image2 井上 直
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1998年に書いた作品意図
 私は、(油絵でなく)ドローイングという、限定された手段で、人間についての物語を表現したいと思ってきました。絵を始めたごく初期から、テーマを選び、それを鉛筆や水彩で表すことが、自分には合っていると感じてきました。
 私は、日本海沿岸の富山で生まれました。冬の豪雪と共に、他の季節は、清らかな水で知られる所です。それが、油より水を好む理由かもしれません。子供時代は、他の子供達との活発な外遊びより、ひとりでお話を読んだり、クレヨンや色鉛筆で絵を描くことの方が好きでした。「孤独」な子供でした。
 高校生の時、ある哲学の先生が、「死に向かって流れる時間」と「それに所属しない時間」について話してくださいました。
 1979年、私は台所で鉛筆だけで絵を描きだしました。最初の10年は「自分自身の周囲に流れる時間」がテーマでした。鉛筆は「時間」と「自分」の距離の感覚を表すのに相応しい禁欲的な手段でした。
 1992年、私は「白衣」に出会い、それまで描きたくて描けなかったもの「人間についての物語」をテーマに得ました。その頃、私は個人を超えて人間を「全体的にとらえること」に惹かれていました。「時代を超えて根源的にとらえる」と同時に「私たちの時代がかかえている問題に敏感でありたい」と思っていました。
 しかし、それはあまりにも多くの問題が未解決のままの現在では、とても難しいテーマです。特に1940年代半ばに「核」が製造されて以来、あらゆる物語は、「核」という絶対テーマの前で霞んでしまいました。現代になお死んでいないテーマがあるとしたら、個人の「死」の視点から「生」を見る行為−そのことの意味を問い直すことしかないのではないか、と思います。この仮想現実の世界の中で、これが私たちにとっての最後のリアリテイーではないかと。
 「白衣」に初めて出会った時、それは人間の「究極の象徴」−空白感から逃れることのできない人間、個性を奪われ、本来の場所から疎外された人間の象徴として私の心をとらえました。また個々の空っぽの「白衣」は、「永遠」に触れ、慎ましく沈黙する人間の象徴でもあると、私には思えました。もちろん「白衣」の姿そのものは異様ではありますが、現在の我々の状態にとても近いように思えたのです。
 私は、「白衣達」が宇宙に繋がっていく空間や、神話の時代と繋がる時間の中に佇んでほしい。その時、それらは人間としての尊厳をとりもどすのではないかと思うのです。

2006年に書き足した作品意図
上記の意図を書いてから8年経ちました。 つまり「白衣」を描き始めて14年経ってしまったわけで、我ながら、よくもまあ描き続けたものだと思います。 8年前の私は、理解されないかもしれないと思っていたのでしょう、、自分が「白衣」というものを何故描いているのか、と一生懸命説明しています。 今は「白衣」が現代の人間の心を表現するのに向いている、と信じているので、とても自由な気持ちです。
  「白衣」を描く、といっても、実は私は「風景」の中の「白衣」や「白衣たち」を描いてきたわけで、それは現代美術の中では非常にまれなことです。 現代美術に「風景」はないのに、現代詩の中に「風景」は残っている、、、、何故だろう、とずっと考えてきました。 ホロコーストを経験し、ヒロシマを経験し、「風景」にリリカルなものを感じることに、罪悪感や偽善を感じるようになったせいかもしれません。 パウル・ツェランの詩でも明らかなように、言語なら、罪悪感や苦悩と、リリシズムとの共存が可能だけれども、美術では難しいのかもしれません。 その結果、現代美術は、子供の世界や、科学の分野、無目的な工業製品、デザイン化された抽象が多くなりました。 あるいは「顕在化した苦悩そのもの」になってしまいました。
「人間としての喜びを思い出す」ことは、「苦悩の記憶が薄れていく」ということと同じだから、それは一つの罪悪でもあります。 しかし人が理解不可能なほどの苦しみを受けた後に、再び「かけがえのない存在」としての自己をとりもどすこと、破壊され、引き裂かれた自己を再び結び合わせることは、美術、音楽そして文学以外の何によって可能になるというのでしょう? たとえ空しい結果に終るにせよ、私たちはそれをあきらめてはならないし、何度も試みなければなりません。 
私は絵を、多くの人を念頭に置くのではなく、いつも個人のために描いています。 どこかにいる、たった一人の人に受けとってもらえたら、と思っています。
 
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