南川優子 詩のページ

宙の果汁

Eva Hesse作 Sans II (1968年 グラスファイバー製)を元に

脱獄の夢をみながら
頂上の見えない石垣に もたれかかって
眠っている
頬に分け入る石の継ぎ目が
十字架のかたちで 表情を裂いてゆく
全力で逃げまわり
苔むした坂道で足をすべらせた場面に
さしかかったそのとき
頬から おびただしい十字架が
たんぽぽの綿毛のように
離陸した

脳の奥地で 楕円形の空がゆっくり浮上し
宙に明るみをつくる
おぼつかない飛行の 十字架たちは
手と足をつなぎあい
空にすいよせられてゆく
追っ手のサーチライトがとつぜん
わたしの視野にどっと ふりかかる
十字架どうしのすきまが オレンジ色にひたされて
格子柄の 果汁の粘膜ができあがる

みっしりとした 重たい果汁が
昼下がりの空に 波打っている
昔から立っていたビルのように
通行人は目もくれない
ときおり 強く羽ばたいてみては
柑橘の汁を地上にばらまき
十字の中心から ふたたび液体が
絞り出される
わたしが地下に 身を隠すたびに
粘膜の色が曇り
目撃されたと思うたびに
激しいしぶきをあげる
落下した果汁が一滴
乳母車の赤ん坊の目に入る
母親は気づかずに 立ち話を続けている
夢から覚めたわたしは
独房に連れもどされていた
オレンジ色の視界が 赤ん坊の瞳をうるおし
赤ん坊の生活が わたしを解き放つ

深夜 
水を求めてうめくと
看守が罵声をあびせる
赤ん坊はとたんに泣きだし
母親がとがめるとますます のどを爆発させる
早朝
グランドで一列になって 無言で走らされ
体が棒になる
赤ん坊は ベビーベッドの柵を外し
じゅうたんの上を転がる
昼食後
仲間からせしめた精神安定剤を がぶ飲みし
看護婦に手首を縛られる
赤ん坊は 母乳を飲んだ後
口に入れてはいけない プラスチックのロボットを
ゆっくりとなめはじめる