約束

約束



須永紀子

〈月のようでいてください〉と男は言った
わたしは心底うれしく
ただそこにいて
まわりを明るませればいいのかと思ったけれど
そのうえに
心をいくつにもくだいて
捧げるようにというのだった
理不尽な気がしないでもなかったが
男のことばは胸に温かく灯った
何を持ってしても
それを消すことはできないだろう
白い衣を着て上座につき
わたしは心をくだいた
男が満足している間
とっさに破片のいくつかを握りしめる

穫り入れの季節がやってきて
わたしは畑に降りていった
風が髪をくしけずり
手足を雨水が洗う日々
これがほんとうの暮らしだと思った
泥色の身体。
おっとり微笑している暇もなく
男はもうわたしを眺めない
深い泥の眠り。
畑にも茅屋の上にも
月の光がやわらかくそそいでいる

静かな雨の降る朝
わたしは外に出て
とっておいた破片を道行く人に配る
誰かが手にして初めて光るものだから
それを知って男は激怒する
わたしは追われ
濡れた地面に転がって
やがて溶けて消えるだろう
それは嫌だとわたしは思う
新しい心をくだいて差し出せば
男はまたうっとり眺めてくれるだろうか
それでも赦さないと言うのなら
宙に浮かんでもよかった
白い光になってあまねく地上に降りそそぐ

月のようでいてほしいと
男は言ったのだ

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