| 24 私の知らない時代 |
私の探す「一篇だけでも何も語らない作品」と言うのは妥当ではないな、
と、また、何と説明すれば良いのか、あぐねながら、自分の書いた物を読み返していました。
「Ambarvalia」を私はあっけらかんと表現だけを楽しんでいます。
「ギリシア的抒情詩」の「ギリシア」も、「紙芝居 shalickiade」の「シアイロツク」も、
まして「Ambarvalia」の意味も知らないで、意味の脈絡のない言葉の響きだけを描いている。
正しく意味を知れば、間違いなく描かれる物も変わってしまうでしょう。
昭和8年、既に海の向こうの大陸では同じ日本人が出征し戦っています。
彼の書いた書斎には、戦火の、硝煙の匂いが漂ってはいないとしても、
小林多喜二が逮捕され拷問の末に虐殺されている、
こんな時代に、かくも晴れやかに「ギリシア」が描かれている。
そして、昭和22年、戦争は終わっても、おそらくは困窮の時代、
でも、占領軍司令部に反抗的な考え方でなければ、黙っている必要はないのに、
「淋しさ」を語る「あむばるばりあ」と「旅人かへらず」。
「西脇順三郎詩集」の解説には、時代に迎合する彼の立場が一応は書いてあって、
確かにそうなのだろうと思います。
ただ、年表から追って行くことは、書かれた事実以上は分かり得ない。
そして、私もそうなのですが、何時も時代に迎合ばかりしているわけではありません。
「Ambarvalia」ほどの軽やかな描写は、「あむばるばりあ」では抑え込まれた。
あるいは、「あむばるばりあ」と書きなおすように、
「日本」の読み手の為に、あえて、「淋しさ」に塗り替えたのか。
抑え込まれたとすれば、何処かで、片鱗を見せるだろうか?
時代や考え方を「語らない」節を外した部分を、改めて探しています。
〔ツリー構成〕
| 【20】 西脇順三郎詩集 2000/5/12(金)00:00 清水鱗造 (176) |
| ┣【25】 「カンシヤクもちの旅人が」 2000/5/26(金)21:21 一本指 (734) |
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