たったひと言、中国語を知りたくて、これから、中国人のネーネーのお店に出かけるのだ。
うつ病の教頭先生のマインド・コントロール(爆)をしていて、ごく最近自分が怪しくなってしまった。<をい!
きっかけは彼がどうしても自分の書斎を見せたいから、家に来てくれといい、奥方のルスに行くのは好まないと断っていたのに、ついに押し切られて書斎を見たこと。
蔵書3000冊の書斎は整然として、実にりっぱだった。文庫などは入らないのだ。ほんの5分だったが、それがなんだか罪悪感につながった。テキはしたりである。
書斎はフーコーの書斎を真似たものだった。どうしても見せたかったというのは判る気がする。フーコーの書斎が写っている雑誌を彼はひろげた。
翌日、かかってきた電話は読書を迫るものであった。殆ど強制のようだったものの、いちおう了解して電話を切った。もちろん言われた本を読むのは嫌だった。
切った瞬間に、罠にはまった!と思った。「断らねば」。
断ったとたん、彼の語気が荒くなった。それではせめて自分の書いた同人誌は読んでいるのか・・・・。
同人誌は、どこかにあるはずだ。つまらないし、わからないし、こむずかしい。なんてひどいわたし。
とにかくテキにはフーコーがついている。今週中に絶対捜さねば。増築でがたがたになった、今は使わない書斎もどきと格闘をする羽目になった。
買っちゃった。Σ゜+d(‘д‘*)゜+゜ィィ♪
ビビアン・リーのしてたイアリング。ジャクリーン・ケネディのしてたネックレス。古物商の生贄になりつつある。欲しい。飾っておきたい。どうしようかな?ジャンクが好きになって、誰か止めて!罠に進んでいくわたし。
ずっと鬱の相談にのっていた子からメールが来た。年賀状を出したわたしと彼女の、共通の知人の家から訃報が届いたという。年賀状がくるまで、連絡の取りようがなかったと家族は言った。過酷過ぎる知らせに、わたしが連絡役になった。心臓病で急死・・・。自殺かも知れないとふっと思った。
年明けの養老孟司氏と犬養道子氏の対談を聞いて、「周囲に人がいなくなると死ぬ」(記憶だけ・・・です)という言葉に共感していたばかりだ。
「しまった」という思いがある。自分の忙しさで電話をしなかった。留守録も壊れていた。絶対に電話をしてきていたと思えてしまう。病気の人は何人も周囲にいたが、年輩だった彼女は死角だった。家族との繋がりも濃かったはずなのに。
よく戦ったのだ。家族もそういう思いで、連絡をしてくれたのだ。
サトイモ・・・・煮ました。
キヌカツギ感動的な100円だったのですが、いつも民宿のおばさんになったような気になる年末。正月は誰にでもきて、みんなが掃除をしたりわたわたしているのは何となく好きでも働きながらこんなことをやっていたら正月が嫌いだったのはしごく当然です。
明日は「煮豚」(栗原はるみの)鱠や・・・・・ベッドの周辺の掃除。こんなことやるなら仕事やめるんじゃなかった(嘘!)
でも辞めるとパート収入の安さに、改めて驚く。
大学時代にゼミの先生が学生のアルバイトというのは、産業構造を変えていくだろうと言われた。バイト、パート、名前は違うけれどフリーターの増加というのはその時代から予見できたのかもしれないと不勉強なわたしはいまさらのように思います。
灰汁の抜き方は、いろいろありますね。昔は藁灰でやっていたゼンマイやワラビのあく抜き、今は重曹を使います。ゼンマイはその後水につけて色が出なくなるまで・・・・時間がかかります。こういうことは母がやってくれたので、一人暮らしになった時に長野で買ってきたワラビの灰汁抜き、重曹を入れすぎて溶けてしまった。すごく悲しかった。母の実力を見たような感じ。簡単にやっていたのに・・・・。
山菜は、あくを抜いて食べるものが多いですね。そういえば柿も樽で渋を抜いたりするところに山菜っぽい野趣があるし、山果とでもいうところでしょうか。
北朝鮮の収容所ではミミズを干したのなどが貴重な蛋白源だそうで、ヘビならご馳走だとか。
昔、夜に柏崎の海岸へ行ったら、水際の方で何やら外国語で会話しているのを聞いたことがあります。かなり大きな声で話していましたが、しばらくして男が一人だけ道路に上がってきて、どこかへ立ち去って行きました。今考えると工作員の接触の現場だったのかもしれませんね。でも、たまたま旅行に行った自分がそういうのに行き会うのだから、地元の人にはよくあることだったんじゃないでしょうか。
山菜を普通に食べるならまぁまぁなのですが、新潟の知人の家に行ったときは山菜攻め。
アトピーが全身に出ました。医者はあくが強いからだと言いましたが、そういうものを食べて成長した子は強いと思いましたね。山菜はおいしいね、といった時「当然食べるものだから・・」おいしいなんて思ったことない・・・・なのだそうです。
先日、山菜蕎麦というのを食べて、北朝鮮人民の苦労を体験しました(?)
ラマダンもやればテロに遭わないかもw。
自分的には黒ミサやサバトを希望。
うーん。
イギリスの旗ににていますね。
「最初の十六条旭日旗は「聯隊軍旗」と呼ばれ、1874年に日比谷操練場で日本陸軍近衛第一・第二各聯隊に天皇から授けられた。その後、1889年に「海軍旗章条例」によって軍艦の標識として艦艇の後部に掲げられる「軍艦旗」とされた。ちなみに、艦の国籍標示のために艦首に掲げる艦首旗は、一般の商船と同じく「日の丸」である。」
テンノーから授けられた。それしかわかんないね。
http://fpj.peopledaily.com.cn/2002/06/06/jp20020606_17818.html
今日は
http://www.d3.dion.ne.jp/~t_uchita/koukoku/1946/s21.htm
こういうものを読んでいました。北朝鮮を笑えない歴史です。
日章旗の次がサンタクロース、次がお誕生日・・・・こういう節操の無さを楽しめるのは日本人だから?
来年は花祭りもやろう!
ちゃっとで知り合った人が、子供のとき幼稚園の花まつりで象を引っ張った・・・というんです。
Σ+d(‘д‘*)+ィィ♪最高だよねー!
そのうち旭日旗が翻るようになるのでしょうか。
でも旭日旗って、どういう経緯で出てきたの?
やはり軍関係なんでしょうか。
でもチョイル(朝日)新聞の旗もそんな感じですが。
日章旗を最近は見る。
へぇ。
今日、静岡の友人の下へ電話をかけたら、上京して自衛隊の海外派兵反対の集会に出てたとのこと。集会はあちこちであるのにマスコミにでない異様さは、今までになかった。
男どもよ・・・しっかりせいっ!と怒っておりました。わたしも、世間の危機感の無さに、ぞっ。
高田渡さんの「自衛隊に入って花と散る」とか加川良さんの「イノチはぁ一つ、人生は一回だから〜」は耳に残っています。まだ、死んではいけませんヨネ。
神崎と志井は同じ千葉高出身。同級生あたりから噂を聞きました。それによると神崎は高校から「わだば政治家になる!」と言っていた。どこでもよかったのね。政治家になれば。
ソウハイカンザキに先を越されてしまった純ちゃん。
ブッシュはヒラリーに抜け駆けで一足先にパフォーマンス、さすが。
ところで「自衛隊に入ろう」の高田渡って、まだ生きてるんですね(笑
息子と一緒にライブをやったりするらしいです。
http://www.haizara.net/~shimirin/peco/
めづらしいものです。
イラクへ行って花と散る・・・純ちゃん。
某週刊誌では純ちゃんが正月休みにイラクへ行くとか…。
オリバー・ストーンは、たしか大学を中退して志願でベトナムに行ったんですよね。ゴアもそうだったかな?それがなくては「プラトーン」はできなかったんだろうけど。
人間という生き物は複雑ですね。
ぼくの知り合いでも元自衛官とかで、かなりの軍事オタクの人がいたし。イラク行きを志願する人がけっこういるというのも、まったくのでっち上げではないのでしょう。日本人でもグリーンベレーや外人部隊に入る人がいるんだから。
イシバ攻撃庁長官嫌いだよー。現地にいけー!
「おしん」を見せて懐柔しようなんて植民地的文化政策しか考えつかない人たち。