ。誰も見ていないテレビからはニュースが流れていた。俺はタバコの煙を一気に吐き出し、今日の理佐は俺で何人目だろうと思った。和夫がカーテンを開けて「理佐さんご指名のお客様、お待たせしました」と他人行儀に言う。待合室を出てすぐ右手の階段の下にチャイナドレスを着てタオルを手に持った理佐が、片膝をついて俺を迎える。「いらっしゃいませ」
 マーメードには客を接待する部屋が20室ある。週末の今日はどの部屋にも客がいて、どの部屋でも客は性を愉しみ、従業員の女性たちは身体を開いて稼いでいるのだろう。需給のバランスが見事にとれた部屋、部屋。俺もその客の一人か。そう思うと亮一は自然と気が滅入ってくる。「何、考えてんの? お久しぶり」
 理佐とは一カ月振りだと俺は思った。どの個室の入り口にも客の靴と女性たちのサンダルが揃えられて置かれている。「会いたかったわ」
 部屋に入ると理佐が薄手のスーツの上着を脱ぎながら言った。「浮気してたんでしょ?」
 こうした仕事をしている女の割りには理佐は清潔感を持っている女だ。
 理佐はスカートを脱ぎ、フロントホックのブラジャーとパンティも外した。そして風呂の湯を入れる。部屋は四畳半位の広さで、そこに浴槽と洗い場とベッドがある。ベッドの脇のガラスの台の上には何種類ものタバコと小さな時計と、理佐の場合はポケモンの黄色い縫いぐるみがある。昼間の理佐は看護学校に通っていた。そして彼女はある大学病院で見習いをやっていて、多い時で週に一、二度、このアルバイトをやっている。理佐の清潔感は多分、彼女が若いということだろう。そしてこの仕事を始めてまだ3ケ月目ということもあるのだろう。理佐が俺を座らせる浴室の椅子に湯を掛けたり、歯ブラシを用意しているのを見て、そんなことを思った。「どうぞ」理佐に促されて俺はその椅子に座る。理佐の白く柔らかい指が俺を握って洗う。そしてその指が俺の尻を洗う。椅子の真ん中はそうして洗いやすいように凹んでいる。「マットは?」
「大変だからいいよ、しないで」
「じゃ、お風呂入って。私も、いい?」
 浴槽で俺は下半身を浮かせて理佐が俺を銜えやすいように体勢を作った。両手で大事なものを包み込むように理佐は俺を撫で、口を近づけて来る。
 この世に生を受けてまだ19年しか経っていない一人の少女とも言える女が、こうして男を悦ばせる術を知っていることが、俺には何故か悲しみのように思えて仕方がなかった。男と女は、互いに何も知らず、何の理解もなくてさえ、こんなことが出来てしまう。そしてそれはそれで感じてしまう。亮一は人の心と身体が、じつはバラバラなものではないのかとよく思う。俺は爆発寸前で理佐を促し、浴槽から出てベッドに誘った。そこでも理佐は、俺を銜え、音を立てて俺に自分の唾液を混ぜて、口で扱いた。そしてガラスの台の下に置いてあったポシェットからコンドームを取り出すと袋を破り俺に被せた。俺が撮ったコンドームも、こうして夜な夜な使われているのだろうか。理佐は被せて、また俺を口にした。ぬめる感じが俺とゴムの間を隙間なく塞いでくる。下から手を伸ばすと理佐は潤っていた。
「今日はダブルで指名してくれたのね?」
「ああ、そうだよ」
 マーメードの時間は50分単位で、ダブルは100分ということになる。
「いっぱい、してね」
 理佐の眼が悪戯っぽい。俺は理佐を狭いベッドに仰向けにさせて、上になり、硬くなった茎を沼のような理佐の湿りに沈めた。薄い壁を通して、隣室の女の喘ぎ声と太く短い男の吐く息遣いが時々聞こえてくる。俺の下では理佐が、俺の背に回した手の指の先に力を込めている。誰に教わったわけでもなければ、何処で学んだわけでもない。だが、どんな女も本質的には違わないと俺は思う。結局、男と女は何の理解もなく、何の苦もなく、こうして一つになれて、夫婦として生活も共にできるものなのではないだろうか。俺はそんなことなどボンヤリと思いながら、理佐の湿地を茎で掻き交ぜながら、理佐の被せたピンクのコンドームの中に射精した。
 隣室からはくぐもった女の笑い声がする。きっと、そこでも一つの幕が下りたのだろう。俺はタバコを一本、ベッド脇のガラスの台のグラスから取って吸った。ティッシュペーパーを萎えた俺に被せてコンドームごと、理佐は拭きとった。「ねッ、まだ時間あるから、もう一回、しましょうね」 そう言って身体を起こして洗い場に立ち、カランを捻って湯水の加減を整えている。俺は萎えた濡れた陰茎を垂らして、その言葉に従った。立て膝をしている理佐の深い陰毛が見え、続いて柔らかそうな下の唇が、得体の知れないこの先の俺の人生を感じさせるように見えた。
 理佐によって二度、射精させられてマーメードを出た。帰りがけにフロントの和夫が、今度はあたしに亮ちゃんのおちんちん、容れてね、と小声で俺の背中に言った。東京新宿歌舞伎町は不夜城である。パーキングに行くまでの間に何組もの男女が欲望のように縺れ合っていた。東南アジア系と思われる女性が俺の側に近づいて来て声を掛ける。「ネェ、オ兄サン遊バナイデスカ。3マンエン。ワタシ、サービス、シャクハチ、巧イダカラ、ダイジョウブ」 断ってクラウン・マジェスタの運転席のドアを開け、エンジンを掛ける。サイドミラーに別の日本人の男に近づいて行く女が映っていた。

 荻窪のマンションに着いたのは12時少し前だった。暗い部屋のバルコニーに洗濯物の影が見えた。結婚でもしていたら、明るい部屋で、夕餉の支度をしている妻がその洗濯物を畳んで、俺を出迎えるのだろうか。ガキの一人でもいたら土産はないのお父さんと訊く
のだろうか。俺は弟の亮二のことを思った。あいつは配達先から軽自動車に積んだ花の段ボール箱を今日も空にして一日を終えたのだろう。親父とお袋と、妻や子どもに囲まれて、「フローリストADACHI」の跡継ぎとして。
 俺は部屋の明かりを点けた。ベッドの枕元にある電話機が赤い目玉を点滅させている。一件はお袋からで、祖父の13回忌法要のことだった。そしてもう一件は、気の置けない三村からだった。三村と俺は境遇が似ていた。彼もまたある雑誌社のノンフィクション賞を受賞しながら、その後鳴かず飛ばずで、いわゆるトップ屋に身を窶していた。話があるから電話をくれという短い伝言だった。俺は三村に電話をした。「ずいぶん遅いんだな、帰り」
「ああ。で、用って何だ?」
「それがさ、お前も知ってると思うけど、政権会の大曾根。奴が今度、新株のインサイダーでパクられそうなんだ」
 三村の話は、要約するとこうだった。政権会の大曾根という大臣経験者の大物政治家
が株のインサイダー取引で東京地検に摘発されそうなのだが、そこは権力者で、内々にしてしまおうと各方面に手を回している。それで何とか揉み消しが図れそうだ。それを期にというか、その前祝いで一席設けるらしい。三村はそこに侵入して、その事件の真相を暴くのではなく、何かよからぬ取引を企んでいるらしい。それでこの俺に現場写真を撮ってくれないかということだった。「それでな」三村は声を潜めた。
「お前、明日のというか、もう今日か。夜、空いてないか?」
「ロケが一本あるけど、7時位なら何とか東京に戻れる」
 三村は大曾根が無類の女好きだと言い、その前祝いのパーティーに何人かの女たち、それもショーダンサーやら、下も見せる女たちを呼んでいるのだと言った。「まぁ、エロ爺の回春剤ってとこか?」受話器の向こうで三村が卑猥な言い方をした。そして三村はその中の女の一人がどうやら大曾根のタイプらしく、ホテルにでも入る現場を抑えられたら相当の金になるゼと言った。大曾根の好む女のタイプを心得ている秘書が見つけて来たのだという。「何でお前、そんなこと詳しいんだ?」
「蛇の道は蛇だよ」
 三村はその女の写真も撮ってくれと俺に言った。
「名前は、えーと、伴野真美ったかな?」
「ふーん」
「何でもバンビっていうらしい。伴野の伴と真美の美で」
「…バンビ?」
「うん。俺の入手した資料にはそう書いてある」
「…バンビ…」
「何だよ知ってんのか? 亮一」
「いや。知るわけねぇよ、俺が」バンビって、あの女か…。あの雨の夜の俺と寝たバンビ、なのか? 三村は待合せの場所を俺に伝えると一方的に電話を切った。

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