粕谷栄市氏に捧げます
百五十年以上も会社に通勤していると
行き先もいろいろだ
向かう方向も正反対になることは
しばしば起こることである
朝の電車の顔ぶれも見知らない
ほとんど亡くなってしまった
吊革の歴史を憶えているのは
もうわたしだけだろう
こんなに老いた者を
まだ会社は首を切らない
理由を知ることはないが
ただ働けばいいのだ
暗黒の街に住み
日々が流れていくと
顔が真っ白になる
それはサラリーマンの証しである
引き換えに
自分が誰であったか
わからなくなる
それはどうでもいいことなのだ
必要もないことだから
会社の動きが生活である
わたしの心には歴史もなく
じつは永遠もないのである
のっぺらぼうのゆで卵みたいなものである
給料はわたしを通りすぎていき
銀行で紙幣たちが
瞬時に何かに変身していく
百五十年以上も時間を経ると
それらの出来事は
どうでもいいことなのだ
人生を超えたことなのだ
会社はわたしの人生を買っているのだから
買われている人生が何であるのか
わたしは知ることはない
ただ暗黒の街への懐かしさだけが
百五十年以上も生き延びている
それだけは確かなことだ
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