詩についての簡易な断章

――詩へ、そして詩を書く人へ愛を込めて


 ぼくがどんなふうに詩を書いているか、ここに開陳しておいてもいいように思い、少し書きたくなりました。

●起承転結は無意識の流れに沿うと自然にできる。

 起承転結が必要なのは誰でもが言うことですが、この流れに新しい試みも込められるし、よい詩には自然にできてくるものだと思います。反対に、流れに沿って書いている、ともいえます。
 起承転結が必要なのは、言葉の構築のなかで「段差」をつくることで、イメージのインパクトが生まれるからです。俳句・短歌などでもあの短い詩形のなかで、「段差」をつくっています。

●言葉はどんどん選んでいく。

 推敲ということですが、これは書いてからあとで直すということの意味だけとは限りません。
 書きつつ、書くことから遊離する言葉、行を捨てることをしています。
 初めのころはたくさんの行を書いていました。すると、数行は不要なのに気づき、捨てることが必要だと気づきました。しかし、これはアタマの中だけで可能です。もし詩に技術があるとするなら、このアタマの中での「自分で言葉をやりとりする、考える、拾う」ということなのだと思います。
 書き始めのころは50行ぐらい書いてから、生きている3行ぐらいを拾うことがありました。書きたいと思って書けば、かならず生きている(自分に触れている)行があります。それは少なかったり、また全部だったりします。

●自分に触れる言葉は何か。

 書いていると、比喩(直喩、暗喩など)に遭遇します。これがとても大事なポイントだと思ってきました。それは上記の「段差」に充てられる場合があるからです。
 しかし、上のように言葉を選んでいく場合、遭遇した比喩を捨てる場合ももちろんあります。

●月並みとは何か。

 詩を書き始め何年も経つと、先達詩人の作品や批評をたくさん読むことになります。当然、たくさんの人が文庫本などで、同じ作品を読んでいるということになります。ここで初めて、詩を書く人が「詩を書くことの歴史」に触れることになるのだと思います。深く味わい、深く楽しむほど、それらは記憶の引き出しの奥のほうにしまわれるでしょう。記憶の引き出しにしまわれた先達詩人の言葉は、かならずヒントになってかえってきます。
 新鮮ということは大事なのですが、ここで足をすくわれることがあると思います。いわゆる「月並み」から脱却することは難しいわけで、意識的に「月並み」から脱却するよりは、「月並み」に留まってしまっても「月並み」を止揚していることがままあるように思うからです。もし詩に修練というのがあるとしたらここではないかと思います。

●詩には言葉の「理念」が背景にあること。

 詩の言葉は、コミュニケーションの言葉を分析、解体し、客観視する、というような言語に対する「理念」をもっているのだと思います。
 詩は独立します。独立するから、いい詩の作者をいい詩を通じて深くわかることができます。
 そうすると、ロックの歌詞、CMコピー、歌謡などの社会的位相がわかります。わかるということは、自分の書く言葉の位相を定位することの「理念」をもつということだと思います。少なくとも、自分の中で時々刻々変わる、そういう「理念」をもって僕はすべての言葉を見たいと思っています。


 いかがでしょうか? これは僕の書いた断章ですが、あなたの書いた「詩についての簡易な断章」を僕はとても読みたいです。

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