その向こう
三井喬子
その向こう
と あなたが指差したそこに
一本の木が生え
傘を傾けた女が小走りに行き
紅殻格子に灯が点り
野良猫が軒端に蹲り
一本の木の下に物語が生まれるころ
あなたはもう列車の窓際の席で夕刊を広げている
お腹はいっぱいだから コーヒーを買うかも知れない
今発ってきた駅の 街の 風景などは忘れてしまった
でしょう そうでしょう
と言い募っても 戦争のニュースには敵わないから
創世記から砂漠の現在までを語り続けて
一本の木が枯れる
その向こうに彷徨う湖の記憶が
かすかに苔のにおいを発し
猫も眠れない
眠るな
眠るな夜空
星辰の位置は不動ではないから
カラカラカラと零れてくることもあるだろう
悲しみの湖岸には
またしても一本の木が生えて
短い一生を孕むだろう
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