色・かたち
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色・かたち



片野晃司

2001年8月10日 午前5時32分

私は今 机に向かっています
椅子 机 固く私を支えるもの
それらに支えられながら
着実に崩れていく私
色もなく明けていく曇り空のように
なすすべもなくやってくる
私の 崩れていく私の
(カッコ 崩れていく私の (カッコ 原初の私の
その場所にそれがあって
それの影が細く細く
光る床の西日を分割したのを
もっと近くで見ようとしたとき
(支えるもの)に額を打ちつけ
その痛みをこらえながら
見上げた水平部分が
低く覆い被さって見えたとき
私は何を感じたのか
それこそが
机と私を結びつける 机と私と
机と私と 机と私と
机と私と
机と私とカナリヤと
机と私と電話のベルと
机と私と額の痛みと
私のたんぱく質の
不確かな場所に
机が机として立脚している
私のたんぱく質の
不確かな場所が
机の立脚点として
用意されている )カッコトジ
 )カッコトジ
私の机が
あなたの机とさほど遠くない場所にありますように

1999年9月30日10時35分

茨城県東海村JCO
黄色い液を貯めたポットの中に
青白い月が出現した
漏斗とバケツを使って
月を地上に降ろしたのだ
ぎこちないしぐさで
「青い光を見た」※

大内さんは沈澱槽のそばに立ち、5リットルのビーカーから硝酸ウ
ラニルを沈澱槽に流し入れる作業をしていた。大内さんが受けた放
射線量は、17シーベルト(Sv)と推測されており、当初は重症の下痢、
意識障害があり、白血球数が高く(25,000)、発熱していた。
その後、急性放射線障害の典型的な症状である全身の7割に及ぶ熱
傷、呼吸器の障害、免疫力の低下などが生じた。その間、病院では
造血機能回復治療や輸血、大規模な皮膚移植を繰り返すなど治療を
行っているが、11月27日には「危険な状態」に陥いり、12月21日23
時21分、入院先の東京大学付属病院において放射線被ばくによる多
臓器不全で死亡した。
(日本原子力産業会議. 記事より)

茨城県東海村の核燃料加工会社「ジェー・シー・オー(JCO)」東
海事業所の臨界事故で、大量の放射線を被ばくした同社社員、篠原
理人(まさと)さん(40)が27日午前7時25分、入院先の東京大病
院(東京都文京区)で多臓器不全のため死亡した。昨年9月30日の
事故発生から211日目。
篠原さんは、放射線障害に伴う肺機能の低下や胃などからの出血が
続き、4月20日には腎(じん)臓の機能が低下して無尿状態になっ
た。その後、治療の薬物投与による肝機能の悪化も重なり危篤状態
に陥っていた。
篠原さんの被ばく線量は、大内さんに次ぐ6〜10シーベルトと推定
された。これは、一般人の放射線被ばくの年間許容限度の6000〜
10000倍に相当する量だった。
(毎日新聞記事より)

遠藤君の誕生日に(それはたぶん10歳か11歳か)母が遠藤君の誕生
日のお祝いに水彩絵の具36色セットを包んでこれを持っていきなさ
いと言った(欲しくても買ってくれなかったくせに)、遠藤君の家
に行くと家は留守だった。
帰り道、私はわざと包みを放り投げたりして、
プレゼントは翌日渡した、チューブが何本か破れていたそうだ、後
でそう聞いただけのはずだが、なぜかはっきりと思い出せる、破れ
ていたのはビリジアンとセルリアンブルー、

2001年8月10日6時30分

カナカナカナカナ
カナカナカナカナ
机と私とカナリヤ
机と私とカナリヤ
カナカナカナカナ
カナカナカナカナ
カナリヤの色
カナリヤの目
カナリヤと机
机の上の絵の具
ビジリアンとセルリアンブルー、
それは私の、(カッコ 崩れていく私の、(カッコ
私、が思う(カッコ 遠藤君が思う私の、(カッコ
遠藤君が思う私の思う遠藤君の
思う私が思う遠藤君の
不確かに重なった、
 )カッコトジ )カッコトジ )カッコトジ
干潟の足跡だ )カッコトジ
干潟の足跡だ

2001年8月10日6時30分

私はまだ詩を書いています
そろそろ仕事へ行く支度をしなければなりません
454gの豆からおいしいコーヒーを40杯以上入れられる方法は見つ
かっていないそうです(スターバックス調べ)

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